雨の金沢

会場出入口の壁を撮影したものだが、トリミングしすぎておかしくなった。
内藤礼さんの作品は、瀬戸内国際芸術祭で家プロジェクト『きんざ』を観たが、地窓しか覚えていない。そのときにはまだ豊島美術館も完成していなかった。だから一度ちゃんと展示を観たいと思っていたが、作品の性質からこれだけでは心もとないと思ったので、昨年できた『谷口吉郎・吉生記念金沢建築館』をセットにして雨の金沢を訪れた。

あいかわらずの端正なファサード。道路に面したロビーはガラス張りで低く抑え、展示室のあるボリュームは少し下げて淡色の花崗石で覆われている。ガラスの上部には細い丸パイプが組まれたアルミのすだれ。少々うるさく感じたが、なければきっと様にならないのだろう。
地階では企画展が行われていたが、部屋が小さいので十分とはいかない様子。それよりこの施設で観るべきは2階の『游心亭』主和室や茶室が寸分違わず再現されていて感激した。
学芸員に伺ったが、この地はもともと谷口家。祖先はここで九谷焼の窯元を営んでいたのだそうだ。どうりで。才能は必要だが、それ以外の要素が人生に大きく影響を及ぼす。

谷口吉郎さんがデザインした室生犀星の文学碑があることを知り、金沢21世紀美術館への道すがら寄ってみたが、途中川を渡ってハッとした。犀星の『犀』はこの犀川からとったのだ。犀川は高水敷が一面芝で覆われていて、それが雨に濡れて際立っていた。室生犀星もこの美しい景色を眺めていたのかと、川を見つめながら思いを馳せた。
雨がひどくなり、金沢21世紀美術館へ着くころにはシャツやズボンがびしょ濡れだった。気分が萎えていたところ、ロビーには追い打ちをかけるような人の列。夏休みなのか若者や子供も多く、響きわたる声が待ち時間の耳に不快だった。天井が高くアルミでできているのでよく響く。谷口建築館のように永田音響設計さんに入ってもらえばよかったのに。
さて内藤さんの展示。多くの芸術作品に説明はいらないと思っているが、彼女の生み出すものは説明がないとわかりづらい。たとえば『精霊』という作品は、布に赤い染みができているというものだが、染料は巻貝の分泌液だそうで、「貝は死ぬけれど貝紫は永遠の色として残る。次の生が与えられる」とのこと。どこにも説明がないのでわからなかった。
彼女の作品はどれも繊細で、糸や水たまりなど存在すらわかりづらいものがあった。曇天のせいで部屋が薄暗く(照明は灯さず自然光での展示)、老眼も手伝いよく見えない。何度か「足元に作品があります」と注意を受けたが苦笑い。老眼にやさしくない展示なのだ。
瞼に焼きついたのは『母型』に立つたくさんの『ひと』。あらゆる方向に立つ『ひと』は見る存在だが、鑑賞者が近づくと一転見られる存在に変わる。不思議な感覚を覚えた。
行きの電車で購入しておいた『空を見てよかった』を読んだが、感覚的な文章に戸惑った。少しでも近づきたいと噛みしめ読み進めたが、そのうち目で追うだけになってしまった。おかげで金沢に着くまでに読み終えた。所詮自分とは相容れないのだろうか。

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