スクリーンが待っている

制作のことが書かれていると知り、映画を観る前に読んでおこうと手に入れた。
原作との出会いを書いた『恋』、福祉事務所や婚活パーティへの取材を書いた『出会い』、映画を取り巻く環境の変化を書いた『時代』、ロケ撮影の困難さを書いた『ホーム』、スタッフの仕事や制作過程について書いた『船』や『幸福』、役所広司さんについて書いた『山』、八千草薫さんについて書いた『花』、コロナ禍における映画の状況について書いた『夜明け前』など、面白くて、可笑しくて、切なくて。『花』は涙なくしては読めなかった。
ほかに映画とは関係のないエッセイが数編、夢日記、短編がひとつ収録されているが、どれを読んでもこの方の文章はうまいと感心する。夢の内容は凡人とは異なり独創的で、先日書いた私の夢などお恥ずかしい限り。短編は昨年雑誌『MONKEY』に収録されたもので、映画に少しだけ登場した人物の過去の出来事だったそうだ。なんてことはない市井の人たちが描かれていて、題材も小説やドラマに度々登場するようなものなのに、この方が書くと面白いから不思議。
本のカヴァーは榎本マリコさんという方のイラスト。シュールだが、これがこの方の手法だそうで、”わずかな光がもたらす奇跡のような瞬間を目にした時の、懐かしい人に会う安堵感にも似た感覚を、さまざまな記憶の断片から引き出したモチーフに落とし込んでイメージを生み出している”とか。意味ありげに見えた新幹線や小鳥は、みなこの本に登場しているアイテム。

久しぶりの遊行

緊急事態宣言が解除されたので、京都まで出かけて美術展をふたつ。気分はすっかり晴れないし躊躇もしたが、いつまた緊急事態宣言が発出されるか知れないし、外出できないうちに会期終了となり観られないのは残念なので、期限のある催しには出かけたい。
余談だが、「観られない」という表現は正しかったか。「ら付き」でよかったか。調べたところ、未然形の「ない」をつけてみて、「ない」の直前の文字がイ段やエ段だと「ら付き」でよく、イ段やエ段以外だと「ら抜き」でよいそうだ。「観る」の未然形は「観ない」、「ない」の直前の「み」はイ段なので、「ら付き」でよいようだ。

まずは美術館「えき」KYOTOで『ソール・ライター』展。昨年開催のはずが、開幕直前に緊急事態宣言が発出され中止に。残念に思っていたところ、今春開催が決まり楽しみにしていた。
2018年の伊丹市立美術館での展示でもそうだったが、プリントから撮影時の1950年や1960年代の空気や匂いが生々しく感じられるから不思議。でも、前回の展示と同じ作品からは、前回ほどの生々しさは感じられなかった。キャプションに『発色現像方式印画』とあったが、プリント方法が違うのだろうか。それとも見慣れただけだろうか。
本展の目玉は、前回の展覧会以降に整理されたアーカイブから選ばれた初お目見えの写真たち。そのうちの数十枚はカラースライドにして映写していた。妹デボラの写真も見ごたえがあった。家族の中で唯一の理解者だったということだが、写真に写る彼女の姿はどこか不穏な雰囲気が漂っていて、ライターさんの内面がそうさせているのだろうかと思った。引き換え、恋人ソームズ・バントリーの写真はどれもうれしさがにじみ出ていたように思う。
先日放送された日曜美術館の影響だろうか、なかなかの混雑ぶりに肝を冷やした。
次は祇園。先に『権兵衛』で昼食。お昼すぎだったが並んでいなかった。やはり人は少ない。ここではきつねしか食べたことがなかったが、寒かったのでけいらんを注文。たっぷりの溶き玉子に熱々の餡と生姜。ほかほかに温まった。ここのお出汁は美味しい。
会場は四条通りを渡った先にある『ZENBI』。葛切りが有名な鍵善良房がつくった小さな美術館。先月開設したばかりだそうで、あちこちから新しい匂いがして気持ちよかった。
展示は『黒田辰秋と鍵善良房』。2017年に美術館「えき」KYOTOで開催された『京の至宝 黒田辰秋展』を鑑賞したときの感慨がよみがえった。

