DUNE リバイバル上映

109シネマズ大阪エキスポシティを訪れた。来月の『DUNE デューン 砂の惑星 パート2』公開を前に、全国のIMAX劇場でパート1がリバイバル上映されている。
ソフトを購入していないので見るのは久しぶりだったが、おかげで初めて見た時のような興奮と感動を味わうことができた。これぞフルスクリーンサイズのIMAX劇場のための作品。
エンドロールが終わったので、上着を着て席を立とうとすると、再び映像が流れ始めた。上映前にティモシー・シャラメとゼンデイヤがスクリーンに登場して、「上映後にパート2の特別映像があるのでお楽しみに」と言っていた。尿意を我慢していたのですっかり忘れていた。
映像は10分程度だっただろうか。尿意を忘れてスクリーンに見入った。予告にないカットがたくさんあって、ポールが初めて砂虫にまたがる場面を通しで上映してくれた。
映像が終始フルスクリーンサイズだったが、パート2は全編IMAXカメラで撮影されているそうだ。それはつまり全編通してフルスクリーンサイズで上映されるということだろうか。だとすれば映画館選びに迷わなくて済む。109シネマズ大阪エキスポシティのIMAX劇場一択。願わくば日に一度、いや週に一度でよいので、パート1+2の特別上映回を設けてはくれまいか。
帰りは阪急千里線に乗ったが、南千里駅で止まってしまった。京都線で人身事故が起きたそうだ。地図アプリを見ると真西に桃山台駅を見つけた。ルート検索をすると徒歩15分だったので降りた。30分は止まるだろうと予想したが、1時間半も止まっていたそうだ。

牡丹靖佳と織田有楽斎

市立伊丹ミュージアムを訪れた。一昨年にリニューアルオープンされたそうだが、リニューアル前は伊丹市立美術館だった。受付で変更理由をお聞きすると、市役所の建て替えに伴い市立博物館がこちらへ移転してきたそうで、それで美術館はやめてミュージアムとしたようだ。博物館は美術館のある北棟と旧家住宅のある南棟の間に増築して設けられていたが、久しぶりに訪れたので前の歩道を歩いていてもまったく気がつかなかった。

お目当ての展覧会は『牡丹靖佳展 月にのぼり、地にもぐる』。牡丹さんのことは松家仁之(まついえまさし)さんの小説『火山のふもとで』の装画で知り、それ以来注目しているのだが、作品は見たことがなかった。後述するギャラリーでは個展をされていたようだが、情報を拾えず逃していたので、Googleアラートにお名前を登録。数年経ちようやく本展の情報が届いた。

美術館に変更はないそうで、エントランスホールのこの壁も変わっていなかった。開催中の展覧会にまつわる掲示をするための壁。牡丹さんの直筆によるイラストが描かれていた。

a little confusion(2015)。展示室に入る前から目を引いていた黄色。『火山のふもとで』の装画かと思ったが、家へ帰って確認すると、色合いがまったく異なっていた。全作品撮影可能。

フウア=シュシュ(2002)。牡丹さんは1971年生まれ。19歳でアメリカへ渡り、ニューヨークで絵画を学び、1997年に帰国。帰国後は日本美術の面白さに目覚めたそうで、この作品にはそれが表れている。日本料理を営む家に生まれたので、日本文化や美に対する素養は備わっていた。外国で7年暮らしたおかげで、客観的に日本を見られるようになったのだそうだ。

たまのりひめ(2006)絵本原画。ロビーに絵本の実物が置いてあるので読んでみたが、独特の言葉遣いや節回しが面白い。購入したいと調べたが絶版。本作にも日本絵画の影響が見られる。

waterfall(2015)。1枚づつつぶさに見たあと、引いて見るとキャンバスそのものが滝だった。

house with red door(2018)。牡丹さんの絵の特徴は絵の具の垂れ。わざわざ描いているものもあるそうだが、それにしても垂れにはどのような意味があるのだろう。

night festival(2015)。白い部分は葉の落ちた樹木。スウェーデンでレジデンスをしていた時、森をさまよった経験があるそうだ。渡航も同じ年なので、向こうで描かれた作品だろう。

右:兎夜(2023)。牡丹さんの絵は明清色、暗清色、濁色と色相を意識してしまう。

おうさまのおひっこし(2012)絵本原画。『火山のふもとで』の次に手に入れた牡丹さんの作品。カヴァー画の荷物の細密さに驚き、リアルな物事も描かれるのかと感心した。

