風信子ハウス

浦和駅から西へ20分の別所沼公園。メタセコイヤが立ち並ぶ沼のほとりを一周すると、それはひっそり建っていた。詩人であり、建築家でもあった立原道造の夢の小屋。その寸法は間口2.5m、奥行6m。たった4.5坪の広さだが、あちこちに彼の宇宙が広がっていた。

そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる。湖水のほとりにはポプラがある。お腹の赤い白いボオトには少年少女がのつてゐる。湖の水の色は、頭の上の空の色よりすこし青の強い色だ、そして雲は白いやはらかな鞠のやうな雲がながれてゐる、その雲ははつきりした輪廓がいくらか空の青に溶けこんでゐる。僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に座つてうつらうつらと睡つてゐる。タぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。

鉛筆・ネクタイ・窓

えらく天気のよい昼下がりで、開け放された窓に腰掛け外を眺めていると、知らぬ間にウトウトしてしまった。居心地のよい小屋。

埼玉最後の休日

7週間ぶりの休日。そして埼玉最後の休日。国立へ行き、紀伊国屋スーパーの買い物袋を手に入れた。ミーハーなお袋のリクエストだ。
国立は一度訪ねてみたかった。敬う人たちが暮らすまちを見てみたかったし、林雅子さんの『ギャラリーのある家』を覗いてみたかった。結局見つけられなかったが。
国立駅からまっすぐ延びる大学通りが気持ちよかった。たっぷり育った桜並木や、足元に咲く様々な花。通りに面して瀟洒なテラスハウスが軒を並べ、まるで異国のような雰囲気。でもその先にはニュースで話題になった高層マンション。たしかにこの通りの風景を台無しにしていた。
午後は友人と合流し、お台場のノマディック美術館へ。少年と象の写真につられて観に行ったが、展示が仰々しくて白けてしまった。きちんと観たのは第一回廊までで、インターバルの長編フィルムは最後まで観ずに、第二回廊では足を止めることがなかった。
自然をあるがままに撮影したというが、どうにも作為的に見えた。1,900円という入場料も安くない。でもそのうちの1/3が、坂茂さんの建築鑑賞代だと思えば気が済むか。
そのあと東京ミッドタウンを少し散策。彼方に東京タワーが見える公園が気持ちよかった。これでもかというほど並んだ高級ブティックにはうんざりしたが、とらやの巨大な暖簾は美しく、MUJIには新しい息吹を感じたりした。

エスケイプ

用事で大阪へ戻ったが、なんだか妙な気分。埼玉での暮らしが霧に包まれたようにぼんやりしている。いま書きながら思い返しても一向にはっきりしない。嫌なことがあると、それを忘れようとして、そのときの記憶がスッポリ抜け落ちてしまう。むかし何かで読んだ憶えがある。
仕事漬けだった。忙しくても、その仕事にやりがいがあればまだ救われるのだが、悲しいかなまったくなかった。やる気がなく、ずる賢く、非協力的で自分勝手、悪いことをしているのに素知らぬ顔で、定時が過ぎれば酒を食らう。こんな人たちを相手に仕事をしている。
世の中には色んな人がいる。これがこの仕事のただひとつの収穫となるだろう。

救いの言葉

いま心に響く言葉は、「がんばって」「がんばります」
前者はいまの状況を知っている家族や友人からの言葉。電話や手紙に励まされる。後者はあるテナントの現場監督の言葉。いわゆる天然者で、ミスターナチュラルというあだ名を命名した。
体が大きく色黒で、現場監督のお手本のような風貌なのに、性格は天然という面白いやつ。事あるごとに事務所へやってきては、ああだこうだとうるさいが、なぜか憎めない愛くるしいやつ。そんな彼が会話の最後に必ず言う言葉が「がんばります」「午後もがんばります」「明日もがんばります」満面の笑みでそう言うので、こちらもつられて「がんばって」と返す。
峠は越えたが課題は山積。そんな状況にミスターナチュラルがいてくれて救われている。

さいたま新都心

埼玉に来て3週間。毎日があっという間に過ぎてゆく。
今日は休日だったが、午後からどうしても現場へ行かなければならなくなった。別所沼公園に建つ『ヒヤシンスハウス』を見に行こうと思っていたのに。
立原道造さんは無知に等しいが、『ヒヤシンスハウス』は知っている。彼がひとり週末を過ごすわずか5坪足らずの簡素な小屋。彼が若くして他界したので、実現されなかったと聞いていた。
ところが数日前に手にした『暮らしの手帳』に『ヒヤシンスハウス』のことが載ってあり、実際に建てられていると知った。しかもその場所がここから数駅しか離れていないという。
今日はポカポカ陽気で絶好の日和だったが仕方がない。楽しみはあとにとっておこう。
仕事を終えてまっすぐ帰るのは空しかったので、堀部さん特集の『住宅建築』でも買おうと、はじめてさいたま新都心へ行った。日が沈んでいてよくわからなかったが、さいたま新都心は駅前にショッピングモールがあり、シネコンがあり、さいたまスーパーアリーナがあった。行政庁のビルが林立していて、まるでミニ新宿のような景色。空々しい街だと思った。

投入堂

一昨日ドキュメンタリーで放送していた『投入堂』。鳥取県は三徳山三佛寺にある国宝。
ずいぶん前から訪ねてみたいと思っているが、いまだに実現していない。番組を見たあと、この休みに行こうと刹那に思い立ったが、冬の間は閉山だそうだ。代わりに土門拳の『古寺を訪ねて 東へ西へ』を引っ張り出し、鬼気迫る名文『投入堂登攀記』を読み返して慰めた。
このお堂が建てられたのは、1300年前の平安時代後期だそうだ。山のふもとで組み上げたものを、役小角(役行者)が法力でエイッと投げ入れたというのは有名な伝説。
この建築はなにかと興味深い。日本仏教の信仰対象のひとつ、蔵王権現を安置するために建てられたが、屋根は流造。修験道が神仏ともに信仰していた証しだろう。
最近になって、このお堂はかつて彩色が施され、垂木には金の装飾が施されていたと書かれた記録が見つかったそうだ。でも京にあるのならまだしも、このような山奥の岩窟にあって、しかも修験道の修行の場だというのに、なぜそこまでする必要があったのだろうか。
建立された平安時代後期は、大寒のために飢餓や疫病が蔓延していて、その原因が政治や怨霊だと信じられていた。だから信者たちは神仏が住む山の頂に近い場所にお堂を建て、華麗な彩色や装飾を施し、崇め奉ることによって災いを鎮めようとしたのではないかとのこと。