アリス=紗良・オットと石山寺

はじめてクラシックコンサートを鑑賞した。最近聴きはじめたアリス=紗良・オットさんのピアノ・リサイタル日本公演。滋賀にも来るというので、生演奏を聴いてみたいと思った。
直前に知ったのでよさそうな席は埋まっていたが、はじめてなのでB席でよいかと思った。でもはじめてだからこそよい席で聴こうと思い直し、1階最奥のS席に。端のほうならもっと前が空いていたが、中央に置かれたピアノ1台と向き合うので、中央で聴くのがよいだろうと思った。

せっかくなので、会場に近い石山寺を参拝。京阪電車石山寺駅から瀬田川沿いを歩く。琵琶湖唯一の出口は大きい。瀬田川は宇治川、淀川と名前を変えるが、河川法上は全域淀川だそうだ。京阪電車で宇治川を渡るとき、看板に淀川とあるので不思議に思っていた。
調べついでに面白いものを見つけた。巨椋(おぐら)池。歴史好き、秀吉好きなら知っているのかもしれないが、どちらも疎いので無知だった。京都競馬場の建設工事をGoogleマップの航空写真で見たときに、東側に広大な農地があることに気がついた。そこだけぽっかり農地なので不思議に思っていたが、むかしそこには巨大な池があった。国営干拓事業第1号だったそうだ。
その巨椋池がブラタモリで取り上げられていたと知り、NHKオンデマンドで視聴しようとしたが、ブラタモリは過去の放送が一切アップされていない。出演者の許可関係のせいではないかということだが、撮影前に許可を取っておけばよいことではないのだろうか。

歩きはじめてすぐ大きな水路に遭遇。大津放水路だそうだ。この先8つの川とつながっていて、それらの川が増水すればこの水路へ放水され、瀬田川へ流れる仕組みだそうだ。数本架かっている梁は、大量の水が高速で流れてきたとき、その勢いを減衰させるためのものだとか。

10分ほど歩くと東大門へ到着。曇天と生い茂る樹木のせいで、志納所のあたりがそら恐ろしく感じたが、石段を上るといくぶん空が明るくなり、気分もよくなった。

国宝本堂。大きいので一度に全貌を観ることができない。南へ回ると懸造が見えるが、防護柵や周辺環境のおかげで魅力は半減。仕方のないことだが。

入口横の花頭窓をのぞくと紫式部がいた。ここで源氏物語を書きはじめたそうだ。

寺の名称のもととなった硅灰石の見事な景観。石灰岩が花崗岩による熱変成作用を受けると、多くは大理石になるが一部は硅灰石になるそうだ。ウェブの検索結果が石山寺関連ばかりなのは、一般に「珪」を用いるところ、石山寺だけ「硅」を用いているから。大理石が含まれているので、この岩山はむかしはもっと白かった。芭蕉の句にそのことが書かれているとか。

もう1つの国宝多宝塔は、余すところなく鑑賞できる。美しいプロポーションと量感。
源頼朝建立との伝承があり、現存最古だそうだ。本尊の大日如来坐像は快慶作で重文指定。
時間が来たので石山寺駅へ戻り、また京阪電車に乗って石場駅で下車。今回はじめて浜大津駅から東の路線に乗ったが、京津線のように小さなカーブが多く楽しい路線だった。

コンサート会場は滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール。設計は佐藤総合計画だそうだ。
大津市役所は創業者である佐藤武夫さんの設計。滋賀県の仕事で何度か訪れた。ラーメンを強調したモダニズム建築だが、ファサードが均一でなく様々な表情を持っている。時計塔も恰好よいし、素敵な建築だと思っているが、最近のニュースで移転建て替えが決まったそうだ。
耐震性に問題があるとして2004年から議論がはじまり、訪れていたときもその話は耳にしていたが、2016年にDOCOMOMOに選ばれたので、耐震改修をして使い続けるものと思っていた。
佐藤総合計画の仕事に詳しくないので、コンサートホールも設計するのかという思いだったが、佐藤武夫さんは音響設計の第一人者でもあったそうなので、だから任命されたのだろうか。
施設のレストランの日替わりランチが美味しそうだったので、ぜひ食べたいと思っていたが、この日はやっていなかったようで、ビーフシチューしか残っていなかった。