まどい(2012)。キャンバスはリネン。布地の地色で表現された背景。

garden(2015)。少しづつ異なる3枚。大判なので迫力がある。牡丹さんの絵の特徴は塗りつぶし。マッキーやコピックの広いほうで塗りつぶすような描き方をされる。

W(THAWW)(2017)。thawは英語で雪解けという意味だそうだ。雪に埋もれた生物の死骸や植物は、雪が解けると再び姿を表すが、元の姿は留めていない。移ろいゆくものの儚さや不確かさを描いた5点シリーズだそうだが、展示はこの1点のみ。ほかの4点も見たかった。

たびする木馬(2022)絵本原画とブランの模型。模型のことは出版社のウェブサイトにある絵本の制作日記で知っていたが、その実物を見られるとは思っていなかったので嬉しい。

日本庭園を作庭したのは、重森三玲さんの息子の完途(かんと)さん。阪神淡路大震災のときに荒れてしまったそうだが、孫の千靑(ちさを)さんが手直しをされたそうだ。
増築部分に面する庭がカラーコンクリート舗装に改修されていたが、なぜこのようなことをしたのだろう。がっかりした。千靑さんはご存じなのだろうか。

2階へ上がる階段から向こう側が増築部分。階段の手摺が折れているのは、1段目の広い踏面に合わせてのことだろう。段の寸法を変えるのはよくないが、納まり上やむを得なかったのだろうか。丸鋼を立て並べたり、ささら桁を両端ではなく中央に4枚並べたりとうるさい意匠。

地下フロアも変わりなかった。めいわくなボール(2020)絵本原画と、8点の作品が組み合わされた展示。中央にある暗色の作品2つはカーペットの模様。夜中に自分の足が見えないほどの暗がりなのに、カーペットの模様が見えるのはなぜだろうとキャプションに書かれていた。

左:おいかける人(花束)(2023)。右:おいかける人(ドライフラワー)(2023)。常設展示のブロンズ像『剣を持つ兵士』を見て制作。剣を振りかぶり駆けだそうとする姿が可愛らしく見えたそうで、剣の代わりに花を持ち、誰かに想いを伝えようとする男を描いたそうだ。

Annonciation(2021)。『受胎告知』の場面から聖母マリアだけを描いたそうだが、体の向きから大天使ガブリエルの方かと思った。背中に羽根が生えてあるようにも見える。

図録を購入しようとショップの方へ歩いていくと、展示室がもう1つあることを忘れていた。
プルートの呪いのための習作(おばけ)(2014)。テンペラ作品。オランダで学ばれたそうだ。テンペラは卵が臭うそうだが、自然農法のものに変えると臭くなくなったそうだ。

兎月夜(2023)。60号12枚・横5.8m×縦2.6m。展覧会のキービジュアルにもなっている大作。
以下はキャプションの引用。

満月の夜
月の影に飛び込んだ兎が月にのぼる
月にのぼった兎は命を失う
けれど、兎はおどる
月の光に照らされて、新しい命が生まれる

地上と天空
現実と虚構
現世と死後
物質とイメージ
それらの相反する世界が行ったり来たり
ゆるやかに映ろう

図録は20cm×20cm、80ページ、糸かがり綴じで2,640円。物価高とはいえ高い値つけ。ちなみに、2021年に竹中大工道具館で鑑賞した『Philippe Weisbecker Inside Japan』の図録は、20cm×21cm、142ページ、無線綴じで1,700円だった。

天満の大阪アメニティパークにあるアートコートギャラリーを訪れた。ここでも牡丹さんの個展が開催中とのことだったが、展示作品は3点のみ。画像で右側のガラスの奥に2点、左側のガラスの奥に1点という不思議な展示。こちらは牡丹さんの契約ギャラリーのようなので、販売を目的にした展示なのだろう。テーブルに価格表が置いてあり、50万や30万の数字が見えた。想像より安価だったが、先立つものがなければ飾る部屋もない。でも牡丹さんの絵なら飾ってみたい。
暖房が効き過ぎて暑かったので、早々に退散して造幣局へ向かった。敷地の中に建つ与力役宅門のそばに、織田有楽斎がつくった茶室の沓脱石が残されているそうで、一昨年如庵を見学した時にガイドの方がおっしゃっていた。天満へ行くことがあれば見学したいと思っていた。

