柳宗悦と書

徳島県立文学書道館で『文字の美 柳宗悦がみつめたもの』を鑑賞。日本民藝館のインスタグラムで紹介されていたものだが、書に関する蒐集品はよく知らないので観たいと思った。工芸の研究をしている松井健さんの講演と、日本民藝館の方の展示解説がある日に合わせて訪れた。
展示は3部屋で行われていた。特別展示室では文字が付された焼き物、家具、蓑、半纏など、書道美術常設展示室では拓本や文字図、収蔵展示室では棟方志功や柳宗悦の書が展示されていた。
どの展示品も魅力的だったが、とくに拓本に深く感動した。中国の南北朝時代やそれよりもっと古い時代に刻まれた書は、柳さんが言うように個人の性を超え、模様の性質を帯びていた。身長ほどもある紙に「懲」「忿」とだけ拓された『梁武亊仏碑 懲忿(宋拓)』は、梁の国の武帝が座右の銘にしたものだそうで、70センチもある文字のかたちが勇ましくも美しかった。
松井さんの講演は期待外れだった。いや、私の期待値がものすごく高すぎた。ナガオカケンメイさんが松井さんの講演を聞いて、民藝の本質に目覚めたと書いてあったので、私もあやかりたいと思っていたのだが、「書」がテーマだったのでそこへは至らなかった。代わりに、読んでみたいと思っていた『民藝の擁護』が販売されていたので手に入れた。
画像は図録。用意されていたことがうれしかったし、展示品の掲載だけでなく、柳宗悦の『書論』や、松井さんや展示解説をされた方の論考まで掲載されていることがうれしかった。
建築はあれもこれもと欲張りだった。打ち放しの丸柱に木目がついていたが、あれではまんま樹木の幹。屋内外とも壁は左官のくし引き仕上げ。施設の性質に合っているが、建物が四角四面の大きなボリュームなので黄土色が目につく。そして金属製の大庇がいやらしく高圧的。周囲になじんでいなかった。そういえば、京都の細見美術館も左官壁だし大庇がついている。

駅への帰り遠回りをし、先月優先交渉権者が決まった新ホールの建設地を訪れた。徳島はむかし仕事で通っていたことがあり、地元の業者さんからホールについて聞かされたことがある。「もう20年くらいになるが、いまだに場所すら決まらない」と苦笑いされていた。
はじまりは1993年だそうだ。市民会議が開かれ、動物園跡地に建てるところまでは固まったが、財政難のため頓挫。10年後に再開され、複数の案とともに実現へ弾みをつけたが、2004年に就任した原秀樹新市長が建設地を変更。商店街を建て替えた再開発ビルへ入居することに。
財政難は変わらなかったが、再開発は国から補助が出る。ホールは市が買い取ることで地権者らと合意し、設計までこぎつけたが、財政面で難色を示した県がなかなか許可しなかった。ようやく着工の段となり、権利関係手続きを残すだけだったが、2016年市長が交代。就任した遠藤彰良新市長は、公約通り計画を白紙撤回。地権者に対し権利変換計画の不認可を通知した。
地権者は市を相手取り、不認可の撤回を求め訴訟を起こすが敗訴。損害賠償を求めた訴訟のほうは今年4月に市と和解が成立したが、「主張は認められても債務を返済すれば残るものはない」と理事長。そりゃそうだろう。事業の是非はわからないが、再開発事業は大勢の人たちが長い時間(とお金)をかけてコツコツつくりあげるもの。それをいとも簡単にリセットする非情。
罰が当たったのか、遠藤市長時代も新ホール建設は決まらなかった。徳島駅西側の駐車場敷地に建てることで2018年2月に市議会へ報告されたが、4か月後に5年の工期延長と50億円の追加予算が必要と報告。敷地にはむかし武家屋敷があり、埋蔵文化財の発掘調査が必要なことが判明。さらに地中埋設されている電気通信機器や高圧ケーブルの移設、JR四国の列車運行設備の移設などに、想定より巨額の費用が必要なことが明らかに。もちろん計画は中止。
結局、取り壊された徳島市立文化センターの跡地に建てることに落ち着いたが、新たな問題が発生。敷地の一部は県有地だそうだが、これまで無償で貸与されていたので、引き続きそうなるものと思っていたところ、県は仕切り直すと言い出し市有地との交換を条件にしてきた。
時間が経てば自然に収まるとは思っていなかったろうが、早く先へ進みたかったのだろう、隈研吾+大成建設を優先交渉権者に決定。これが県の怒りを買い、信頼関係は崩壊。計画をいったん止めるので、土地の交換だけでも進めたいと県へ持ち掛けたが、聞き入れられず無期限延期状態に。疲れたのか嫌気がさしたのか、第二副市長は辞任。市はむかしの証拠を持ち出し訴えたが、県は現在の登記では県有地と一歩も譲らなかった。
昨年市長が交代。35歳の内藤佐和子新市長は柔らかかった。市も負担するが、新ホールを県立にしてはどうかと県へ要望。優先交渉権者を撤回し土地についても折れたので、県は協議再開を承諾。県がホール整備を担い、市は土地の提供やインフラ整備を担うことで合意した。
3月に基本計画がまとめられ、DB方式で公募。一次及び二次審査を経て、石上純也+熊谷組を優先交渉権者に決定。師である妹島和世氏が審査委員長だったそうなので、多少の力が働いただろうか。いや口をつぐもう。でもどうしてもあの奇抜な意匠は目につく。あの意匠で果たして時間や風雪に耐えられるだろうか。あの場所にうまくなじむだろうか。
柳さんの展覧会のことより長く書いてしまったが、おもしろい顛末なので記録しておく。

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