金剛不壊

はじめて訪れた京都民藝資料館。土蔵の2フロアが展示室。これまで訪れた民藝館のなかで最も小さく、スペース故の展示も物足りなかったが、建物がとても魅力的だった。
開館早々に訪れたが、すでに老夫婦がいらっしゃった。男性は能弁で民藝にかなり詳しいご様子。それもそのはず、河井寛次郎さんのご家族だった。名前が聞きとれなかったが、河井寛次郎記念館の館長とおっしゃったので、河井敏孝さん夫妻だったのだろう。感激。
企画展示は十二段家二代目西垣光温さんのコレクション。この施設の設立と運営に尽力されたそうだ。様々な種類の蒐集品があり、なかでも棟方志功の書が興味深かった。

タイトルは展示室の額に書いてあった言葉で、この土蔵の由緒書き。佐賀県で明治時代に建てられたものを移築したそうだが、展示以外の機能が土蔵にうまく増築されていて、意匠や材料もすばらしかった。ベンガラが塗られているので、下述の上田さんが設計されたのだろうか。

道を挟んで向かいの建物は、陶芸家上田恒次さんのご自宅兼工房だったそうだ。陶芸家でありながら設計もできたそうで、寛次郎さんのようにご自身で自宅の図面を引いたのだとか。寛次郎さんといえば、上田さんは寛次郎さんのお弟子さんだったそうだ。つながっている。
瓦、漆喰、ベンガラ、石積み、長屋門の開口部、石畳、竹の緑、紅葉した桜、南天。完璧。

並びに建つ鰻屋『松乃鰻寮』の建物も上田さんの設計だそうだ。先代の女将さんが上田さんと懇意だったそうで、もともと竹藪だったこの場所に家を建てないかと持ち掛けられ、のちにお店に転用したのだとか。欅の一枚板を使った廊下や竹天井、車箪笥などが見ものだそうだ。
女将さんは若いころ、行儀見習いとして濱田庄司さんのお宅に世話になったそうなので、それが縁で上田さんと知り合いになったのだろう。

上樵木(かみこりき)町の『ムガール』でカレーを食べたあと、祇園まで歩こうと木屋町通りを下り、三条通りに着いて驚いた。TIME’Sビルに囲いがされていた。最後のTシャツ屋さんも撤退したようだ。電線防護は仮囲い時のものか、あるいはこれから行われることに対してか。いやいや解体などあり得ない。このビルは永遠に建ち続けるべき安藤さんのレガシーではないか。

祇園では、ZENBIで『美しいお菓子の木型』展を鑑賞。たくさんの木型が展示されていて、様々なモチーフが面白く、繊細な彫刻に唸ったが、展示ケースに入れられたり、このような場所で展示されるものではないと思った。前にも書いたが、むかし大阪日本民芸館の売店で木型が売られていた。古箪笥に木型がずらり並んだ景色がとても素敵だった。
木型制作の実演コーナーがあったが、職人と思しき方は知人たちとおしゃべりに夢中だった。

コウモリやカニの落雁は可愛らしいが、どのような注文や目的で作られたのだろう。

鍵善良房の木型。これは欲しい。木型には山桜が使われることが多いそうだ。
京都民藝資料館で勝手なご縁をいただいたので、河井寛次郎記念館へ寄って帰ろうと訪れたが、賑わっていたのでやめた。平日に出直そう。それにしても民藝好きが増えた。