途中ギリシャ様式とコロニアル様式の建物が並んで建っていた。どちらもむかし造幣局にあったもので、国重文に指定されているそうだ。ギリシャ様式の方は、金銀貨幣鋳造所の玄関部分だけを切り取り、後ろに建物をつけ足したそうで、昔は桜宮公会堂として、現在は結婚式場として使われているそうだ。コロニアル様式のほうは応接所として建てられたそうで、名前は明治天皇がつけた『泉布観』。泉布とは貨幣のことで、観は館のことだそうだ。

造幣局の正門で受付を済ませ、向かったのは造幣博物館。「桜の通り抜け」に面している。古い様式のファサードは、この場所に実在した火力発電所。1871(明治4)年の創業時から蒸気が動力だったが、効率のよい電気へ切り替えるため、1911(明治44)年につくられたそうだ。
博物館を観覧し、そのまま敷地の中を通って与力役宅門へ行こうと考えていたが、カラーコーンとバーで先へ進めなくなっていた。博物館の受付でたずねると、いったん敷地の外へ出て、西側にある3号門から入らなければならないとのこと。博物館は1、2階は面白かったが、3階はさして興味のない記念コインのオンパレード。初めて見たカラーコインはおもちゃのようだった。
受付でいただいた「造幣局周辺史跡図」を見ながら進んだ。正門を出て左折、『大塩の乱 槐(えんじゅ)跡』碑の前を通過、天満橋筋の1つ手前の道を南下、堀川小学校を通り越し左折、3号門を抜け左折、その次も左折。数字の6をなぞるコースだった。

与力役宅門。朽ちてしまったのか駒札がなかったが、ネットに残る写真の説明によれば、天満与力にあった中嶋家の役宅門で、大正時代末期に移されたそうだ。2000(平成12)年に改築されたそうなので古色は感じられなかった。軒瓦や鬼瓦には中嶋家の蔦紋が彫られていた。

門の前には『東北園』と彫られた石碑。正しくは『東北園倶楽部』のようで、1884(明治17)年につくられた造幣局の福利厚生施設だそうだ。1つ上の画像で与力役宅門の奥にある建物がそれだが、この建物で3代目くらいだろうか。門柱の木札には『桜クラブ』と書いてあった。

いただいた史跡図によれば、沓脱石は門の向こう側にあった。門は閉じていたが、潜戸を押すと開いたのでお邪魔した。図の通り右を見ると、植込の所に石群と白い説明板があった。
同じ様に黒ずんでいたが、燈籠を含めすべての石が関係しているのだろうか。それとも、沓脱石なので右の長い石がそれなのだろうか。説明板はその石のそばにあった。
関ケ原の戦いの後、織田長益はこの辺りに居を構えた。すでに有楽斎を名乗り茶道を嗜んでいて、屋敷には茶室が設けられた。沓脱石はその茶室に設えられていたものだそうだ。
犬山の有楽苑では『元庵』という名称で復元されているが、石のそばにある説明板では『如庵』と記されていた。間違いではなく、『元庵』の元の名称は『如庵』だったそうだ。後に京都の正伝院に設けた国宝『如庵』は、命名上2代目『如庵』ということのようだ。

与力役宅門の北側にある『洗心洞跡』碑。この場所に大塩平八郎の私塾である『洗心洞』や自宅があったそうだが、大塩平八郎の乱ではその自宅に火を放ち決起したそうだ。
背後に写るのは共同住宅。住んでいないようだったが、3号門前の共同住宅は現役のようだし、「桜の通り抜け」のほうには高層の共同住宅があるようだ。社宅なのだろうが、これほど職住近接しているのは珍しい。もしかしてセキュリティ上敷地の外に住めないのだろうか。

素形

伊勢詣。今年は神宮参拝を午前中に済ませ、午後は鳥羽にある『海の博物館』を訪れた。
昨年内藤廣さんの展覧会でインスタレーションを見て気がついた。伊勢から鳥羽までは特急で15分。毎年特急券つき『伊勢神宮初詣割引きっぷ』を利用するが、使わずに捨てているフリー区間用特急券を使うことができる。問題は鳥羽駅からの足だが、調べると路線バスが走っていた。前に訪れた時はレンタカーだったが、おそらく路線バスは走っていなかった。

