高崎から上野

高崎へレーモンドの建築を観に行った。旧井上房一郎邸は駅のすぐそばにあった。高層マンションやオフィスビルに囲まれていたが、ここだけ別の時間が流れているようだった。

低くて深い軒、丸太のシザーストラス、繊細な障子、住居ではめずらしいむき出しの空調ダクト。すべてのディテールが愛おしく思える。
老練なボランティアの方が数名いらっしゃって、いろいろお話を伺った。「群馬音楽センターには行ったかい?」と聞くので「いいえ」と言うと、ご親切に車で送っていただいた。
この方はもと市議会議員だそうで、市内の古きよき建築を保存するのに一役買われているそうだ。群馬音楽センターも解体の危機に瀕していたが、保存運動のおかげで残されたそうだ。

使用前のホールを見せていただいた。外から見た折り紙のようなかたちがそのまま内部に表れていてリズミカル。谷の部分のスリットから自然光が入り、さながらSF映画のセットのよう。
ボランティアのみなさんありがとうございました。

午後は上野へ移動し、国立西洋美術館で美術展を鑑賞。
ヴィルヘルム・ハンマースホイ。こんなに素敵な絵を描くのに、彼は長い間その存在を忘れられていたそうだ。この回顧展がなければ、私も永遠に知ることがなかっただろう。
雑誌『住む。』で紹介されていたのだが、淡灰色の霞がかった色合いにすっかり魅了された。
この繊細なトーンは、デンマークで生まれ育った作家ゆえのものだろうか。静寂で、ピンと張りつめた空気が漂っている。北欧の気候がそうさせるのだろうか。
人物画や風景画も描いているが、それよりも建築画や室内画がよかった。ほとんどの室内画は彼のアパートを使って描いたそうだが、インテリアや家具調度品が素敵。落ち着いていて品がある。これもまた北欧の文化によるものだろうか。北欧の人たちは、簡素で質のよいものを大切に使い、代々受け継いでゆくことに誇りを持っているのだろう。

私は常に、そのような古い部屋には、たとえ人がいなくてもある種の美しさがあると思っています。あるいは、それはまさに無人であるからこそ美しいのかもしれません。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ

はじめて無人の室内を描いたときの言葉。北欧に暮らす人々の精神が表れているようだ。