飛鳥

談山(たんざん)神社、明日香村、橿原神宮を訪れる予定だったが、いきなりつまづいた。桜井駅から談山神社行きのバスに乗り損ねてしまった。日に数本しか走らないのに。
時刻表アプリで猶予は5分あった。列車を降りてからバス停まではせいぜい2分だろうから、小便に3分も費やしたということか。切れが悪くなってはいるが、そんなにかかったのだろうか。
腑に落ちず軽くパニックになったが、気を取り直し歩きはじめた。次のバスは1.5時間後。時間を潰せそうにないし、帰りたくなるかもしれない。Googleマップで検索すると2時間だった。

談山神社大鳥居。むかし聖林寺を訪れたときもここを通った。右側の笠木と貫の欠けは火災によるものだとか。1724(享保4)年に建てられたそうだが、いつの時代の火災だろう。道はもともと鳥居の下を通っていたと思うが、いつから外れたのか。火災と関係しているのだろうか。
ここから談山神社までは省略。標高差450mを喘ぎ喘ぎ上った。Googleマップのルートに挙がらなかったが、山裾に沿った県道37号を歩いたほうが楽だったのではないか。もと多武峯(とうのみね)街道だそうで、昔の人はその道を通って談山神社へ参拝したのだろう。

談山神社の西大門跡だそうだ。東側にある東大門は現存するそうで、県道37号から来ていれば見ることができた。かぎ状に配された石垣は一乗谷を思い出したが、こちらも防衛のための設えだろうか。碑があったが、ここも明治になるまでは女人禁制だったようだ。

緑の清々しい場所。碑には増賀堂跡。談山神社中興の祖である増賀上人が隠棲した場所だそうだ。ここへ来る途中お墓の案内があったが、増賀上人を無知だったので寄らなかった。でも石積みの円墳のようなお墓だそうで、見てみたかった。

シャガがあちこちに群生していた。知らずに見ると美しいが、どうしてもバイオハザードのアレや、プレデターのアレを思い出していけない。

談山神社。正面に見えるのは楼門で、その奥に本殿と拝殿。境内は広く高低差があり、変化に富んだ景色を楽しんだ。朝の陽を受けた新緑がきらきらしていた。
参拝者が少なかったが、この程度なのだろうか。10時を過ぎていたが、向かいの商店はどこも閉まっていたし、ホテルはガラス戸の向こうが真っ暗。神社のホームページには、現在準備中となっている部分やリンク切れの部分があり、境内ともに気の抜けた炭酸水のよう。

右手前は神廟拝所(旧講堂)。藤原鎌足像が安置されていた。中臣鎌足と中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏を滅ぼした乙巳の変は、この多武峰で企てられたそうだ。だからこの山を談い山(かたらいやま)と言い、談山神社と名づけられたのだそうだ。

十三重塔。定慧が父鎌足のために造立した塔婆だそうで、木造で十三重は唯一だとか。
お昼になったが、境内は飲食禁止だったので出発することに。次の石舞台古墳まで1時間かかる。近くの寺の擁壁に腰掛け、買っておいたおにぎりを食べた。
この寺Googleマップのクチコミが悪かったので、リンク先の朝日新聞の記事を読んでみた。おにぎりを食べた場所に寺の看板が立っていたようで、『多武峰妙楽寺』と書かれているそうだが、その名称は談山神社がむかしつけていたもの。幕末までは『多武峰妙楽寺』という寺だったが、神仏分離令のせいで神社へ改めたのだそうだ。寺を建てたのは談山神社とは無関係の寺だそうだが、住職や関係者は偏執的なのだろうか。あるいはモラルに欠けているのかもしれない。

県道を縦断するトレッキングコースを進んだ先に、ひっそり佇んでいた『気都和既(きつわき)神社』。境内は『もうこの森』と呼ばれているそうで、殺した蘇我入鹿の首に追われた中臣鎌足が、ここまで逃げてきたという言い伝え。そのとき鎌足が腰掛けたという石があった。

棚田に菜の花が咲いていた。もう少し遅ければ稲の苗が見られたかもしれない。

石舞台古墳。想像以上の巨石だった。つくり方を見ても、本当なのだろうかと疑ってしまう。でもこれがつくられた7世紀より3,800年前にピラミッドはつくられた。古代人の凄みに震える。

