ベラボー

万博記念公園。いつもの大阪日本民芸館と、今日は太陽の塔にも。ようやく塔内を見学した。
2018年に内部公開がはじまったが、公開する前から予約受付をはじめ、いきなり数か月先まで埋まってしまったので、馬鹿馬鹿しいとそっぽを向き、いつでも観られると放っていた。
先日、大阪日本民芸館を検索していて、万博記念公園のウェブサイトを訪れた。太陽の塔のバナーが貼ってあったので、客の入りはどうなっているのだろうとクリックしてみたが、予約状況を確認するにはアカウントの登録が必要だった。なぜ映画館のように簡単にならないのだろうと思いつつ、空いていれば見学するつもりだったので、しかたなく登録をした。
10:00から17:00まで30分毎の枠設定だった。朝一番や昼一番の枠は埋まっていたが、他の枠のほとんどが、”80 〜31名まで空きあり 内、エレベータ利用枠数16名”との表示だったので、それは予約が入っていないということなのだろう。見学することにして、予約の入っていなかった12:30の枠を選択。早めに千里中央に着き、北海屋のちゃんぽんで腹ごしらえをした。
お祭り広場でABCテレビのイベントが行われているようで、そのせいか大阪モノレールが混雑していた。万博記念公園駅や公園の中央口も混雑していて、入場制限をかけるかもしれないとのアナウンス。でもそれはお祭り広場のことで、太陽の塔には関係がなかった。それなのに勘違いをしてしまい、入場口でしばらく待機してしまった。
20分前までに着かなければならなかったのに、15分も超過してしまった。行列ができていたが、ショップ利用者で見学者ではなかった。見学者はすでに移動したようで係員もいなかった。事情を説明したかったが、受付は忙しくしていたので、展示ゾーンと思しき方へ勝手に進んだ。

地底の太陽ゾーン。10人ほどのお客さんが留まっていた。先のグループがはけるのを待っているようだった。おそらくこのグループなので、先頭にいた係員へ説明しようと思ったが、面倒なことになりそうなのでやめた。素知らぬふりをして最後尾につけた。
この『地底の太陽』はレプリカ。博覧会で展示されたオリジナルは、閉会後の撤去作業中に行方知れずとなったそうだ。行方知れずといえば、『明日の神話』はメキシコで30年も眠っていた。オリジナルの『地底の太陽』もどこかで眠っていてほしいと思うが、高さ3m、幅11mもあったそうなので、移動や保管は大変だろう。あれから50年。処分されてしまっただろうか。

生命の樹ゾーン。思わず息をのんだ。外観に劣らないベラボーな設え。ただただ圧倒された。
生命の樹は当時のものだが、生命体のほとんどは失われたので、資料をもとに復元したのだそうだ。ゴリラは当時のものだった。顎だけが残り顔はなかった。当時は動いていたようだ。
生命体は、40億年前のアメーバから4万5千年前のクロマニヨン人まで。現代人がいないのは太郎さんの当てつけ。人間は進歩などしていないし、馴れ合いの調和などいやしいことだと。
ひとつ残念だったのは撮影可能エリア。カメラやスマホの落下を恐れてか、1階でしか撮影できなかった。各時代の生命体を撮りたかったし、腕の鉄骨や波々天井も撮りたかった。
オフィシャルサイトの「塔内ご案内方法について」に、”観覧方法は建築基準法により最大16名様ずつのグループでご案内いたします。”と書かれてあるので、何のことかとネットを検索すると、大阪府が公開している議事録を見つけた。全館避難安全検証法を採用していた。
ネット検索では、塔公開へ至るプロセスを書いた記事や、昭和設計のプロジェクトページも見つけた。これらによれば、博覧会開催時の太陽の塔は「仮設建築物」、永久保存後は、人を入れないことを条件に「工作物」。2012年に耐震診断を行ったところ、基準値に達しておらず、特に塔上部と両腕が弱いことが判明。内部公開を視野に入れ、耐震改修設計を行うこととなった。
内部を公開するには「建築物」としなければならない。そのためには様々な設えが必要だったが、建物であると同時に芸術作品でもあるので、外観や内観を損ねることはできなかった。
地上2階の準耐火建築物と認められたので、鉄骨の耐火被覆や非常用進入口が不要となった。排煙設備は機械排煙とし、波々天井の裏に排煙機を据え、排煙口は『黄金の顔』の裏に隠された。
耐震改修は、床から腕までの壁に20cmの壁を増し打ち、塔上部や両腕には補強の鉄骨を加えた。軽量化のためにすべてのエスカレーターを撤去し、階段へつけ替えられた。
塔内部は巨大で閉塞的な空間のため、避難安全について検証を行い、見学者数の上限が定められた。高さが60mを超えているので、大臣認定である超高層評定にもかけられた。

黒い太陽。駐車場は、コロナ禍の前に撮影したかのような賑やかさ。

一方大阪日本民芸館は、コロナ禍に関係なくいつでもゆったりしている。先の議事録に、大阪日本民芸館には貴重な収蔵品があるが集客力がない、と書いてあったが、民藝は万人の興味を引くものではないだろうから、いま以上の発展は望めないだろう。施設としてそれではいけないのかもしれないが、案外それでよいと思っているのではないだろうか。そうでなければ、名だたるスポンサーたちはとっくに手を引いているのではないだろうか。
展覧会は、『濱田庄司と柳宗理 ふたりの館長』と題し、大阪日本民芸館の初代館長である濱田庄司と、2代目館長である柳宗理お二人の、作品や蒐集品を紹介するというものだった。
濱田さんの展示は第1展示室。博覧会に出品された大皿『白釉黒流描大鉢』『黒釉柿流描大鉢』『白釉青流描大鉢』『飴釉白流描大鉢』『抜蝋丸文大鉢』は見ごたえがあった。
2017年の暮れに、日本民藝館で6枚目の『白釉黒流描大鉢』が見つかり、行方知れずはあと2枚。『地底の太陽』とは異なり、こちらはどこかに埋もれているに違いない。
宗理さんの展示は第2~第4展示室。家具や食器、カラトリーなど、ご自身がデザインされたプロダクトと、インドの染物や、山陰、九州、沖縄の陶器などの蒐集品を展示。ご自身の愛用品を紹介するパートがよかったので、帰りに受付でたずねてみると、宗理さんの著書『エッセイ』からの抜粋だった。10年以上も前に読んだきりなので忘れてしまっていた。