リサイタルの演目は、最新アルバム『Echoes Of Life』の再現。ショパン:24の前奏曲OP.28の全曲と、7つの間奏曲。いまさらこの作品を録音することにためらったが、自分が影響を受けた曲などを間奏曲として挿入すれば、自分らしいアルバムになるのではと制作を決めたそうだ。
演奏時間はアルバムと同じ70分。期待が膨らみすぎたのか、それとも感情が褪せてしまったのか、心が震えたり、鳥肌が立つようなことはなかった。彼女のインスタグラムで、鑑賞者の投稿を集めてストーリーズにしているが、それらの投稿には私には思いつかない賞讃の言葉が並んでいて、これがクラシック音楽に親しんでいる者とそうでない者の違いかと落胆した。でもアンコールのサティ: グノシエンヌ第1番はよかったので、単に曲の好みなのかもしれない。
演奏とともに流れていた、ドイツの友人建築家が制作したという映像がなければ違ったかもしれない。CGでつくられた抽象的な建築や造形物の映像なのだが、本棚で埋め尽くされた空間は映画『インターステラー』の5次元の空間を彷彿とさせ、水盤のある空間はタレルや豊島美術館を彷彿とさせ、キリコの広場を彷彿とさせるものもあったりし、白けてしまい集中できなかった。

太山寺、浄土寺、鶴林寺

神戸市に国宝建造物はあるのだろうか。調べると1件だけあった。地下鉄総合運動公園駅から徒歩30分のところにある太山寺。本堂が国宝だそうだ。他にないか調べると、小野市に浄土寺、加古川市に鶴林寺があったので、まとめて参拝することにした。

総合運動公園駅の北側は巨大な流通団地。山あいの土地開発でよく見る景色。その流通団地の北端まで歩くと、太山寺の案内標識が刺さっていたが、民家の表札ほどの大きさで雑草に埋もれていた。錆びないようステンレスでつくったのだろうが、黒文字が見えづらかった。
太山寺は谷にあるのでずっと下り坂。楽でよかったが、帰りを思うと憂鬱にもなった。

山裾の大屋根が太山寺だろうか。川は伊川と言うそうで、それで井川谷なのだ。

太山寺仁王門。他所にあったものを移築したそうで、元々楼門だったようだ。地垂木の先が見えているが、門の反対側には当初の三手先の組物と軒の復元模型がある。

往時をしのばせる参道が美しい。右側は塔頭だが、むかしは40以上もあったそうだ。

石段の先の中門をくぐると志納所。開門時間ちょうどに着いたので、他に参拝者がいないどころか志納所も留守。大声で呼びかけると、掃除用具を持った白川由美似の女性がやってきた。

国宝本堂。屋根は銅板葺き。降棟や隅棟がやわらかい。雅な印象を与えるお堂。

撮影禁止の掲示がなかったので1枚だけ。外陣ががらんどうなので建築がよく見える。

三重塔は1688(貞享5)年の建立だそうだ。屋根の逓減はほぼないが、立面は安定している。
次は浄土寺。最寄り駅は神戸電鉄小野駅だが、ここから神戸電鉄の最寄り駅が遠い。山向こうにあるので、山裾を周回して徒歩2時間、山越えだと3、4時間かかるようだ。
条件を変えて検索すると、地下鉄とバスを乗り継ぎ数駅先まで行けるルートを見つけたが、その先の神戸電鉄の時刻を調べて驚いた。昼間は1時間に1本しかなかった。
結局湊川まで戻り神戸電鉄に乗った。バカみたいに遠回りだったが、複数の地図アプリが同じルートを示したので従った。小野駅から浄土寺までは歩きたかったが、このあたりはどうしようもなく不便だった。最後の鶴林寺へは粟生駅でJR加古川線に乗り換えるが、JR加古川線も1時間に1本しかなかったので、徒歩だと浄土寺に30分しか居られない。タクシーに乗った。

国宝浄土堂。屋根が低く抑えられているが、この中に高さ5.3mの中尊阿弥陀如来像、高さ3.7mの脇侍観音菩薩像と勢至菩薩像の三尊が安置されている。いずれも快慶作で国宝だそうだ。
開祖は重源。源平合戦南都焼討で焼失した大仏と大仏殿再興の責任者。この大事業のために全国7カ所に設けた拠点寺院(別所)のうち、播磨別所として創建されたのが浄土寺だそうだ。
別所の役目はわからないが、このお堂の役目は大仏殿建設の実験台。重源が考案した大仏様の試作として建てられた。貫や挿肘木などにより柱間を広くし、天井を貼らずに高さを確保した。

