清貧

幾重にも塗り込められたさまざまな色は、そのひとつひとつが煩悩のようで、目を閉じてたたずむ女神はまるで阿弥陀仏のよう。大悲を報じられているかのような面持ちに、思わず手を合わせたくなる。開いた女神の瞳は大きく丸く、純真無垢で汚れを知らないかのようだ。
先日『情熱大陸』で紹介された石井一男さんの個展が、ちょうどいまこちらでも開催中と知り、実物を観てみたいと足を運んだ。書店の地下にある小さなギャラリーは、開店直後にもかかわらずすでにたくさんの人が訪れていた。テレビの力はすごい。
女神を見たとき、部屋の壁に掛けて祈りを捧げたいと思った。敬虔なクリスチャンが朝夕キリスト像に祈りを捧げるように。今のうちなら自分にも手が届くだろうと淡い期待を胸に訪れたのだが、残念ながら作品はすべて完売だった。
でもほんとうは、石井さんの描く絵ではなく石井さんの暮らしに心が動いたのかもしれない。朝起きてポットで湯を沸かし、布団を上げてちゃぶ台を出し、玄米粥で朝食を取る。夕食のおかずは惣菜屋さんの出来物だが、ちゃんと皿に移し変えて食べる。食べるときは正座。早めの銭湯を独り占めし、落語を聴きながら10時には床につく。毎日がこの繰り返し。質素だが規則正しく折り目正しい暮らしは、ぜんぜん貧しくなくとても豊かだと思う。