一乗寺と書写山

書写山円教寺で杉本博司さんの展示を鑑賞。『オールひめじ・アーツ&ライフ・プロジェクト』という姫路市立美術館の企画だそうで、円教寺にある仏像と杉本さんの五輪塔を組み合わせたインスタレーション。会場となるお堂は三之院の常行堂。通常は非公開だそうだ。
書写山へ上る前に、訪ねてみたかった一乗寺へ寄り道。加西市にあるが、姫路駅からバスが出ている。この路線も本数が少ないので、先日の二の舞とならないよう早めに家を出た。

入口に山門はなく、見渡す限り伽藍もない。香炉や笠塔婆があるので寺とわかるが、香炉は焚かれておらず線香も置いていない。オブジェと化しているようだが、そんなことあるだろうか。

志納所を抜けると広場のようになっているが、この角塔婆の配置はどういうことだろう。何か意味があるのだろうか。それとも、単に石段や通路の中心に据えただけだろうか。
角塔婆の後ろに石段があるが、伽藍は石段を上った先にある。最頂部の大悲閣(金堂)までは161段あるそうで、その途中に常行堂や国宝三重塔が配置されている。

76段目にある常行堂。この寺のお堂はどれもよい具合に褪せている。

次の36段を上ると国宝三重塔。正面は引きがなく陰になっていたので、石段から撮影。
相輪の伏鉢に1171(承安元)年建立との銘があり、平安末期に建てられたものとはっきりしているそうだ。屋根の逓減率は法隆寺五重塔のように高い。前面に引きがないからだろうか。

最後の49段を上ると大悲閣(金堂)。大悲閣ははじめて聞いたが、大悲とは観音様のこころのことで、観音様を祀るお堂のことを大悲閣というそうだ。

大悲閣は懸造。外縁から見下ろした景色。三重塔の向かいは法輪堂。経蔵だそうだ。宝形造で海鼠壁、出入口に唐屋根の架かるごちゃ混ぜ建築だった。

緑に埋没するようなこの眺めはすばらしい。右手は常行堂。

奥の院の開山堂。この寺を開山した法道仙人が祀られているとか。宝形造に花頭窓。

その奥は賽の河原と名づけられた場所。大きな磐座の下にお地蔵様。せせらぎの向こうを見るとダムのようなコンクリートの壁があり、そこから流れていた。

入口に山門はないが、東西とも500mほど行ったところに古い山門があるようだ。山内をお参りしたあと見に行くつもりが時間がなくなった。バスのダイヤのせいで滞在時間が2時間もあり、消化できるか心配だったが使い切ってしまった。長居してしまう素敵な場所だった。

東隣は白漆喰塗りの塀が美しい歓喜院。一乗寺の塔頭だそうだが、国土地理院の航空写真によれば築20年程度。廃寺から復興したのだろうか。石垣はむかしからあるようだ。ちなみに、一乗寺は孝徳天皇の勅命により、650(白雉元)年に創建したとの言い伝え。

寺の前の歩道は石畳になっていて、これもこの場所の美しさの一助となっている。
一乗寺は10幅からなる『聖徳太子及び天台高僧画像』という国宝も所有しているそうだが、奈良博、東博、大阪市立美術館へ寄託しているので、寺では観ることができないようだ。
ネットを検索したところ、ちょうどいま京博の特別展で2幅が展示されているようだ。近々『神坂雪佳』展を観に行こうと思っていたので、そのときに合わせて観に行きたい。
寺宝といえば、志納所を入った広場の左側にある白漆喰塗りの建物はやはり宝物館だった。年に2日しか公開していないそうで、あとは事前に申し込めば鑑賞できるようだ。

次に向かったのは『姫路市書写の里・美術工芸館』。姫路城の大手門まで戻り、書写山ロープウェイ行きのバスへ乗り換えた。施設はロープウェイ乗場のすぐ北にある。

設計は宮脇檀さん。築30年になるそうだ。柱はなぜ朱色なのだろうと思っていたが、この建築は寺院なのだそうだ。円教寺にもインスパイアされているそうだが、よくわからなかった。