東北角。右側手前の低い扉が入口だが閉まっていた。説明板の下に括りつけられた手製のボードを見て驚いた。12時から13時まで昼休みだった。Googleマップにもそう書いてあるが、まさか昼休みがあるとは思わず見落としていた。せっかくタクシーで時短したのに無意味となった。

西南角。左側の西面はすべて蔀(しとみ)戸。夕方になると陽が差し込み、床に反射し、屋根裏を照らし、堂内が光で満たされるそうだ。西を背にした三尊の足元には雲が彫刻してあり、まるで西方極楽浄土から飛雲に乗り、来迎するかのように見えるのだとか。
今日は見ることができないが、夏から9月下旬までの快晴の日が最もきれいに見えるそうなので、その頃に再訪し、重源と快慶がつくり上げた世界を体感したい。

隅の垂木が扇状に並んでいる。美しいのはもちろんだが、隅木でなく棟木につながっているので構造的に強いだろう。軒丸瓦と軒瓦には南無阿弥陀仏の浮彫。はじめて見た。
境内をひとまわりしても13時にならなかったので、裏山の四国八十八カ所参りをしたらえらく時間がかかった。案内板に30分かかると書いてあるのに読んでいなかった。13時になるのに出口が見えなかった。でも途中でやめたくなかったので、最後は走りながら参拝して回った。

コースにはたくさんの紫陽花が植えられていて、早咲きの株がちらほら。後ろは薬師堂。
遅れたせいで、浄土堂の拝観は立ち止まることなく三尊を一周しておしまい。出発時刻も過ぎてしまった。帰りは歩くつもりなのでタクシーを呼んでいないし、いまから呼んでも間に合わない。だから歩いた。Googleマップナビに到着予定時刻が表示されるが、いくら早歩きしても列車の時刻より早く着かないので、最後は走ったら2分前に着いた。ぎりぎり間に合った。

粟生駅ではじめてのJR加古川線に乗り換え。型は古いが神戸線や京都線より洒落ている。
鶴林寺はJR加古川駅から徒歩30分。寺の周囲は大きな公園になっていて、休日だったのでたくさんの人がいた。国土地理院の航空写真では、1961年にはすでに整備されていたようだ。

仁王門。左側に三重塔。予習を一切してこなかったが、七堂伽藍の残る大きな境内だった。

国宝本堂。和様と禅宗様が混在。蟇股、組入天井、桟唐戸、軒の反り、海老虹梁。

国宝太子堂。宇治上神社拝殿と同じさざ波形の屋根がかかっている。やはり縋(すがる)破風というそうだ。宇治上神社拝観後、屋根について調べていてこのお堂のことを知った。宇治上神社拝殿のほうはよくわからなかったが、こちらは増築の痕跡がいたるところに見られた。

常行堂は重要文化財。太子堂に似ていると思ったら、同年代の建立だそうで、屋根も当初は檜皮葺だったそうだ。本堂を挟み対の位置にあるので、シンメトリーを考えたのだろうか。

最後に宝物館。10年前にできたそうだ。目立たないよう外壁を墨色のモルタル塗りにしたのかもしれないが、塗りムラが目についた。この玄関もきれいではない。杉板がまばらだったようだ。
模型は太子堂。架構が完全に再現されているようで、右側の増築部分がよくわかる。
床が高くなった部分は仏壇だそうで、もはや煤けて肉眼では見えないが、後壁に九品来迎図と仏涅槃図が描かれているそうだ。赤外線写真で判明したそうだが、展示室にはそれを元に製作した再現模型が展示してあり、鮮やかな色彩と見事な画に魅了され、ずっと眺めていた。
突然照明の照度が落ち、空調が止まった。受付のおじさんがやってきて、「閉館時間です」と告げられた。17時閉門ではないのかと問うと、宝物館の閉館は16侍30分だそうだ。それなら志納所で注意してほしかった。それより客がいるのに設備を止めるとは失礼だろう。

