脳とコミュニケーション

仲よくさせていただいている得意先から、「おまえのメールは長すぎて要点がはっきりしない」と言われた。前から何度も言われていて、その都度「電話したほうが早いだろう」と。
そんなことは言われなくても承知している。いま携わっている仕事の場合、送信先の方々がみな多忙で、かけても繋がらないことが度々あるので、自分のタイミングで確認できるようにとメールを送るわけだが、伝えたいことを漏らさないように、ニュアンスを履き違えることのないようにと書きすぎてしまう。書いた後で読み返し、省けるところは省き、できるだけ短くしようと努めているが、それでも長いということなのだろう。
説明が過ぎるとも言われるが、長文メールとなる理由はほかにもある。根本的な理由。検査をすればおそらくそう診断されると思うのだが、脳が衰えているのだと思う。健忘症なのか、あるいはほかに問題があるのかもしれない。
口下手ということもあるだろうが、伝えたいことが次々に出てこない。聞いたそばから忘れることがあり、話したそばから忘れることがある。だから伝えたいことを漏らさないようにメールを多用する。メールだと送った内容も受けた内容もあとでいくらでも確認できる。
むかしテレビか何かで話していたと思うが、人は話さなければ脳が衰えるそうだ。自分の状況を考えるとそうなのだろうと思う。だから少しでも活性化するようにとブログを続けているが、おそらく書くだけでは足りないのだろう。
ブログも記事の内容によっては時間がかかる。ものや言葉を知らないからだが、むかしある人に言われた。「ブログでは色んなことを書いているのに、なぜ雑談は苦手なのだろう。ブログに書いているようなことをしゃべればいいのに」。ブログは時間をかけているから書けるが、おしゃべりは上述したように次々に言葉が出ない。だから億劫になり自然と口数が減ってしまう。
いまの若い子たちは電話ではなくメールやSNSで済ますようだが、この子たちの脳の未来はどうなるのだろうと思う。他人の心配をしている場合ではないのだが。