階段に泥でつくられた仏様が並んでいる。開設当初からの常設展示だそうだが、ダイナミックな空間にそぐわないと感じた。仏様をつくったのは、姫路市出身で東大寺別当を務めた清水公照さんだそうだが、この施設をつくるきっかけは清水さんの作品寄贈なのだとか。どうりで清水さんの作品が多数展示されていたが、どことなく施設を持て余している印象を受けた。

書写山ロープウェイ山上駅の展望デッキ。ロープウェイの乗車時間は約4分。
書写山には登山ルートが複数あり、優しいルートだと1時間で登れるそうなので、往復とも歩く予定にしていたが、急遽一乗寺を挿し込んだので、時間を稼ぐためにロープウェイへ変更。

志納所そばの広場にある石碑。書写山の麓に生まれた小説家椎名麟三の言葉を、親交のあった岡本太郎が書き写した。石碑の造形は、姫路で活動した画家小野田實によるそうだ。

仁王門。青もみじがきれいだが、門の存在を希薄にしてしまう。せっかくの三棟造なのに。

摩尼(まに)殿。一乗寺の大悲閣と同じ懸造だが、こちらは跳ね出しが大きく架構が華やか。摩尼はサンスクリット語で如意という意味だそうで、本尊は六臂如意輪観世音菩薩。
空が急に暗くなり、雨が降ってきた。しばらく待ったがやみそうにないので、ウィンドブレーカーのフードをかぶり、インスタレーションの行われている常行堂へ向かった。

インスタレーションは、阿弥陀如来坐像を五輪塔がぐるり取り囲むというもの。
常行堂とは、阿弥陀如来の周りをお経を唱えながら何日も歩き続ける行のためのお堂。五輪塔は僧が周回している様を表していて、歳を取り修行できない自分の代わりと杉本さん。
室内は暗かったが、場所によっては窓からの光が光学ガラスを射しプリズムをつくっていた。

阿弥陀如来坐像の後壁には来迎図が描かれていた。仏像が壁に寄りすぎて見えなかったそうだが、杉本さんが寺や文化庁へ掛け合い、四方柱の中央へ移動したそうだ。青色が多く残っていたが、むかし根津美術館で観た来迎図のような色彩だったのだろうか。
9/17からは能をテーマにした展示に替わるそうだ。同じ日から姫路市立美術館でも展覧会が開催されるそうで、テーマは本歌取り。円教寺を開いた性空上人の坐像も出品されるとか。

広縁へ出ると雨がやんでいた。モノトーンだった大講堂に色が戻っていた。それがとてもきれいだったので、胡坐をかいてしばらく眺めた。対面配置はすばらしい。

開口と開いた桟唐戸の三角がリズミカル。中央の開口の奥に鈍く光る釈迦三尊像。

常行堂の広縁。映画『ラストサムライ』では主に食堂が使われたが、映画『駆込み女と駆出し男』では東慶寺に見立て、常行堂、食堂、大講堂の三之院と、広場まで余すところなく使われた。原田監督は『ラストサムライ』に出演し、いつかここで撮りたいと願ったそうだ。
印象深かったシーンは終盤の大審問。大講堂で執り行われている審問を、常行堂の広縁で傍聴する尼僧や駆込み女たち。三之院の配置やお堂の奥行きを活かしたカメラワークが秀逸。引きの絵に挿される主演たちの寄りにドキッとする。田の中の乱入シーンも見ごたえがあった。

大瓶(たいへい)束。きつねかうり坊が梁をくわえているかのよう。

食堂の対面は姫路城主だった本多家の墓所。墓所がつくられる前は五重塔が建っていたそうだが、1331(元徳3)年の大火で焼失してしまったそうだ。三之堂に加えて五重塔、寶(たから)蔵まで建っていたそうで、さぞかし荘厳な景色だったことだろう。

奥の院開山堂の隅尾垂木で屋根を支える力士像。日光東照宮の眠り猫で有名な左甚五郎作との言い伝え。四隅のうちひと隅に像がないのは、重みに耐えかねて逃げてしまったからだとか。

帰り道の途中に雰囲気のある場所。瑞光院という塔頭だそうだ。これを書くのに『駆込み女と駆出し男』を見返したが、源兵衛が待つお寺の山門としてこの場所も使われていた。

最後は、まったくわからないが姫路市内の景色。嘘のように雨雲がなくなっていた。