頭塔

奈良で『頭塔』を鑑賞。手前のホテルが解体され、全貌はいつでも観られるようになったが、石仏は囲いの中へ入らなければ観られない。GWの特別公開を楽しみにしていた。
その前に春日大社の国宝殿へ。前回訪れたとき前を通ったが、建物のかたちは古めかしいのにきれいなところが気になっていた。オリジナルは谷口吉郎さんの設計で1973年にできたそうだが、第60次式年造替の記念事業の一環として、2016年にリニューアルされたそうだ。
隈さんの事務所にいた方が改修設計を担当したそうだが、どうりで新築のトイレ棟が隈さんの意匠に似ていると思った。この方根津美術館を担当していたそうだが、春日大社の方が各地の美術館を巡るなかで、根津美術館を気に入り白羽の矢が立ったのだそうだ。

最初の部屋はインスタレーション。神の気配を感じるような静の空間をつくってほしいと要望を受けたそうで、水滴が落ちる水盤やワイヤーを何層も重ねたスクリーンに、御蓋山や春日大社の映像が映し出されていたが、遊園地やテーマパークなどの出し物のようで、春日大社には相応しくないと思った。春日大社の神々しさは、境内に立つだけで感じられる。
部屋は漆黒の暗闇。明かりは映像だけなので、暗所では目が見えづらい者には優しくない。

鼉太鼓(だだいこ)ホール。毎年『春日若宮おん祭』で使用されるそうで、最頂部まで6.5mもあるとか。これは複製された2代目だそうで、オリジナルは国宝として2階に展示されていた。

どのように運び出しているのか気になった。サッシは開かないようだし、他に運び出せそうな開口は見当たらない。床が下がっているのは天井に収まらないからだろうが、その床がさらに下がり、サッシの下につくられたトンネルを通って運び出すとか。受付の方に聞いてみると、バラバラに分解するのだそうだ。床が下がっているせいで妄想が膨らんでしまった。

土産は春日権現験記絵の冊子。図は小さいが全巻の解説がついていて、素人の好き者にはこれで十分。若宮特別公開のパンフに掲載されている十巻『林懐僧都事①』の図もあった。
春日荷茶屋でよもぎと筍の万葉粥をいただき、空腹がおさまったところでいよいよ頭塔へ。

東側のホテル跡地からの眺め。頂部に立つ五輪塔はあと乗せだそうだ。

入口は南側。古寺の山門のような趣き。周囲になじんでいる。扉の左には子安地蔵さま。
門をくぐると目の前に石段。かなり上まで続いている。ホテル跡地では1.5mくらいしか上がっていないので、なぜこんなに上がっているのかと不思議だった。

石段を上ったところ。1255(建長7)年に大江親通が書いた『七大寺巡礼私記』に、”玄昉僧正の頭を埋めたので頭塔という”と記されたことから首塚伝説が広まったそうだが、現代の調査研究では東大寺の僧実忠が、767(神護景雲元)年に造営した土塔というのが通説になっているそうだ。
でも発掘調査の結果、内部に一回り小さな遺構が見つかり、実忠以前にも造営されていたことがわかった。さらにさかのぼるとここは元々古墳で、その上に築いているのだそうだ。

1922年に国の史跡指定を受け、1987年に一般公開を目的に発掘調査がはじまったそうだ。1991年からは復原整備も並行して行われ、2000(平成12)年に現在の見学設備が整備されたそうだ。
緑がこんもりした部分は発掘していないそうだ。南側は崖になっているが、近くに民家があるので崩落したら大変だし、樹木が繁茂する遺跡としての美しさを残したかったそうだ。

石仏とご対面。28基確認されているが、未発掘分を合わせて44基配置されていたのではないかと。この石仏は『浮彫如来及両脇侍二侍者像』だそうだが、いただいたパンフレットによれば、重要文化財に指定されている22基のほぼすべてが三尊仏。

回廊の北側の真ん中は広くつくられていて、ベンチに腰掛け眺めることができるようになっていた。発掘と整備についての概要パネルが掲示してあり、ボランティアガイドがいらっしゃった。石仏について伺ったら、話し甲斐があると思われたのか、様々なことを教えてくださった。