途中のバス停で車窓から見えた郵便ポスト。東京オリンピックで金メダルを獲得した選手ゆかりの地にあるポストを金色にする『ゴールドポストプロジェクト』だそうだが、選手は喜んでいるのだろうか。立案者と関係者が喜んでいるだけではないのだろうか。
そういえば東京オリンピックは2020だったので、今年は次のオリンピックの年。3年半何をしていたのだろう。コロナ渦中の時間はブラックホールに吸い込まれてしまったようだ。

バス停からのアプローチ。細かいピッチで短冊状に目地を切るだけで、コンクリート舗装の表情が豊かになる。赤い扉は搬出入口だろうか。収蔵庫の黒い扉も同様だが、美術家が制作しているそうだ。木枠に鉛板を張り、樹脂系特殊塗装を施してあるそうだ。

玄関庇。右は展示棟A館、左は2003年に増築されたというカフェ。前に訪れた時はなかった。これも内藤さんの設計だそうなので、帰りにコーヒーでもと思っていたのだが、予定していた2時間では鑑賞できず、最後は早足となってしまった。当然店へ入る時間はなかった。

応力に沿って配置されたという庇のリブが、蜘蛛の巣やアンモナイトに見えて面白い。
カフェ店内に見えた石積みの壁に違和感を覚えたが、帰宅後写真集を見て理解した。カフェが建つ所に元々のアプローチがあった。石積みの壁はアプローチに沿ってつくられた石垣だった。壊せばお金がかかるので、石垣を残しその上に小屋組を設けたのだろう。アプローチの位置が変更されたので、庇の柱と展示棟A館の間にあった石積みの低い仕切りは撤去された。

展示棟A館。日本人は古代より海の民として生きてきたとし、神宮、信仰、祭り、遺跡、汚染などについて展示している。手前の魚はすべて模型。種類の多さに驚いた。

手摺のつくりが面白い。笠木はフラットバーだが、支柱は異形鉄筋を2本立て、ナットを挟み溶接し、ステンレスワイヤーを通している。コーナー部分はL字に3本配置していた。

トップライト端部。2本の円筒は排気ファン。夏場の熱気抜きだろうか。石油ストーブが置いてあったので、エアコンは設置されていないのだろう。コートを着たまま鑑賞したので寒さは感じなかった。これでよい。昨今の公的空間は暖(冷)房が効きすぎている。
エアコンがなく、換気も自然換気なので、光熱費は年間400万円程度だそうだ。他を知らないのでピンと来ないが、同規模で公共の博物館では10倍はかかるだろう、とは初代館長の弁。

客用トイレ。扉を開けて驚いたが、すぐに慣れた。ハードな見た目だが清潔にされていた。
収蔵庫の竣工は1989年、展示棟は1992年だそうなので、バブル景気に湧いていた頃。建築も坪単価200万円がざらにあったそうだが、この施設は収蔵庫が42万円、展示棟は55万円だそうだ。バブル建築に反発し安く上げたわけではなく、ただ予算がなかったそうで、設計期間中の初代館長の口癖は「金がない」。そのくせ要求が多く苦労されたそうだ。
でも苦労は苦労に終わらず、日本建築学会賞作品賞や吉田五十八賞をはじめ、数々の賞を受賞する建築として結実した。収蔵庫の構造体が組みあがった頃、現場へ幼い娘を連れて行ったそうだが、よちよち歩く姿を見て、建築をやってもいいかと初めて思ったそうだ。

外観。左にエントランスキャノピーやカフェが見える。屋根は金属板ではなく桟瓦。塩害対策だそうだ。外壁は厚さ32mmの杉板を縦横二重に張り、タールを塗装してあるそうだ。
軒樋の端がもげていた。展示棟B館のほうも同様だったが、修繕しないのだろうか。トップライトの天幕も見えないが、外してしまったのだろうか。上述の通りお金がなかったので、天幕は内藤さんの持ち出しで設置されたそうだ。さらし50反を購入し、内藤さんの奥様が友人と縫い上げたそうだ。奥様の著書『建築家の考えた家に住むということ』に書かれている。

