快人 藤森照信

藤森照信さんの『建築が人にはたらきかけること』。さるウェブサイトに掲載している藤森さんと小田和正さんの対談でこの本に触れていて、引用部分に興味を覚えたので読んでみた。
映像などで見る藤森さんはポジティブな印象だが、大学時代は鬱屈していたそうだ。引きこもって読書漬けの日々だったそうだが、そのおかげで文学に目覚めた。建築の設計しか教えない教育にも疑問を持っていたので、建築史を学ぶことにしたのだそうだ。
卒業すると村松貞次郎さんのいる東大へ移り、そのまま講師をしながら47歳で近代建築史を書き上げた(『日本の近代建築』岩波新書)。同じころ故郷から相談を受け、自ら設計することになった『神長官守屋資料館』を手掛けたことで、歴史家としての肩の荷が下りたようだ。
歴史家は好き嫌いなく建築を見なければならないが、これからは好きな建築だけ見ればいい。ロマネスクを見終えると、遡って初期キリスト教会を見て、さらに遡りたどり着いたのがスタンディングストーンだったそうだ。建築の起源は太陽信仰を象徴する『高さ』なのではないか。さらに高くするためには幅が必要で、それでピラミッドができたのではないかと。
なるほどと思いながらページを繰る。最終章は藤森さんの真骨頂が発揮。“造形と言語の和は一定”であるとか、“もしかしたら建築を生む力は、神様や言葉のような実用性を超えたところにあるのではないか”とか。他にも面白いことが書いてあるが、長くなるのでこのへんで。最後に、最終ページに自筆で書かれた一文を引用。藤森さんらしい言葉。

部屋は一人の 住宅は家族の 建築は社会の 記憶の器。自力でも誰かに頼んでも お金はかけてもかけなくても 脳を絞り手足を動かして作れば大丈夫。器が消えると個人も家族も社会も記憶もこぼれて消えるでしょう。記憶喪失ご用心。

対談で驚いたのは、藤森さんと小田さんが東北大学の建築学科で同級だったということ。当時のおつきあいのほどは知り得ないが、会話などから親交の深さが垣間見えてうれしかった。
対談場所は、藤森さんが選んだ前川國男さん設計の神奈川県立音楽堂。小田さんの卒業制作に前川イズムを見たからだそうだが、じつは京都会館に影響を受けたと小田さん。計画はホールや宿泊施設を備えた芸術村で、建築が演奏者にどのような作用を与えるかなど、演奏者の視点で設計されているそうだが、すでに音楽活動を行っていた小田さんならではの発想だろう。
この音楽堂には小田さんもご縁があるそうで、幼少のころ童謡コンサートを鑑賞したが、その会場がこの音楽堂ではなかったかと回想。ご自身もオフコースのコンサートを公演したが、客席がワンフロアで、最後列までワンスロープで繋がっているので、一体感が増して盛り上がると言うと、ホールの設計で普通はそのようなことは考えないので、面白い指摘だと藤森さん。
本の帯に書かれた『快人』は、造語かと思ったら中国語だった。快活な人、痛快な人、はきはきした人、さっぱりした人という意味だそうで、どれも藤森さんのことだと感心した。