概要パネルに描かれている復元予想図。塔なので相輪があったであろうということか。
予定より早く観終わったので、駅へ戻る途中十輪院と元興寺へ立ち寄った。

十輪院国宝本堂。見るたびハッとする、低く抑えられたプロポーション。かのブルーノ・タウトもお気に入りで、著書『忘れられた日本』の奈良の章で紹介されている。

一般に外国人は、官庁発行の案内書やベデカーなどに賞讃せられているような事物に、東洋文化の源泉を求めようとする。しかし奈良に来たら、まず小規模ではあるが非常に古い簡素優雅な十輪院を訪ねて静かにその美を観照し、また近傍の風物や素朴な街路などを心ゆくまで味わうがよい。それから建築の貴重な宝石とも言うべき新薬師寺に赴いて、何よりもまずそこの門や塀、植込などに見られる、えもいわれぬ自然的な美しさを仔細に鑑賞せねばならない。そうすると奈良の文化を、その源泉からじかに汲んだことになり、ここに初めて諸他一切のものに対する判断の標準を身につけることができるであろう。

ブルーノ・タウト『忘れられた日本』

新薬師寺のくだりは関係ないが、私も大好きな寺院なので省略せず掲載。

元興寺東門。もともと東大寺西南院にあったもので、元興寺が現在の区画に整理されたときに移築されたものだそうだ。右手の土塀の仕上層の剥離は、歴史が垣間見れて面白い。

国宝極楽坊本堂。堂々とした佇まいだが、じつは大改築の末の姿だそうだ。旧伽藍の僧坊の3房分を用い、南北に増築し、寄棟造にしたそうだ。どうりで架構が変わっていると思った。

隣接する極楽坊禅室も国宝。むかしは僧坊として本堂と1棟だったが、現在屋外となっている1房分が切り取られ、西端の2房も撤去され、残った4房分で成り立っているそうだ。リニアなプロポーションと、リズミカルなエレメントの配置が心地よい。

妻面。二重虹梁蟇股の妻飾りが美しい。西と東で微妙に異なっていて面白い。

有名なアングル。色がまだらでゴツゴツしている部分が、飛鳥時代から奈良時代の瓦。都が飛鳥から奈良へ移る際、飛鳥寺のお堂も移築した。野趣に富むこれらの瓦は行基の考案。

もう一つの元興寺。先の元興寺は通称極楽坊で、こちらは通称塔跡。古代の元興寺は双方の敷地を含んだ大伽藍だった。そして現在の『ならまち』はすっぽり元興寺の寺地だった。

五重大塔の礎石。塔の高さは57mあったそうなので、東寺の五重塔より高かった。1859(安政6)年隣家の火災が延焼して焼失したが、本尊だった薬師如来立像は運び出し、国宝として奈良博へ寄託しているそうだ。 来月奈良博で展示されるそうなので、特別展と合わせて観に行こう。

無造作に置いてあった佛足石。

梅花空木(バイカウツギ)だろうか。

橿原神宮と明日香村

明日香村再訪は橿原神宮からスタート。境内にある文華殿と呼ばれる建物が現在修理中だそうだが、5/8まで見学できるそうなので、はじめての橿原神宮参拝を兼ねて訪れた。
前回明日香村を徒歩で回って時間が足りなかったので、今回は自転車を借りた。時間が余れば藤原京や今井町へ行きたかったので、飛鳥駅でなく橿原神宮前駅で借りた。自転車に乗るのは10数年ぶりだったが、なんだか下手になっていた。筋肉の衰えもあるのだろうか。

豪壮な外拝殿。できたのは1939(昭和14)年とまだ若い。橿原神宮の創建も1890(明治23)年だそうなので、まだ130年しか経っていない。民の請願により明治天皇がつくったそうだ。どの部分を担当したのかわからないが、設計には伊東忠太が関わっているそうだ。
イベントは『祈りの回廊』というウェブサイトで知ったのだが、特に記載がなかったので、見学は随時行うことができて無料だと思っていた。でも文華殿に着くとテントに人はおらず、工事用ヘルメットが並んでいるだけ。橿原神宮へ電話をし、外拝殿に受付があるというので赴くと、見学時間が定められていて、所要時間は1時間、初穂料2,000円ということだった。
せっかくなので参加した。まずは御幣をお供えするということで、通常入れない外拝殿の内へ。本来は内拝殿で行うそうだが、結婚式と被ってしまい、少し手前の広場でお供え。でも婚礼まで少し時間があると言って内拝殿へ案内してくれた。廻廊を通って外拝殿へ戻った。
文華殿へ向かう途中、鳥居がきれいだったので聞いてみると、2019年に改修されたばかりだそうだ。よく見ると、笠木、島木、額束は古材が再利用されていたが、気にならなかった。

