おもちゃ

携帯電話を買い換えた。3年くらい使っていたが、バッテリーが持たなくなっていた。昨夜充電したにもかかわらず、5件電話をかけただけでバッテリーが切れた。このあとも電話をかけなければならず、乾電池式の充電器で急場をしのごうと店に入ったものの、なかなかよい値段がしたので購入は中止し、隣にあったauショップで新調したというわけだ。
ところでいまの携帯電話はいったい何なのか。ずっとソニーエリクソン製を使っているが、最新機種はウォークマンと化していた。いまは音楽携帯がトレンドだそうだ。
そんなものはいらないので、ひとつ前のソニーエリクソン製にしたのだが、機能がたくさんあってわからない。PC版のウェブサイトが見られるというが、こんなに小さな画面でどうやって見るというのか。テレビのリモコンに早変わりって、そんなもの必要ないだろう。
うれしい機能はFMラジオ。関西のラジオ局すべてがクリアに聞こえる。音質もそこそこ。音楽はiPodがあるのでこの携帯電話を使うことはないが、ラジオは重宝するかもしれない。
それはそうと、auショップの方は躾がなっていない。手続きをしている間、隙を見ては他の客の相手をする。そしてパケット定額サービスの勧誘。メールもEZwebもほぼ利用しないし、ナビウォークや着うたフルなど使い方すらわからないと言うのに。問答の末あきらめたと思ったら、高額請求がきても文句は言わないと誓約書にサインを求める始末。やれやれ。
さっきニュースが伝えていた。第4世代が普及する2010年には、充電プラグの形がキャリアを越えて統一されるそうだが、そんなもの当たり前。最初から同じにしておきなさいよ。

飛び火

先の耐震偽装問題を受けて、違法行為に対する罰則が厳しくなったが、どうやら建築士制度の抜本的な見直しも行われるようだ。予想はしていたが、その内容が面倒なことになりそう。
一級建築士にもう一度試験を受けさせ、合格すれば引き続き一級建築士の座を与え、不合格なら新設する準一級建築士、あるいは二級建築士へ降格させるというのだ。
これはたまらない。15年前、独学ではぜったいに受からないだろうと、大枚はたいて予備校へ通ったが、何度もくじけてあきらめそうになった。でもそれでは授業料をドブに捨ててしまうと、一発奮起してなんとか手に入れた一級建築士免許。それを剥奪されるかもしれない。
おそらく次は受からない。あのときとは異なり脳細胞は衰えているだろうし、いまさら暗記などできない。きっと中年や老年建築士の暴動が起こるにちがいない。
素案にはこんなことも書いている。意匠、構造、設備をそれぞれ専門資格化し、試験に合格した真の一級建築士だけがすべてを統括することができる。言い換えれば、下級資格者は意匠、構造、設備のいずれかに特化していればいいということか。
この際確認申請書の様式も変えればよい。意匠、構造、設備それぞれの設計者をきちんと書くべきだ。そうすれば責任がはっきりして悪いこともできないだろう。
いずれにせよ、お上は性急な結論を出さず、実務者のことを考え熟慮してほしい。

板谷波山

テレビで『HAZAN』を観た。板谷波山という陶芸家のことは無知だった。興味があったのは役者のほうで、榎木孝明さんの演技を見たいと思っていた。テレビでは紀行番組しか見たことがなかったが、折り目正しく、立ち居振る舞いの美しい人と聞いていた。
監督は、『地雷を踏んだらさようなら』や『みすゞ』を手がけた五十嵐匠さん。実在した方の生き様を飾ることなくストレートに描かれる。本作でも貧しい部分を包み隠さない。だから波山の陶芸にかける一途な情熱や、彼を支える家族の日々の暮らしがいきいきと映し出されている。
妻のまる役は南果歩さん。波山が静ならまるは動。外面だけでなく内から躍り出る明るさ。この明るさがあるから貧しくてもやっていける。そして夫の才能を信じている。米代が払えず、米屋に「いくら立派な茶碗を作っても飯が入っていなければしょうがない」と罵られても、「わたしは米が入っていなくても夫の立派な茶碗のほうがいい」と突き返す。
完全な形を求めるために、器を自分で作らずろくろ師にまかせていたそうだが、そのろくろ師の腕が立っている。波山がさらりと描いたスケッチ通り、寸分違わぬ形に仕上げてしまう。このろくろ師を演じたのは名バイプレイヤー・康すおんさん。迫真の演技に息をのんだ。
五十嵐監督と榎木さんが再び組んだ作品『アダン』がまもなく公開される。50歳で単身奄美大島へ渡り、死に物狂いで描き続けた孤高の画家・田村一村の物語。画家でもある榎木さんが監督に売り込んだそうで、予告編からも気の入れようが伝わる。