展示棟B館は、伊勢湾や熊野灘での漁、海女、木造船について展示している。

ボリュームや構造体はA館と同じだが、2階の範囲が異なっている。こちらはまったく2階のない部分が広くあるので、構造体をよく見渡すことができる。アーチが船の竜骨のようだが、発想の源は初代館長と訪れたスミソニアン自然史博物館で見た蛇の骨格模型だそうだ。

トップライトや照明の光に浮かぶ構造体が美しい。初代館長は窓のない建物を望んだそうだが、内藤さんは光熱費削減のためには必要と説いたそうだ。結果窓はついたが、初代館長は納得していなかったようで、『建築ジャーナル』のインタビューに妥協した1つと答えていた。

外観もA館と同じだが、開口部の位置が異なる。前に訪れた時の状態を覚えていないが、手前の「ばかうけ」のようなオブジェのある部分、石がゴロゴロしている部分には水が張られているそうだ。現在も張られているそうだが、常時は取りやめ、繁忙期限定だそうだ。

収蔵庫棟外観。切妻屋根のボリュームが3つ。右の部屋には網、布、紙、左の部屋には桶、樽、籠、漁具、奥の部屋には船が収められているそうで、奥の部屋のみ公開されている。
収蔵庫と後述する2棟にはモダンな鬼瓦が載ってあるのだが、収蔵庫は破風板の拝みに懸魚までついている。真面目なのか洒落なのかわからないが、不思議と違和感はない。

収蔵庫はプレキャストコンクリート・ポストテンション組立工法。外壁版を立て、屋根版を乗せ、屋根版の上に母屋、垂木、野地板を設け、展示棟と同じ桟瓦を葺いてある。
軒瓦の文様は、星印がセーマン、もう1つはドーマン。海女の魔除けだそうだ。昔は白襦袢に描いたそうだが、現在はウェットスーツなので、頭に巻く磯手拭に描いているそうだ。

エントランスホール。収蔵庫3つをつなぐ空間。こちらはRC造ラーメン構造。コーナーが丸面なので漆喰かと思ったが、写真集にはVPと記載。お金がないのでそれはそうか。

柱は十字型。鉄ではないが、ここから十字柱が始まったのだろうか。床は真砂土叩き仕上げ。スリッパに履き替え入室するのだが、通行部分にはカーペットが敷いてあった。
オーム社の図面集に書いてあるそうだが、足元の窓には給気口が仕込まれているそうだ。ガラスの下は外とつうつうになっていて、砂利の下にグレーチングが敷いてあるそうだ。

収蔵庫。点検台からの眺め。クジラに飲み込まれた船たち。あるいは船の墓場。
タイビームの下弦が取りつく梁と揃っていなかったが、展覧会の図録に収録されている断面図を見て理解した。タイビームに平行する梁に揃えてあった。あえてそのようにしたのか、照明器具のアンカーのためのフカシか。揃えたほうがよりきれいに見えたのではないだろうか。
収蔵庫なので湿度管理が必要だが、展示室同様機械式空調設備は設けられていない。床の真砂土がその役割を担っている。真砂土の下はスラブではなく、割栗石を介し地盤の上に施されているので、真砂土は乾燥することなく一定の湿度を保っているのだそうだ。

照明器具は展示棟と共通。ランプの部分は既製品で、その下にリングやディスクを自前で吊り下げているそうだ。ディスクはパンチングメタルでできていて、光を拡散していたが、照度は高くはなかった。鳥目で老眼の私はキャプションが読めなかった。
コストを抑えるための自前だそうで、1台100万円から5万円に下げることができたそうだが、それ程下がるのであれば性能や機能は等しくないのではないか。

体験学習館。1998年にできたそうなので、前に訪れた時はあったと思うが、記憶にない。収蔵庫の裏にあるので見落としたのだろうか。1階はひと気がなかったので2階へ。

特別展示室。RC柱に木製トラスフレーム。設備はこだわらず、エアコンがよく効いていた。
展示は『カツオ一本釣り漁船にエンジンがついた!はじまりは伊勢・市川造船所』。漁船にエンジンがついたのは1906(明治39)年で、その船を製造したのが伊勢にあった造船所だそうだ。その船は漁獲成績が優秀だったので、そこから一斉に漁船の動力化が始まったのだそうだ。

最後は『三重大学 伊勢志摩サテライト 海女研究センター』。1階が自由に出入りできるギャラリーとなっていて、鳥羽出身の作家による植物の写真やアート作品が展示してあった。

