唐招提寺金堂の原寸大組物模型。天井に納まらなかったので、柱は実際より1m短いそうだ。
竹中大工道具館にて、唐招提寺執事長石田太一さんの講演を拝聴した。16日からはじまる展覧会『天平の匠に挑む―古代の知恵VS現代の技術』のプレイベントだった。金堂修理の歴史や唐招提寺所有の文化財の歴史を、画像を交えながらご講話いただいた。
かつて五重塔(東塔)があったことは知っていたが、その顛末は知らなかった。810年につくられ、1802年に雷により焼失したそうだが、明治4年の上知令により五重塔があった部分の土地は没収されてしまい、唐招提寺は手を出せなくなってしまった。心柱の礎石である心礎をかの山縣有朋が椿山荘へ運び、穴を刳ってプールの水飲みに利用したそうだが、プールを壊したときに一緒に壊れてしまい、消滅してしまったそうだ。明治維新が怨めしいと石田さん。
2018年に五輪塔の解体修理が行われたが、蔵骨器が取り出され蓋を開けたところ、中身は證玄の遺骨だった。覚盛の遺骨が収まっているつもりで拝んできたので驚いたそうだ。蔵骨器は鎌倉時代につくられたそうだが、銅の鋳造で板厚が1.2~1.8mmしかないそうだ。
もうひとつ興味深かったのは、2014年に発掘された三彩瓦の破片。西室跡の東から出土したそうで、ほかでは見られない独自の文様が施されているそうだ。大きな建物ではなく厨子などに用いられたのではないか。もしかすると孝謙天皇がお忍びで訪れた別席所に用いられたのでは。丸瓦が出土しておらず、未発掘の場所もあるが、文化庁のお財布事情は厳しいと石田さん。
自分たちで掘るわけにはいかないが、それにしても唐招提寺の僧侶は8名しかおらず、しかも常勤は3名しかいないそうだ。それなのにNHKが近々8Kの撮影を行うので相手をしなければならず、自分たちがしたいことをする時間が取れないと嘆いていらっしゃった。
唐招提寺金堂は、2000年より10年をかけて「平成の大修理」が行われ、竹中工務店は構造解析と構造補強設計を担当した。『竹中大工道具館NEWS』最新号に、大修理を指揮した鈴木嘉吉さんと、構造担当だった長瀬正さんの対談が収録されている。久しぶりに当時のお話が伺えて懐かしく、93歳になってもお元気そうな鈴木さんを拝見できてよかった。
長瀬さんとは仕事をご一緒したことがある。こちらは大学を出たてのひよっこで、同じチームに配属しただけだったが、高架水槽を利用した制振装置の塗装色を決めさせていただいた。