琵琶湖の東の山のふもとに、「行ってみたい」の旗を立ててある寺社がある。
きっかけは百済寺。映画『駆込み女と駆出し男』のロケ地だと知った。大好きな東慶寺の中門や参道の場面はこの寺で撮影されていた。同じふもとに永源寺、金剛輪寺、西明寺、多賀大社を見つけたので、一緒にお参りできたらとこれらにも旗を立てた。
先日円教寺を訪れたあと映画を観返したので、無性に百済寺を訪れたくなった。金剛輪寺と西明寺には国宝建造物があるし、3つの寺が湖東三山と呼ばれていることにも惹かれた。
永源寺⇒百済寺⇒金剛輪寺⇒西明寺⇒多賀大社の順で行程を練りはじめたが、すぐに挫折した。永源寺に開門の9時に着こうとすれば、家を5時に出なければならなかった。朝早いのは構わないが、大阪から滋賀へ行くのに4時間もかかかるのかとげんなり。永源寺は外すことにした。
百済寺は交通の便がよかった。名神高速道路が同じふもとに沿って通っているが、名神ハイウェイバスのバス停が近くにあり、京都駅発の便が停車した。百済寺の開門は8時30分で、バス停から百済寺までは25分。8時過ぎに着く便があったのでそれに乗った。
バス停を降り、名神高速道路そばのクランクを上る。遠くに見えるは琵琶湖と比良山系。
百済寺総門。通称『赤門』だそうだ。2018年に改修されたそうで、まだまだ新しい。
地図アプリのナビゲーションのゴールを「百済寺」に設定してしまったので、バス停から別の道を上ってしまった。駐車場に着いて気がつき、ここまで下りてきた。
極楽橋を渡ると、苔むした石段と石垣が現れた。撮影場所に似ている。
撮影場所だった。東慶寺の参道として使われた場所。受付の前に遭遇するとは思っていなかったが、この道は実際に総門から仁王門、本堂へと通じる参道だったのだ。
受付を済ませると、まずは本坊の庭園をご覧あれとの道案内。池泉、拝石、不動石、護岸の巨石などがすばらしかった。完成に5年を費やしたそうだ。この庭園は、映画『関ケ原』で石田三成の屋敷の庭として撮影された。監督は『駆込み女と駆出し男』と同じ原田眞人さん。
高台からの遠望もすばらしかった。800km先には百済があり、そこから渡来してきた人々は望郷の念を抱いたとか。百済寺は、百済にあった龍雲寺に倣い建てたのが由来だそうだ。
屋根の棟線を延ばした先にある山が太郎坊だそうで、聖徳太子はそこからこの場所に瑞光を見た。寺創建のきっかけ。現地を確認すると古い杉の大木があり、猿がその木に供え物をしていたので、これは聖木間違いなしと、彫り出した十一面観世音菩薩が本尊『植木観音』。
苔で覆われた平地は坊のあとだろうか。この寺の領地は81haもあるそうで、むかしは300もの坊があったそうだ。受付手前に図入りの説明書き、本堂には模型が展示してあった。
いたるところに積まれた石垣はまるで城壁だが、戦国時代には実際に城塞と化していたそうだ。この地を収めていた六角氏と織田信長の戦い。寺は六角氏についたので、信長の焼き打ちが断行され、全山灰燼に帰してしまったそうだ。だから湖東三山でこの寺のみ国宝がない。
上述の『植木観音』はすんでのところで難を逃れ、現在も本尊として安置されているそうだ。秘仏なのでめったに拝観できないが、今年の10月に特別拝観が行われる模様。
仁王門。もう一つの撮影場所で、東慶寺の山門として使われた場所。3人の駆込み女が入山する場面や、その一人を夫が取り戻しに来る場面は緊張した。大わらじは仁王様が履くためのものとしてむかしから奉納されているそうだが、映画では取り外されていた。
門の裏側は「お吟」が出山する場面で使われた。「じょご」が背負い下りてくると、交代するために「信次郎」が待っている。「信次郎」に背負われた「お吟」は、「じょご」へ振り向き「私の妹、べったべっただんだん」と感謝の気持ちを伝える。
のぼりが台なし。聖徳太子ゆかりの地ののぼりだが、寺務所や駐車場に立てたほうが有益。
苔と石垣と緑がたまらない。苔養生のため通行禁止となっていたが、ここを通れば無銭入山できるからだろう。でもこの苔は踏みつけてはならない。ずっと通行禁止がよい。
映画では左側が苔がなく通行できるようになっていたが、中央が石畳なので、普通なら中央を通行しないだろうか。別の画像はそうなっている。映画のためにそうしたのであればなぜだろう。それとも撮影当時はあのようになっていたのだろうか。苔むした今では知りようがない。
次は金剛輪寺。棚田と湖東平野を歩く。彼方には変わらず琵琶湖と比良山系。
一本道を振り返る。ざっくり鈴鹿山脈の真ん中あたりだろうか。
コスモス街道沿いの宇曽川。はじめて見たが、流量調整や整流のためだろうか。
大行社という神社の境内で昼食。花びらがあまり尖っていないが、ヤマボウシだろうか。大行寺は金剛輪寺の鎮守社だそうで、本殿は金剛輪寺にあったお社を移設したものだとか。
金剛輪寺到着。百済寺から1時間。総門や門前はすばらしいが、旗竿ポールはいただけない。ポールは2本だったが、日本国旗と天台宗の旗でも掲揚するのだろうか。大きな提灯にも面食らったが、思い出した。浅草寺もこのような構えをしているが、同じ天台宗。