ヘルメットをかぶり素屋根の中へ。瓦はすべて下ろされ、下地の杉皮が現れていた。この下地の状態を土居葺というそうだが知らなかった。瓦は見える部分は本瓦葺き、見えない部分は桟瓦葺きと葺き分けられているとか。素屋根のトラスが美しかった。

文華殿は元々天理市にあった旧織田屋形で、昭和41年に大書院と玄関を移築したそうだ。移築する前は小学校の校舎として使われていたそうだが、どのように使われていたのか気になる。
見学のあとは神武天皇陵を参拝。さすがは初代天皇、つくりが余所とは異なっていた。普通は1つだけの鳥居が3つあり、一の鳥居と二の鳥居には背の高い木製門扉がついていた。2つの鳥居の間には金属製の門扉がついていたが、桟はいつものバツ印ではなく縦桟。一の鳥居の門扉の上のほうがバツ印になっていた。材質やサイズが異なっても、最も手前の門扉はバツ印。何か意味があるのだろうか。単なる様式だろうか。ネットを検索してもヒットしない。
参拝のあとは、すぐそばにある奈良県立橿原考古学研究所附属博物館へ。

飛鳥宮の模型を見たかった。前回飛鳥宮跡を訪れたとき、一部しか整備されておらず全体をつかめなかった。ネットで図を見てもピンと来なかったので、ここなら模型があるだろうと。

様々な埋蔵品が展示されていたが、気に入ったのはこのコーナー。飾り馬の埴輪は知っているが、ほかにもいろんな動物がいた。そして飾り馬の埴輪はとても大きかった。

土産は『ASUKA BOOK』。ネットを検索してもさっぱり出てこなかったが、おそらくコクヨの野帳の特注品。カバーのイラストは飛鳥宮、インクはメタリックブルーと凝っている。
次は明日香村。最も遠いキトラ古墳から。徒歩だと1時間かかるが、自転車だと20分もかからなかった。でも古墳手前の上りはきつく、最後は自転車を降りた。情けない。

キトラ古墳は思いのほか小さかった。高松塚古墳と同じ二段式の円墳だが、直径が9m小さいそうだ。石室の壁画や出土品の保存管理を兼ねた展示施設があったが、2016年にオープンしたそうなので、展示のための設備が最新で、なかなか充実した展示内容だった。

隣接する展望台からの眺め。辺り一帯まで整備されていて、とても気持ちのよい場所だった。
上が鬼の雪隠、下が鬼の爼(まないた)。元々ひとつの石室だったそうだが、現在は丘の頂と麓で離れている。地震で転がり落ちたのだろうか。それとも伝説の鬼が動かしたのだろうか。
亀石。むかし大和が湖だったころ、対岸の当麻に湖を占領されてしまい、多くの亀が死んでしまったので、人々が亀に似せた石を彫り供養したという言い伝え。奈良盆地は湖だった。

もう一つの説は川原寺の四至、つまり境界標だったのではないか。飛鳥宮の時代、川原寺は飛鳥寺と並ぶ四大寺のひとつで、大伽藍だったそうだ。画像は川原寺跡。手前の礎石は南大門跡、その奥は中門跡、右の基壇は塔跡、最奥の伽藍があるあたりに中金堂があったとか。

酒船石。石のかたちや窪み、「サカフネイシ」のサカの音から当てた漢字のようだが、それよりブラタモリで学者が話していた「笹舟石」のほうが断然魅力的。
窪みに水を流し笹舟を浮かべ、舟がどちらへ向かうか。つまりは占い。別の道を下ると石垣の復元があるが、学者曰く、この丘は石垣で囲われた祭祀を行う斎場だったのではないかと。斉明天皇がこの石の前に立ち、笹舟を浮かべる様を想像してみた。

最後は藤原宮。Googleマップのナビを頼りに脇目も振らずこぎ続けたが、なかなかたどり着かなかった。それもそのはず場所を勘違いしていた。橿原神宮の真東にあると思い込んでいた。
天武天皇の飛鳥浄御原宮のあと、持統天皇がつくった最初の本格的な都なのに、国営の平城宮跡とは異なり広大な野原と柱の足元しかない。でも近所の方が犬の散歩をしていたり、子供たちが追いかけっこをしているのを見ると、このまま整備されないでほしいと思った。
奈良へ行く車窓から平城宮跡を見るたび、あそこまで復元する必要はあるのだろうかと思う。この3月には新たに大極門がつくられたようだが、どこまで整備すれば完了となるのだろう。近鉄の線路も移動が決まったようだが、そこまでしなければならないのだろうか。
自転車返却のリミットが近づいていたので、説明を読み写真を1枚撮っただけでおしまい。

