DHAKA

第七藝術劇場で『MY ARCHITECT』を鑑賞。評判どおりとてもよかった。
建築家としてのカーンや作品はある程度知っている。この作品で見たかったのは彼の人となり。実の息子が手がけるというので、包み隠さず語ってくれるだろうと期待した。
カーンの3つの家族、カーンを知る建築家たち、ペンシルヴェニア駅での第一発見者、タクシードライバー。さまざまな方へのインタビューにより、彼の実像をまざまざと伝えていた。
何もなかった場所に、足掛け23年間コンクリートを運び続けて完成したバングラデシュ国会議事堂。貧困な国に立派な建物はいらないと抗われても、だからこそ人々の精神の拠り所が必要だとカーンは説いた。議事堂で行われたインタビューで、「彼がこの地で成した偉業は我々の誇り」「彼は我々に民主主義を与えてくれた」と目を赤くして訴えていた人たち。
観終えてふと思った。私はこのままこの仕事を続けてよいのだろうか。カーンにはなれない。性質が違うし努力が足りない。それでも私は人々に愛される建築を作ることができるだろうか。人々に愛される人になれるだろうか。
カーンは遅咲きの巨匠だった。名を世に知らしめたのは56歳の時。大学のゼミの先生は、50歳を過ぎてようやく一人前だとおっしゃっていた。時間はまだある。修練を積んでいきたい。