志納所から阿弥陀堂までの参道。こちらも緑と石垣と苔が美しい。石畳の両側はコンクリート舗装になっていたが、むかしはきっと砂か砂利だったに違いない。
美しい苔。この寺の苔具合はすばらしく、何枚も撮影してしまった。
二天門。持国天と増長天が鎮座している。完成当初は楼門だったそうだ。百済寺の仁王門同様大わらじが奉納されていた。持国天と増長天が裸足なのを見かねたのだろうか。
国宝本堂。樹木と香炉のおかげで全体が望めない。加西市の一乗寺のように大きな角塔婆がお堂の中心に立っていた。どちらも天台宗の寺なので、天台宗独自の設えなのだろうか。
三重塔は重文。青紅葉とのコントラストが美しい。柵のないところがよい。
次は西明寺。コンクリートの建造物が林道に沿って建ち並んでいたが、手摺の標識から農業水利のようだった。地下水をくみ上げているのか、暗渠の水をポンプで送っているのか。湖東平野の農地の水源は、行程から外した永源寺の裏にある永源寺ダムだそうだ。
アバウトな『湖東三山自然歩道マップ』では、斧磨(よきとぎ)集落から西明寺まで山道が通っているようなのだが、地図アプリに現れるわけはなく、探してもよくわからなかったので、ナビゲーションの指示通り国道307号に出たが、交通量の多さとスピードに終始緊張した。
しばらく歩くと西明寺の案内のある交差点に出たが、信号がないのでなかなか渡れなかった。こんなところを歩く人はいないのだろう。最後は手を上げ無理やり横断。
志納所に到着。金剛輪寺から40分。自販機は別の場所がよかったのではないか。
本坊山門。往きのバスで湖東三山のことを調べていると、この寺も映画『蝉しぐれ』の撮影に使われたことを知った。この山門は、「ふく」が匿われていた欅御殿の門前だった。
山門をくぐると池泉鑑賞式庭園。対岸には立石とサツキ。立石は本尊の薬師如来、日光、月光、および十二神将などを表しているとか。1週間遅ければサツキが咲いていただろうか。
庭園を抜けると素敵な苑路が巡らされていたが、獣の侵入防止のためか物々しい電気柵も。
少し遠いが二天門。こちらも持国天と増長天だったが、これらの仏様と決まっているのだろうか。庭園から進むと本堂の北側へ行き着いてしまったので、ここまで下りてきた。
国宝三重塔。いまさらながら、国宝や重文建造物に備わる駒札について調べてみた。どの駒札にも書いてあるHITACHIと火気厳禁。1966(昭和41)年大徳寺方丈の火災を受け、日立製作所が防災設備を納入したが、合わせてこの看板を考案、設置したのがはじまりだそうだ。その後全国の文化財所有者へ看板設置の確認を行い、希望者へ製作、設置しているとか。
国宝本堂。『蝉しぐれ』を観返したが、この本堂も使われていた。主人公の父が幽閉された寺だった。本堂だけではわからなかっただろうが、三重塔も映っていた。ひとつ前の画像のようなアングルで、三重塔の石積みの基壇と、棟の配置が同じだったので間違いないだろう。
国宝指定第1号だそうだが、ナンバリングは北からだったはず。国指定文化財等データベースを確認すると、重要文化財登録日が1897(明治30)年12月28日なので、旧国宝時代の国宝。
国宝(National treasures)という概念を生んだのはアーネスト・フェノロサだが、法令上はじめて「国宝」が用いられたのは、1897(明治30)年の古社寺保存法制定のときだそうだ。廃仏毀釈を嘆いたフェノロサが、20年にわたり文化財保護に尽力したおかげでつくられた法律。
その後1929(昭和4)年に国宝保存法へ変わり、1950(昭和25)年に現行の文化財保護法へ変わったが、それまでの国宝はいったんすべて重要文化財となり、あらためて国宝が選ばれた。西明寺の本堂と三重塔は、1952(昭和27)年11月22日にあらためて国宝に指定されている。
本堂の脇陣に仏様の映るパネルが立ててあった。内陣の煤けた柱を赤外線撮影したものだが、描かれている仏様が飛鳥時代の様式に酷似しているそうで、当時描かれたのであれば、鎌倉時代初期の建立と伝えられてきた建築年代が覆る。小僧さんが興奮しながら話してくれた。
年代測定をすれば明らかになるが、解体しなければならない。ちょうどお上へ解体修理の申請をしているところだが、順番がなかなか回ってこないと嘆いていた。
蟇股が素敵だったが、意匠が3種類あった。小僧さん曰く、建立時のもの、鎌倉時代後期に五間から七間へ増築されたときのもの、室町時代に増築した向拝のものだそうだ。
よくしゃべる小僧さんだった。おかげですっかり長居をしてしまい、時計を見ると16時を回っていた。次の多賀大社までは1時間かかるので遅くなる。断念して帰ることにした。
タクシーを呼んだのだが、寺のどこへ来てもらうかで噛み合わず、志納所にいた方に段取りをつけていただいた。そのうえ、志納所からその場所まで遠いからと車で送っていただいた。
その場所は駐車場だった。そして駐車場の前に総門があった。こちらが正式な参拝ルートなのだ。そうすると、高速道路を渡ったときに見た、樹木の生い茂る風変わりな橋は参道なのだ。
いや、橋ではなくトンネル。幅が40mもある。ネットで見つけた画像では、砂利を敷き、石垣を積み、たくさんの樹木が植えられ、まったく違和感のないつくりだった。