一乗寺と書写山

書写山円教寺で杉本博司さんの展示を鑑賞。『オールひめじ・アーツ&ライフ・プロジェクト』という姫路市立美術館の企画だそうで、円教寺にある仏像と杉本さんの五輪塔を組み合わせたインスタレーション。会場となるお堂は三之院の常行堂。通常は非公開だそうだ。
書写山へ上る前に、訪ねてみたかった一乗寺へ寄り道。加西市にあるが、姫路駅からバスが出ている。この路線も本数が少ないので、先日の二の舞とならないよう早めに家を出た。

入口に山門はなく、見渡す限り伽藍もない。香炉や笠塔婆があるので寺とわかるが、香炉は焚かれておらず線香も置いていない。オブジェと化しているようだが、そんなことあるだろうか。

志納所を抜けると広場のようになっているが、この角塔婆の配置はどういうことだろう。何か意味があるのだろうか。それとも、単に石段や通路の中心に据えただけだろうか。
角塔婆の後ろに石段があるが、伽藍は石段を上った先にある。最頂部の大悲閣(金堂)までは161段あるそうで、その途中に常行堂や国宝三重塔が配置されている。

76段目にある常行堂。この寺のお堂はどれもよい具合に褪せている。

次の36段を上ると国宝三重塔。正面は引きがなく陰になっていたので、石段から撮影。
相輪の伏鉢に1171(承安元)年建立との銘があり、平安末期に建てられたものとはっきりしているそうだ。屋根の逓減率は法隆寺五重塔のように高い。前面に引きがないからだろうか。

最後の49段を上ると大悲閣(金堂)。大悲閣ははじめて聞いたが、大悲とは観音様のこころのことで、観音様を祀るお堂のことを大悲閣というそうだ。

大悲閣は懸造。外縁から見下ろした景色。三重塔の向かいは法輪堂。経蔵だそうだ。宝形造で海鼠壁、出入口に唐屋根の架かるごちゃ混ぜ建築だった。

緑に埋没するようなこの眺めはすばらしい。右手は常行堂。

奥の院の開山堂。この寺を開山した法道仙人が祀られているとか。宝形造に花頭窓。

その奥は賽の河原と名づけられた場所。大きな磐座の下にお地蔵様。せせらぎの向こうを見るとダムのようなコンクリートの壁があり、そこから流れていた。

入口に山門はないが、東西とも500mほど行ったところに古い山門があるようだ。山内をお参りしたあと見に行くつもりが時間がなくなった。バスのダイヤのせいで滞在時間が2時間もあり、消化できるか心配だったが使い切ってしまった。長居してしまう素敵な場所だった。

東隣は白漆喰塗りの塀が美しい歓喜院。一乗寺の塔頭だそうだが、国土地理院の航空写真によれば築20年程度。廃寺から復興したのだろうか。石垣はむかしからあるようだ。ちなみに、一乗寺は孝徳天皇の勅命により、650(白雉元)年に創建したとの言い伝え。

寺の前の歩道は石畳になっていて、これもこの場所の美しさの一助となっている。
一乗寺は10幅からなる『聖徳太子及び天台高僧画像』という国宝も所有しているそうだが、奈良博、東博、大阪市立美術館へ寄託しているので、寺では観ることができないようだ。
ネットを検索したところ、ちょうどいま京博の特別展で2幅が展示されているようだ。近々『神坂雪佳』展を観に行こうと思っていたので、そのときに合わせて観に行きたい。
寺宝といえば、志納所を入った広場の左側にある白漆喰塗りの建物はやはり宝物館だった。年に2日しか公開していないそうで、あとは事前に申し込めば鑑賞できるようだ。

次に向かったのは『姫路市書写の里・美術工芸館』。姫路城の大手門まで戻り、書写山ロープウェイ行きのバスへ乗り換えた。施設はロープウェイ乗場のすぐ北にある。

設計は宮脇檀さん。築30年になるそうだ。柱はなぜ朱色なのだろうと思っていたが、この建築は寺院なのだそうだ。円教寺にもインスパイアされているそうだが、よくわからなかった。