DHAKA

第七藝術劇場で『MY ARCHITECT』を鑑賞。評判どおりとてもよかった。
建築家としてのカーンや作品はある程度知っている。この作品で見たかったのは彼の人となり。実の息子が手がけるというので、包み隠さず語ってくれるだろうと期待した。
カーンの3つの家族、カーンを知る建築家たち、ペンシルヴェニア駅での第一発見者、タクシードライバー。さまざまな方へのインタビューにより、彼の実像をまざまざと伝えていた。
何もなかった場所に、足掛け23年間コンクリートを運び続けて完成したバングラデシュ国会議事堂。貧困な国に立派な建物はいらないと抗われても、だからこそ人々の精神の拠り所が必要だとカーンは説いた。議事堂で行われたインタビューで、「彼がこの地で成した偉業は我々の誇り」「彼は我々に民主主義を与えてくれた」と目を赤くして訴えていた人たち。
観終えてふと思った。私はこのままこの仕事を続けてよいのだろうか。カーンにはなれない。性質が違うし努力が足りない。それでも私は人々に愛される建築を作ることができるだろうか。人々に愛される人になれるだろうか。
カーンは遅咲きの巨匠だった。名を世に知らしめたのは56歳の時。大学のゼミの先生は、50歳を過ぎてようやく一人前だとおっしゃっていた。時間はまだある。修練を積んでいきたい。

ほほ笑みはアルバムの中へ

上田義彦さんの新しい写真集。『at Home』―13年間の家族の記憶。
ご本人が撮影したご家族の写真を収めたものだが、驚いたのは、上田さんの奥様は桐島かれんさんだったということ。いま流れているお茶のCMを見るたび、あいかわらずおきれいでと眺めていたが、結婚していて4人のお子さんまでいらっしゃったとは。
写真はかれんさんのお腹がふっくらしている場面からはじまる。お子さんが生まれ、ハイハイし、ヨチヨチ歩き、遊んで、笑って、泣いて……日々成長する4人のお子さんたち。
かけがえのない時間がモノクロームの写真に切り取られていて、時々添えられるかれんさんの日記も味わい深い。そして巻末に書かれた上田さんの言葉に泣ける。

写真の中で家族がほほ笑んでいる。一刻、一刻、過去となり、忘れ去られてしまう運命にあるなんでもない日常のなかに、二度と見ることの出来ない大事な小さなほほえみがある。写真はそれを鮮明に記憶してくれる。(中略)それより誰かがちょっとうれしそうな顔をしているのを見つけると、そそくさとカメラを手にとる。だから自然とアルバムの中には、小さなほほ笑みがたくさんつまってゆくのだろう。悲しみは忘却のかなたへ、ほほ笑みはアルバムの中へ

at Home

中村さんと仲間たち

先日放送した中村好文さんの『プロフェッショナルの流儀』を繰り返し観ている。中村さんの仕事にはとても共感するし、中村さんの人となりは私の願望。なかなか彼のようにはなれないが、思うことは同じ。自分が楽しくなければ相手に何も与えられない。
家に仕えるとは素敵な言葉だ。クライアントのために家を設計するが、その前によい家をつくりたい、よい建築をつくりたい。それはいまファッション誌を賑わしているフォトジェニックなものや、建築家やクライアントのエゴとは無縁のもの。ただよい家のために働く。
今週から阪急百貨店で『欲しかったものできた展』が開催される。これは中村さんがリーダーとなり、彼の親しい作家たち(赤木明登、小泉誠、坂田敏子、高橋みどり、永見眞一、前川秀樹、三谷龍二、山口信博)を集め、生活を楽しく豊かにしようと開発したプロダクトの発表会。
じつに中村さんらしい展覧会。小泉誠×山口信博、前川秀樹×三谷龍二、赤木明登×坂田敏子×中村好文によるトークセッションもあるそうで、いまからとても楽しみ。
ちょうど同じ期間に、奈良のくるみの木も出張ショップを開くそうで、こちらも楽しみ。