錦水亭と石清水八幡宮

何かの拍子に思い出した。川辺に浮かぶ複数の建物。実在するがまだ観たことがなかった。
無性に観たくなりGoogleマップを探しはじめた。場所は突き止め保存してあった。たしか山崎のあたり。でも三川の上流下流をしらみつぶしに探しても見つからなかった。
石清水八幡宮も参拝したいと思っていたので、気晴らしにそちらを検索すると、宮つながりなのか長岡天満宮が出てきた。Googleマップを探したところ、長岡天満宮に隣接する池にピンクのハート印。何を保存したのだろうと航空写真に切り替え拡大し、対岸の『八条ケ池ふれあい回遊のみち』をクリックしたところ……ここだった。水は水でも川でなく池だった。
ということでさっそく訪れた。長岡天満宮から石清水八幡宮への移動は、阪急電鉄西山天王山駅から京阪電車淀駅へバスが出ていたが、昼時間は1時間に1本だったので歩くことにした。

阪急電鉄長岡天神駅から徒歩5分。堤の向こうが八条ヶ池。自然にできたものではなく、1638(寛永15)年、桂離宮を造営した八条宮智忠親王により築造されたそうだ。
鳥居の先に長岡天満宮へ渡る中堤や太鼓橋があり、ひと月早ければ霧島ツツジの深紅の花回廊を歩けたようだ。中堤の北側は水生植物園になっていて、南側に目当ての建物があった。

数寄屋造の座敷が6棟池に浮かんでいる。壁の弁柄と障子の白。屋根は瓦葺き、茅葺き、杮葺き、入母屋造、寄棟造といろいろあり面白い。絵になる風景だが、事実スケッチをしている方が大勢いた。長岡天満宮の境内にも大勢いて、辺り一帯がスケッチのメッカとなっていた。

6棟の前面は揃っておらず、池辺に沿って雁行し、角度を振っている棟もある。建物と木杭はほぞで留まっていると思うが、それにしてもこの心許なさ儚さよ。

長岡天満宮境内。壊れた鳥居が展示してあった。2018年台風21号の折、倒木が笠木に直撃し、倒壊してしまったそうだ。この鳥居は、上皇となった霊元天皇が1692(元禄5)年に寄進されたものだそうなので、処分せずこのように残してあるのだろう。

帰りは錦水亭側を歩いた。池の南端まですべて錦水亭の敷地のようで、砂利道、藤棚、生垣、生い茂る様々な樹木と、情緒あふれるエリアとなっていた。

門扉の隙間から盗撮。池辺の6棟へは別の池にかかる橋を渡る。木製の欄干に砂利敷き。

本棟から池の南端へ至る道。とても気持ちがよかったので、2往復してしまった。
長岡京を離れ、丹波街道を歩き、サントリー通りを歩き、ダイハツ京都工場の横を歩き、京滋バイパス沿いの国道478号を歩くと、石清水八幡宮口交差点に到着。そこを右折するのだが、横断歩道がなかった。直交する道路に歩道がなかった。Googleマップナビときたら。
車が少ないタイミングで右折したが、高架のうえ白線と壁高欄の間は50cm。緊張した。

宇治川を渡ったところに塔。京阪電車から見るたび何だろうと思っていたが、展望塔だった。淀川河川公園の一部だそうで、三川の合流やその先の眺望を得るための展望塔だそうだ。
塔の横には休憩スペースや売店を備えた施設があり、ロードバイカーたちが憩っていた。

南。石清水八幡宮のある男山。中腹に見える屋根は神応寺。石清水八幡宮はほぼ山頂。

西。左から木津川、宇治川、樹木に隠れているが桂川。この先で三川は合流する。施設がなぜ『さくらであい館』なのかと思ったが、背割堤と呼ばれるこの堤には、220本ものソメイヨシノが植えられているそうで、堤の先端まで1.4kmも続いているそうだ。
堤の先の山裾は山崎。微かにサントリーの貯蔵棟が見える。隣の大山崎町には、加賀正太郎の大山崎山荘(現アサヒビール大山崎山荘美術館)や藤井厚二の聴竹居があり、この三川合流の風景に魅せられていたそうだ。横一列に観る桜はさぞかし美しいだろう。