螺鈿くずきり容器とともに展示されていた『赤漆宝結紋飾板』。黒田さんの朱は、たっぷり塗りつけるからか赤に近く、より艶やか印象を与える。お店で実用されている姿も美しいが、目近に子細に鑑賞できるのでありがたい。展示ケースにもう少し余裕があれば見え方が違ったかもしれない。それにしても、まるで3DCGのような写真に苦笑。 床のせいか。

左は河井寛次郎さんの書。お店の入口に掛かっている額。右は寄せ書き。鍵善良房は創業300年。第二次世界大戦中はお店を閉めざるを得なかったそうだが、再開されたときにこのお店を愛する人たちが寄せたそうだ。左端から河井寛次郎さん、濱田庄司さん、柳悦考さん、黒田辰秋さん。「喜者開扉」は寛次郎さん考案の造語。ご自身がよく使っていた造語「喜者皆笑」の二文字を変えられたとか。開店の喜びをユーモラスに表現していて、寛次郎さんらしい言葉使い。

手前は『朱四綾茶器』、後ろは『螺鈿卍文蓋物』。1枚に収めようと思いついたが、撮影してみるといまいち。朱漆の螺旋のかたちをした作品はいつくかあるが、この程度の螺旋の数のほうが、豪胆な感じがして好ましい。

八角形の水指『乾漆八稜水指裡耀貝螺鈿』。内側に総貼りされたメキシコ鮑の貝殻は、見る角度によって色が変化して美しい。この貝を棟方志功さんは『耀貝(ようがい)』と名づけたとか。

最後は『赤漆流稜文飾手筐』。螺旋は円や球に沿って回転して作られるものだが、それを直方体でやってのけるところが黒田さんの独創。裸で展示されていたおかげで、作品からにじみ出るオーラや醸し出される空気を肌で感じることができた。

美の条例

インスタグラムで知った真鶴町。小田原市と湯河原町の間にあり、突き出た半島が羽を広げた鶴のよう。小田原市側の隣町は江之浦で、杉本さんの『江之浦測候所』があり、半島の先には柳澤孝彦さんが設計した『中川一政美術館』がある。これだけでも訪れたくなる。
なぜその記事が目にとまったかといえば、画像の冊子が紹介されていたから。『真鶴町まちづくり条例』、通称『美の条例』の指針書。景観条例の類いだが、画一的なお定まりのものではなく、町に対する真摯さが伝わる内容で、3年もの歳月をかけて策定したそうだ。
温暖で風光明媚、相模湾に面した斜面地から望む景色は大層素晴らしいのだろう。バブル景気に乗じて1987年に制定されたリゾート法を受け、マンションの建設ラッシュに沸いたそうだが、このままでは美しい景観や自然が破壊されると危惧したのだろうか、農村漁村としての穏やかなまちなみを守り育てるためと、1993年に条例が制定されたそうだ。
参考にされたのはチャールズ皇太子著『英国の未来像-建築に関する考察』。読んだことはないが、チャールズ皇太子が建築や都市に関心が高いことは知っている。現代建築に手厳しく、リチャード・ロジャース設計のロイズ保険ビルを非難し、最近ではチェルシー地区の大開発を中止に追い込んだ。伝統ある街並みに、鉄とガラスの異質な建築はそぐわないと。
『美の基準』には数字がない。日本の風景が貧しくなってしまった一因は数字ではないかと。だから言葉の基準にしたそうだ。場所、格づけ、尺度、調和、材料、装飾と芸術、コミュニティ、眺めの8原則を立て、69のキーワードからなるデザインコードを定めた。
言葉は抽象的だが、数字と違い人の心情に訴える。数字の基準が無機的だとすれば、言葉の基準は有機的。真鶴の場合はさらに心がこもっている。対話を重ねることで、互いに満足のいく合意点を見出すのだろう。すばらしい取り組みだと思う。