階段に泥でつくられた仏様が並んでいる。開設当初からの常設展示だそうだが、ダイナミックな空間にそぐわないと感じた。仏様をつくったのは、姫路市出身で東大寺別当を務めた清水公照さんだそうだが、この施設をつくるきっかけは清水さんの作品寄贈なのだとか。どうりで清水さんの作品が多数展示されていたが、どことなく施設を持て余している印象を受けた。

書写山ロープウェイ山上駅の展望デッキ。ロープウェイの乗車時間は約4分。
書写山には登山ルートが複数あり、優しいルートだと1時間で登れるそうなので、往復とも歩く予定にしていたが、急遽一乗寺を挿し込んだので、時間を稼ぐためにロープウェイへ変更。

志納所そばの広場にある石碑。書写山の麓に生まれた小説家椎名麟三の言葉を、親交のあった岡本太郎が書き写した。石碑の造形は、姫路で活動した画家小野田實によるそうだ。

仁王門。青もみじがきれいだが、門の存在を希薄にしてしまう。せっかくの三棟造なのに。

摩尼(まに)殿。一乗寺の大悲閣と同じ懸造だが、こちらは跳ね出しが大きく架構が華やか。摩尼はサンスクリット語で如意という意味だそうで、本尊は六臂如意輪観世音菩薩。
空が急に暗くなり、雨が降ってきた。しばらく待ったがやみそうにないので、ウィンドブレーカーのフードをかぶり、インスタレーションの行われている常行堂へ向かった。

インスタレーションは、阿弥陀如来坐像を五輪塔がぐるり取り囲むというもの。
常行堂とは、阿弥陀如来の周りをお経を唱えながら何日も歩き続ける行のためのお堂。五輪塔は僧が周回している様を表していて、歳を取り修行できない自分の代わりと杉本さん。
室内は暗かったが、場所によっては窓からの光が光学ガラスを射しプリズムをつくっていた。

阿弥陀如来坐像の後壁には来迎図が描かれていた。仏像が壁に寄りすぎて見えなかったそうだが、杉本さんが寺や文化庁へ掛け合い、四方柱の中央へ移動したそうだ。青色が多く残っていたが、むかし根津美術館で観た来迎図のような色彩だったのだろうか。
9/17からは能をテーマにした展示に替わるそうだ。同じ日から姫路市立美術館でも展覧会が開催されるそうで、テーマは本歌取り。円教寺を開いた性空上人の坐像も出品されるとか。

広縁へ出ると雨がやんでいた。モノトーンだった大講堂に色が戻っていた。それがとてもきれいだったので、胡坐をかいてしばらく眺めた。対面配置はすばらしい。

開口と開いた桟唐戸の三角がリズミカル。中央の開口の奥に鈍く光る釈迦三尊像。

常行堂の広縁。映画『ラストサムライ』では主に食堂が使われたが、映画『駆込み女と駆出し男』では東慶寺に見立て、常行堂、食堂、大講堂の三之院と、広場まで余すところなく使われた。原田監督は『ラストサムライ』に出演し、いつかここで撮りたいと願ったそうだ。
印象深かったシーンは終盤の大審問。大講堂で執り行われている審問を、常行堂の広縁で傍聴する尼僧や駆込み女たち。三之院の配置やお堂の奥行きを活かしたカメラワークが秀逸。引きの絵に挿される主演たちの寄りにドキッとする。田の中の乱入シーンも見ごたえがあった。

束の下端のかたちが面白い。狐かうり坊が梁をくわえているかのよう。

食堂の対面は姫路城主だった本多家の墓所。墓所がつくられる前は五重塔が建っていたそうだが、1331(元徳3)年の大火で焼失してしまったそうだ。三之堂に加えて五重塔、寶(たから)蔵まで建っていたそうで、さぞかし荘厳な景色だったことだろう。

奥の院開山堂の隅尾垂木で屋根を支える力士像。日光東照宮の眠り猫で有名な左甚五郎作との言い伝え。四隅のうちひと隅に像がないのは、重みに耐えかねて逃げてしまったからだとか。

帰り道の途中に雰囲気のある場所。瑞光院という塔頭だそうだ。これを書くのに『駆込み女と駆出し男』を見返したが、源兵衛が待つお寺の山門としてこの場所も使われていた。

最後は、まったくわからないが姫路市内の景色。嘘のように雨雲がなくなっていた。