発掘したときには盗掘されて棺はなかったそうだが、破片や他の古墳からこのような家形石棺だったのではないかと。高松塚古墳やキトラ古墳の埋葬者は、決定打に欠け絞れないようだが、こちらの埋葬者は蘇我馬子と言われている。決定打は何なのだろう。

岡寺。正式名称は龍蓋寺。悪事を働く龍を、義淵僧正が境内の池に誘い石で蓋をしたという言い伝え。義淵僧正は日本ではじめての僧正だそうで、国宝の坐像は現在奈良博で公開中だとか。

中央が本堂。本尊は如意輪観音座像だが、塑像で高さは5mもあるそうだ。蛍光灯に照らされた本尊は、退色した塑像特有の白さが浮き立ち、失礼ながら薄気味悪かった。シャクナゲが有名だそうでたくさん植わっていたが、見ごろは過ぎていた。

三重宝塔の隅尾垂木に和琴がぶら下がっていた。藤田美術館蔵の国宝『両部大経感得図』の五重塔に描かれた箜篌(くご)からの発案だそうだが、このような装飾ははじめて見た。

飛鳥宮跡。1,300年前に思いを馳せたが、無知なので大したことは浮かばなかった。

水場の跡だろうか。片隅では、学生による蘇我入鹿暗殺シーンが演じられていた。

明日香村役場。50年前につくられたそうで、K構造研究所の設計だそうだ。奥の2階建てと手前の3階建てでひと棟。手前の3階建ては面白いが、張り出した庇は夏の日射を遮蔽しているだろうし、右側の西面に生えた樹木は省エネに貢献しているのではないだろうか。でもこの施設は数年後には使われなくなるようだ。この先に大きな工事現場を見つけたが、新庁舎の建設だった。
役場のホームページに特設ページがあり、建設理由が書いてあった。”老朽化や耐震不足のため有事に防災拠点の役割を果たせない”、”明日香村に相応しくない意匠形態”。前者はその通りだと思うが、後者はそうは思わない。50年経ちすっかり溶け込んでいる。全村民が相応しくないと言っているのだろうか。お上がこのような発言を公に軽々しくしてはいけない。

高松塚古墳。2段式円墳は抹茶アイスのよう。石舞台古墳は入場料300円だったが、それは石室の維持にコストがかかるからだろうか。こちらは柵の外から眺めるだけなので無料のようだ。
こちらも盗掘されていたそうだが、残っていた欠片から、棺は漆塗りの木棺だったそうだ。

高松塚壁画館。こちらは入館料300円。レプリカが2セット展示されているのは混雑緩和のためだそう。片側は汚れをわざと薄くし、壁画を見やすくしているそうだ。

手前の東壁に『女子群像』『日像、青龍』『男子群像』、中央の北壁に『玄武』、奥の西壁に『女子群像』『月像、白虎』『男子群像』、そして天井には『星宿図』。南壁には『朱雀』が描かれていたと考えられているが、盗掘のために破壊されて残っていないとか。

切手にもなった『女子群像』。他の壁画よりきれいな状態で残っている。
天井面の『星宿図』は、学術的なことが色々あるようだが、単純に感動した。死者と宇宙。

古墳そばの展望台からの眺め。予習をせずに訪れて後悔した。明日香村は想像よりはるかに広く、見どころがたくさんある。キトラ古墳へ行けなかったので、GWに再訪したい。自転車を借りて効率を上げれば、橿原神宮や藤原京、今井町にも行けるかもしれない。
飛鳥駅に着き、小腹が空いていたが、コンビニや飲食店は見当たらず。道の駅は観光案内所と土産物コーナーしかなかったので、駅のホームでグリコの抹茶アイスを食べてやり過ごした。
待合室で女子高生の会話をBGMにウトウトしていると、クラシック音楽が流れたのでハッとした。特急『青のシンフォニー』が停まっていた。音楽は発車ベルの代わりのようだったが、そのセンスに苦笑した。女子高生の2人が嬉しそうに出て行った。女子鉄だった。