15倍デジタルズーム。こういう時レンズ交換式カメラが欲しいと思う。
バスを待つ間モダンな鬼瓦を撮影したのだが、拡大してみると『蘇民将来』と彫られた巴瓦がついていた。『蘇民将来』の説話は日本各地に伝わっているそうだが、この辺りでは注連縄に『蘇民将来子孫家門』と書かれた木札をつけ、説話の通り年中飾るそうだ。
他に『笑門』と書かれた木札も見かけるが、これは『蘇民将来子孫家門』の短縮形だそうだ。てっきり「笑う門には福来る」からだと思っていたが、なぜ『将門』ではなく『笑門』なのか。一説によれば、平将門の乱の後、誤解されぬよう『笑門』へ変えられたのだそうだ。

献血と脈拍

春に献血を終うと書いたが、懲りずにまだ続けている。先日運転免許センターの献血ルームでトライすると、一度の計測でパスした。予定していなかった、予約していなかった、待ち時間がなかった、繁華街でなかった……緊張する要素がなかったことが幸いしたのだろうか。月初に予約して行った梅田の献血ルームでは、脈拍が100回/分を超えたので献血できなかった。
今日も映画を見た後献血ルームを訪れたが、脈拍が100回/分を超えたので献血できなかった。初めて指先に装着する器具でも計測してくれたが変わらなかった。今年最後の献血をしたかったので、休憩を取りリトライしたかったが、待合が混んでいたので引き下がった。
問診の医師が、基準改正後は脈拍のせいで献血できない方が増えているとおっしゃっていたので、改めて基準値を確認してみたのだが、脈拍より最高血圧の数値に興味を覚えた。180mmHg未満となっている。先日の特定検診で190mmHgを叩き出した時は驚かれたし、降圧剤を処方してくれる医師は常に130mmHg以下にせよと口うるさいのに、なぜこれほど高い数値を許すのだろう。採血する間だけのことだからか。それなら脈拍も緩くしてくれればよいのに。健康な成人の安静時の脈拍は60~100回/分だそうなので、その上限値が採用されているのだろうが、あと10上げてくれていれば、過去に献血できなかった分はすべてクリアしていた。
日本赤十字社へ問い合わせると、「血液法」の改正に伴い新たな基準を設けることになった、とつまらない回答だったが、出典として記述されていた『厚生労働科学研究成果データベース』というサイトに、『安全な血液製剤の安定供給に資する適切な採血事業体制の構築のための研究』というページがあり、報告書が閲覧できるようになっていた。
採血中や採決後に起こる「気分不良」のことを『血管迷走神経反応』というそうだが、その発生が脈拍100回/分を超えると増えることから、脈拍の基準値の上限を100回/分に定めたようだが、血圧については、”本健康診断で定める適格者の血圧の基準は、採血により循環器系疾患の合併が起こるなど、献血希望者に悪影響を与えないために設定した”と書かれているだけだった。

大阪・関西万博

大阪・関西万博については書かないつもりだったが、内田樹さんの文章に共感を覚えたので、数字を記録しておくために、『FYRE』を記憶しておくために全文を引用させていただいた。

