投入堂

一昨日ドキュメンタリーで放送していた『投入堂』。鳥取県は三徳山三佛寺にある国宝。
ずいぶん前から訪ねてみたいと思っているが、いまだに実現していない。番組を見たあと、この休みに行こうと刹那に思い立ったが、冬の間は閉山だそうだ。代わりに土門拳の『古寺を訪ねて 東へ西へ』を引っ張り出し、鬼気迫る名文『投入堂登攀記』を読み返して慰めた。
このお堂が建てられたのは、1300年前の平安時代後期だそうだ。山のふもとで組み上げたものを、役小角(役行者)が法力でエイッと投げ入れたというのは有名な伝説。
この建築はなにかと興味深い。日本仏教の信仰対象のひとつ、蔵王権現を安置するために建てられたが、屋根は流造。修験道が神仏ともに信仰していた証しだろう。
最近になって、このお堂はかつて彩色が施され、垂木には金の装飾が施されていたと書かれた記録が見つかったそうだ。でも京にあるのならまだしも、このような山奥の岩窟にあって、しかも修験道の修行の場だというのに、なぜそこまでする必要があったのだろうか。
建立された平安時代後期は、大寒のために飢餓や疫病が蔓延していて、その原因が政治や怨霊だと信じられていた。だから信者たちは神仏が住む山の頂に近い場所にお堂を建て、華麗な彩色や装飾を施し、崇め奉ることによって災いを鎮めようとしたのではないかとのこと。