斎宮

密を避けるために本日伊勢参り。朝一番の特急に乗ったおかげもあり、外宮内宮とも空いていて安堵した。午後に斎宮を見てまわるので、久しぶりに倭姫宮にも寄ってごあいさつ。
いつか地図を眺めていて斎宮駅を見つけた。駅名になるくらいなので何か謂れがあるのだろう。調べてみて驚いた。斎宮とは天皇の代わりに天照大神にお仕えする皇女(斎王)が暮らしたところで、発掘調査の結果駅の周囲に斎宮があったのだそうだ。この制度は崇神天皇の時代から660年にも亘り、歴代60名以上の斎王がいらっしゃったとか。倭姫命は御巡幸をして皇大神宮の場所を定めた方だが、二代目の斎王でもあったと知り俄然興味を覚えた。

伊勢市駅から各停に乗り明星駅で下車。彼方まで広がる田畑のなかを、横目に遠く鈴鹿山脈を望みながら歩いた。夏は稲穂の緑が美しいだろうが、冬の田畑は少しも癒してくれない。寒風吹きすさぶなかをひたすら歩き、50分ほどで伊勢湾の湾口部にある大淀に着いた。大淀は斎宮にゆかりのある場所であるとともに、倭姫命が御巡幸で立ち寄ったとされている場所。

倭姫命が定めたという『竹大與杼(おおよど)神社』を参拝したあと、港へ出て『斎王尾野湊御禊場跡』へ。案内がなければ通り過ぎてしまうような奥まった場所に、石碑がポツンと立っていた。斎王が神嘗祭に奉仕する際、この場所で禊を行って身を清めたそうだ。手前の案内板は斎宮が日本遺産に選ばれた記念に設置されたようで、QRコード+スマホアプリの仕掛けもあった。
同じ通りにある斎王悲恋の場所という『業平松』を見たあと、『竹佐々夫江神社』を参拝。

大淀へ向かうとき彼方に見えていた建物。周囲と脈略なく異様に見えたが、近づくと避難施設だった。古くないので東日本大震災後に建てられたのだろうか。南海トラフ地震の津波を想定しているのだろう、海抜8.7mの高さに印がしてあったが、あんな高さまで波が来るのかと想像したら怖くなった。どうか使われませんようにと願い、次の場所へ向かった。

倭姫命が御巡幸の途中、天照大神の御神体を一時的にお祀りした場所を元伊勢というそうだが、この『佐々夫江行宮跡』もそのひとつとされているそうだ。注連縄が張られた内に小さな石碑と一本の樹があるだけだったが、かえって想像を掻き立てられ、しばらくその場に佇んだ。
すぐ先の笹笛川を渡った先に『カケチカラ発祥の地』。懸税とは初稲を束にして神様に供えたものだそうだが、名称がピンとこない。発祥とは物事が起こり現れることなので、そもそも稲穂をもたらした真名鶴が主人公ではないのだろうか。真名鶴伝説の地のほうがしっくりすると思う。

次は『隆子女王墓』。斎王は天皇崩御や身内の不幸などがあると交代したそうだが、隆子女王は斎宮で亡くなったので都へ帰れず、この地に祀られているそうだ。宮内庁管轄なのできちんとつくられ手入れもされていた。ちなみに陵墓によく見られる門扉の×型は好みの意匠。
そして楽しみにしていた『斎宮歴史博物館』。昨年荒瀧宮を訪れたときに斎宮行きを思いついたのだが、改修工事をしていて閉館中だったので、工事が終わる年明けまで待っていた。
展示は想像より小さかったが、大画面で鑑賞できる映像2本は見ごたえがあった。『斎宮群行』はドラマ仕立ての実写がよくできていて、いっそう理解を深めることができた。他には斎宮全体の再現模型や斎王の部屋の原寸模型、斎王の食事などが興味深かった。出土品は器だけでなく羊や鳥の形をした硯なども展示されていて、ほとんどが重要文化財に指定されていた。
施設のほうも手が込んでいて、天井や壁のボーダー部分に貝が埋め込まれていた。受付の方へ尋ねると、伊勢湾で獲れるアコヤ貝だそうで、新高輪プリンスホテル・飛天の天井技術が使われているとかいないとか。バブル期の建物なので贅沢していますよねと笑っておられた。

博物館の南にある雑木林には『竹神社跡』の立て札。現在斎宮駅の東にある『竹神社』がもともと鎮座していたそうだ。石碑に式内とあるので延喜式に記録されていたのだろうか。
現在の竹神社のある場所は、神社ができるまでは野々宮と呼ばれていたそうで、斎王の宮殿があったのではないかという。たしかに斎宮全体の真ん中あたりに位置しているし、線路を挟んだ場所からは大型の柵列が発見されたそうだ。神社跡の付近も禊を行ったとされる祓川が流れているし、最初の斎宮(飛鳥時代)があった場所のようなので、どちらも神聖な場所、祈りの場所として、古来より守り継がれていたのかもしれない。

斎宮駅の前には縮尺1/10で再現された斎宮。平安時代の斎宮の再現だそうで、発掘調査で判明した東西7区画(840m)、南北4区画(480m)の方格地割全体がつくられていて、一部の区画には建物も作られている。明るく写っているが実際は日没前。次は明るいときにじっくり見たい。

区画は道路で区切られた碁盤の目になっていて、道路の幅が12mもあるそうだ。その一部が再現されて歩けるようになっているが、平城京跡や京都御所を歩いたときの感覚がよみがえった。
左側に建っているのは再現された原寸建物。時間が遅かったのか閉門していて入れなかった。右奥に杜が写る現在の『竹神社』を参拝したところで日没。斎宮駅へ戻り家路に就いた。