大阪・関西万博のための政府支出の「全体像」を政府が示した。インフラ整備費に8390億円、会場建設費などの直接経費に1647億円(会場建設費783億円、日本館関連360億円、途上国支援240億円、警備費199億円、万博の機運醸成38億円、誘致費用27億円など)。この他、間接的インフラ整備費約9兆円、各府省の事業費3.4兆円が示された。正気の沙汰とは思われない。
半年だけ開催される「お祭り」に10兆を超える公金が投じられる。万博の経済波及効果は当初は6兆円超と言われていたが、だんだん縮んで2兆円になり、それも言われなくなった。その一方で、桁外れの税金がこの「高い可能性で失敗が予測されているイベント」に注ぎ込まれている。繰り返し言うが、正気の沙汰とは思われない。
だいたい「機運醸成38億円」とは何か。その費目の存在そのものが開催まで500日を切ったがまったく機運が盛り上がらない現実をはしなくも露呈している。産経新聞系のアンケート調査では「ぜひ行きたい」が14・4%(半年前から7.0ポイント減)、「行く気はない」が33・5%(19・8ポイント増)という絶望的な不人気である。「機運」自体が存在しないのである。存在しないものを存在させるために38億円もの金を何に使うつもりなのか。「楽しみですね~」とタレントたちが作り笑いをする空疎なテレビCMを乱発するのか、日本中に街宣車でも走らせるのか。やってもその程度だろうとみんな知っているから機運が存在しないのである。
いい加減に腹をくくって「万博中止」を決心すべきだ。今もウクライナでは戦争が続き、ガザでは市民が虐殺されている。大阪まで行ってお祭り騒ぎに興じたいというような人は日本にも世界にもいない。
「一度始めたことはやめられない」というのは日本人がよく口にするけれど、そんな言明には何の合理的根拠もない。「それがもたらすメリットよりもリスクの方が大きいと予測されるプロジェクト」は誰が何と言おうと止めるのが正しい。そのせいで言い出した人間の面目がまるつぶれになろうが、これまで投じた資金が無駄になろうと、止めるのが正しい。
社会福祉や教育や医療の予算のことになると「財源がない」とにべもない財務省がどうしてこんな「ドブに金を捨てるようなイベント」にだけは大盤振る舞いができるのか。その理由が私にはまったく分からない。誰か合理的な説明ができる人がいたら教えて欲しい。
Netflixで『FYRE』というドキュメンタリーを観た。バハマの無人島でセレブたちと過ごすゴージャスな音楽フェスのはずだったが、飲食物も、トイレも、宿泊施設も、出演ミュージシャンとの契約もすべて準備不足で中止になったイベントである。高額のチケットを買って飛行機でやってきた客たちは難民のような扱いを受けて追い返された。企画者は詐欺罪で捕まった。
でも、プロモーションのために企画当初からさまざまな場面を撮影していたので、それを素材にドキュメンタリーが一本できた。たいへんに面白かった。「大阪万博」ではそれとは桁違いのスケールのドキュメンタリーが作れるだろうと英紙が報じた。たしかに万博協会はこれを売れば赤字をいくぶんかは補填できると思う。ぜひ検討して欲しい。

引用元:『大阪万博は中止すべきだ』内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2023/12/27_0952.html (2023年12月27日閲覧)

さようならEvernote

ホーム画面ができてからだったと思うが、お金をせがむようになったEvernote。最近は起動するたび有償プランへ誘導するポップアップが現れ、✕を押してもダメ押しのメッセージ。それだけでもストレスなのに、日本語が下手なのでどちらを押せばよいのか躊躇する始末。
長年無償で利用させてもらっているが、毎日起動するわけではないし、多種多様なデータや大量のデータを扱うわけではないので、月々1,100円する有償プランを契約する気にはなれない。だからこの際Evernoteと決別し、別のアプリへ乗り換えることにした。
実は過去にもトライしているのだが、その時選んだアプリは結局Evernoteとは似て非なるものだった。メモの類いは他にGoogle Keep、『リマインダー』、『買い物リスト』を利用しているが、Evernoteを含めそれぞれ勝手が異なるので使い分けている。だからEvernoteの代わりとなるアプリはEvernoteに似た勝手でなければ務まらない。
紹介サイトや個人レビューなどを読み、『Notion』がよさそうだったのでアカウントを取得。スムーズに進まなかったが、インポートからEvernoteの全データを取り込むことができた。
UIはEvernoteとほぼ同じ。左列に「ページ」の一覧、クリックすると右列にリストの一覧が表示される。Evernoteはホーム画面を設けるなど装飾過多となってしまったが、『Notion』にはホーム画面がないどころか色すらついていない。背景は白と淡いグレーの2色のみ。
WEB版は右列に余白が多く落ち着かないが、モバイル版はきれいに収まっている。モバイル版ではWEB版にない「最近使用したページ」が便利。WEB版では一括して「フォントを縮小」できないのはマイナス。「ページ」毎に変える状況などあるのだろうか。
データの取り込みが頓挫した時、『Notion』まかせにせず、エクスポート⇒インポートの手順を踏んでみようとWindows版Evernoteをインストールしたが、無償版Evernoteでは2端末しか同期できないことを知らなかったので、まごまごするうちに冒頭画像のメッセージが出現。すぐに解除すれば許してもらえると思ったが、どうしても無料トライアルへ誘導される。たった一度の救済も与えてくれないEvernote。データ移行が終わると即アカウントを閉鎖した。