脳とコミュニケーション

仲よくさせていただいている得意先から、「おまえのメールは長すぎて要点がはっきりしない」と言われた。前から何度も言われていて、その都度「電話したほうが早いだろう」と。
そんなことは言われなくても承知している。いま携わっている仕事の場合、送信先の方々がみな多忙で、かけても繋がらないことが度々あるので、自分のタイミングで確認できるようにとメールを送るわけだが、伝えたいことを漏らさないように、ニュアンスを履き違えることのないようにと書きすぎてしまう。書いた後で読み返し、省けるところは省き、できるだけ短くしようと努めているが、それでも長いということなのだろう。
説明が過ぎるとも言われるが、長文メールとなる理由はほかにもある。根本的な理由。検査をすればおそらくそう診断されると思うのだが、脳が衰えているのだと思う。健忘症なのか、あるいはほかに問題があるのかもしれない。
口下手ということもあるだろうが、伝えたいことが次々に出てこない。聞いたそばから忘れることがあり、話したそばから忘れることがある。だから伝えたいことを漏らさないようにメールを多用する。メールだと送った内容も受けた内容もあとでいくらでも確認できる。
むかしテレビか何かで話していたと思うが、人は話さなければ脳が衰えるそうだ。自分の状況を考えるとそうなのだろうと思う。だから少しでも活性化するようにとブログを続けているが、おそらく書くだけでは足りないのだろう。
ブログも記事の内容によっては時間がかかる。ものや言葉を知らないからだが、むかしある人に言われた。「ブログでは色んなことを書いているのに、なぜ雑談は苦手なのだろう。ブログに書いているようなことをしゃべればいいのに」。ブログは時間をかけているから書けるが、おしゃべりは上述したように次々に言葉が出ない。だから億劫になり自然と口数が減ってしまう。
いまの若い子たちは電話ではなくメールやSNSで済ますようだが、この子たちの脳の未来はどうなるのだろうと思う。他人の心配をしている場合ではないのだが。

お医者と『LINEMO』

鼻の処方薬がなくなったが、まだ治まらないので耳鼻科へ。今度は近所の耳鼻科を受診した。
十数年ぶりに受診したと思うが、先生はすっかり歳をとっていた。うちの近所のお医者は町ができたときに開院しているので、どこのお医者の先生も歳をとってしまった。マンションの1階にある内科などは、先生ご自身の体調がよくないのか、長いあいだ閉まったまま。今日前を通ったらドアが少し開いていたが、何やら片づけをしている様子。このまま閉院するのだろうか。
お医者はいつまでも続けられる職業だと思うが、日々の勉強はいくつになっても必要だろう。でも受診したお医者の先生はどうなのだろう。色々話してくれたが、鼻乾燥のことは無知なようだった。薬の処方は一覧帳のような厚い冊子を見ながらで、終いには同意を求める始末。患者が薬を決められたらお医者は何をするのだろう。蓄膿症など珍しい病気ではないだろうに。
お会計も待った。30分は待ったと思う。ガラガラなのになぜそんなに時間がかかるのだろう。診療費も高くなったような気がする。初診料や再診料などむかしからあっただろうか。薄暗い待合で独り言ちたが、珍しい英国製の掛時計を見ることができたので、それだけが幸いだった。
ぐったりしたがまだ終わらない。次は処方箋薬局。休診明けなので混んでいると言っていたが、それにしても40分待つのはなぜだろう。既製の薬の数を数え、袋に詰めるだけではないのだろうか。これまですぐに済んだことがないが、もしかしてうちの近所だけだろうか。
待っているあいだスマホでニュースを眺めていると、softbankの新しい料金プランの記事を見つけた。名称は『LINEMO-ラインモ』だそうだが、センスがないと思う。softbankの料金プランなのにLINEがつくことで混乱しないのだろうか。お尻のMOは『ahamo』の真似だろうか。
今度の新料金プランは3社とも同じ金額で競争性ゼロ。名称も似せて競争を避けているとしか思えない。auの名称は『povo』だそうで、2社とは異なるので褒めたいところだが、そもそもピンとこないし言いづらい。それは『ahamo』も『LINEMO』も同じこと。
昨日ラジオで笑福亭松喬さんが話していた。見習いが弟子に昇格するので名前を考えているということだった。落語家の名づけには特有の作法があるようだが、お客様に覚えていただくことが大事だと。当たり前のことだろうが、この国はどうもファンシーに傾向してしまう。
処方してもらったツムラの漢方薬はよくできている。漢方薬は種類がたくさんあるし、中国由来なので名前が難しいし漢字が読めない。だからツムラはパッケージの色をそれぞれ変えて番号を振った。これまでの薬は2番だったが、今回処方されたのは104番。これなら覚えられる。