北。Y形の橋脚がついた道路が京滋バイパスで、奥の低い道路が国道478号。この国道を左のほうから歩いてきて、上述した交差点は橋脚の左から2本目と3本目の間。

東。京阪電車木津川鉄橋。京阪のトラス橋はここと隣の宇治川鉄橋のみだそうだ。色は『京阪さび色』だそうだが、特急列車の色に呼応しているのだろうか。

京阪電車石清水八幡宮駅は昭和の臭いがした。むかし大いに賑わい、いまは静かな駅前。思い出した。この駅はむかし八幡市駅だった。石清水八幡宮が国宝になり変更したのだろう。

一ノ鳥居。ケーブルカーに乗りたかったが、はじめてなので古式ゆかしき参拝を選択。

頓宮。毎年9/15に行われる石清水祭は、葵祭や春日祭に並ぶ三大勅祭だそうだ。
午前3時に500名からなるお供を従え、山上の本殿を出発した3座の神霊は、この遺跡跡のような部分に建てられる絹屋殿に着御。奉幣祭や放生行事が行われ、夕方に山上へ還幸されるとか。

二ノ鳥居をくぐり、しばらく進むといよいよ山登り。七曲りと呼ばれる階段を上ると大扉稲荷社。道は2つに分かれていたので右へ。左は開けていて、右は鬱蒼としていた。右に惹かれた。

むかしは参道に沿って多くの坊が建っていたそうだが、神仏分離政策により絶えたそうだ。
ここに建っていた瀧本坊は、かの松花堂昭乗が住職を務めていたそうだ。僧侶でありながら書画や茶を大成し、松花堂弁当を考案した。親友だった小堀遠州は、昭乗のために茶室『閑雲軒』をつくったそうだが、その茶室はこの先の崖に懸造で建っていたそうだ。

昭乗は瀧本坊を弟子に譲ったあと、泉坊に建てた松花堂で余生を過ごしたそうだ。
この柵で囲われた部分は松花堂の路地だったそうだが、さっぱりわからなかったのですぐに離れた。だから隣に松花堂の平面が再現されていることに気がつかなかった。
文化遺産オンラインに整備された当初の画像があるが、とても見ごたえがある。あの状態ならずっと見ていられる。1957(昭和32)年に史跡に指定されているようだが、どのくらいの頻度できれいにしているのだろうか。まさか65年間一度もきれいにしていないとか。勿体ない。

三ノ鳥居。大扉稲荷社で右折したのは間違いだった。左が表参道だった。南総門の手前に着いてしまい、右を振り向くとこの鳥居。来た道を大扉稲荷社まで戻り、表参道を歩きなおした。

重森三玲作『鳩峯寮の庭』。1961(昭和36)年の第2室戸台風で倒壊した三ノ鳥居を用い、1966(昭和41)年に作庭されたそうだ。見落としたが、社務所の端にも『書院石庭』があるようだ。

南総門。茅葺屋根のパッチが痛々しい。本殿は2009(平成21)年、若宮社と若宮殿社は2020(令和2)年に修理をしたそうなので、次はこの南総門や神楽殿だろうか。

社殿。しばらく見とれてしまった。朱色だらけなのに嫌じゃない。色褪せていたころを知らないからか。鳳凰堂とはわけが違う。参道が振ってあるのは、神様を正面に進まないようにするためだそうだが、じつは社殿の軸をどこかへ合わせたからではないのだろうか。
毎日11時と14時に『昇殿参拝』という特別拝観が行われるそうで、これに参加すれば信長寄進の『黄金の雨樋』や、欄間や蟇股に彫られた猿やカマキリを観られるようだ。次回はぜひ。

エジソンの記念碑があるということだったが、周りを見回すとオブジェはこれだけ。ちょうど案内図があったので、確認すると違っていた。清水九兵衛デザインの給水塔で、神職の冠をモチーフにしているそうだ。給水塔だが、作品なので名前がついていた。涌峯塔だそうだ。

これがエジソン記念碑。植込や門扉に囲われているので気がつかなかった。フィラメントに用いる竹を世界中から取り寄せ、最も長持ちしたのがこの男山の真竹だったそうだ。

竹林を歩きながら摂社の狩尾神社へ向かった。狩尾神社は小山の上にあるのだが、斜面が崩落防止のためにコンクリートで覆われていて、それがまるで要塞のように見える。

残念ながら社殿は修理中だった。石清水八幡宮の若宮社のように、板玉垣で囲われ、正面は格子と竹の節欄間で仕切られている。流造だが石清水八幡宮独自のつくり。観たかった。

裏から入ってしまったので、帰りは表から出ようとして驚いた。まるでジェットコースターの頂部から見る風景。急勾配の階段は屁でもないが、周りに何もないのですくんでしまった。

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