引き出しの数

駅北の新しい商業施設へ行ってみたが、どこから集まったんだというほどの混みようで、早々に退散。昔なら、混んでいても洋服屋や雑貨屋を覗いて歩いたものだが。
こんなことを書くと叱られるが、夥しい数の商品がなんだかゴミの山のように見えた。大量生産に大量消費。いつまで続けるのだろう。こんな感慨に耽ったのは、いま原研哉さんの『日本のデザイン』を読んでいるからだが、移動中に読んだ章にちょうどそのようなことが書いていた。
荒く要約すれば、日本人のDNAには高度のセンスや美意識が備わっているはずなのに、いまの暮らしようはそのかけらもない。もう一度それらを呼び覚ますには、家じゅうの使わないものや着なくなった洋服を潔く捨てよ。テーブルにポケットティッシュや鍵を入れた籠など置いてはいけない。何もないテーブルに置かれた一善の箸から、美意識を感じることができるのだと。
思いは同じ。ずっと思い続けていて、いつか文章にしたいと思っているがなかなか。原さんとの決定的な違いはボキャブラリーや言葉。引き出しの数が違う。原さんの引き出しは、黒澤明の『赤ひげ』に登場する薬箪笥ほどたくさんある。