リーチ先生

背表紙の厚さに尻込みし、ずっと積読していた。はじめての原田マハさん。美術にまつわる著書が多いので、何者だろうと思っていたのだが、目が回るような経歴をお持ちで、バイタリティあふれる方のようだ。兄が原田宗典さんだそうなので、なるほど血は争えないと腑に落ちた。
物語はバーナード・リーチの来日から、リーチポタリーの開設、関東大震災を機に帰国するまでの部分を、架空の弟子・沖亀乃介(カメちゃん)が主人公となり語るというもの。
リーチの人生の通りに物語は進むが、架空の出来事が上手に描かれていて、プロローグの小鹿田の場面からいきなり惹き込まれた。民藝に興味はあっても人物については不勉強なので、リーチの交友関係をまとめて知ることができたところもよかった。
読後に『バーナード・リーチ日本絵日記』を読み返したのだが、架空の人物だと思っていたカメちゃんのモデルが実在していた(P45)。森亀之助という方。似ている。1ページに満たない記述なので詳細は不明だが、修業と書いてあるので弟子だったのだろう。
カメちゃんについては読みながらずっと引っかかっていた。ネガティブな部分が一切描かれないので、フィクションとはいえ出来すぎではないかと。いくらみなさんに可愛がってもらったとはいえ、少年が裸一貫で弟子入りしたわけで、何らかの苦難があるだろうと。
1ページに満たない記述の全文。最終行から察するに、陶芸をはじめる前までだったようだ。

気の毒な亀ちゃん!君の人生の目的はなんだったのだろう。 かつて君がまだ十三歳の頃、私のエッチング画の載っている新聞を片手ににぎりしめ、ぜひ私の弟子か下働きにしてくれと頼みにやって来なかったら、君の一生はもっと幸福だったのではなかろうか。
彼はいつも「そうじゃない」と言っていた。 あのころ私にもっと洞察力と将来への見通しがあったら、一文なしの子供が外国人のもとで藝術の修業をするということは、彼の将来をただ困難にするだけだということがきっと判ったに違いない。しかし、それに気がついたのはその後二、三年してからで、時すでにおそかったのだ。 私は当時、その結果が早発性痴呆症やこのような孤独や失敗をもたらそうとは夢にも考えなかった。
亀ちゃんは藝術を愛し、ウィリアム・ブレークやセザンヌやヴァン・ゴッホを愛した。 そして、精神病院に引取られる前には、うまい絵を何枚か描いた。かわいそうな亀ちゃん!

装丁と装画は佐藤直樹さん。カバーや表紙のイラストはリーチの画だが、よく見ると微妙に異なる。佐藤さんの模写だろうか。だから装画とクレジットされているのだろうか。
初出は地方新聞の連載だったそうで、佐藤さんの挿絵がついていたようだ。毎日更新で1年続いたそうなので、かなりの画があるのではないか。出版社の特設ページにはその挿絵と思しき画がいくつか掲載されているが、どれも味わいがあり好みの画風。本作にもまんま掲載してほしかった。今からでもいい、山口晃さんの『親鸞』のように全挿絵集を出してくれないか。