アンディ・ウォーホル・キョウト

閉幕間近のアンディ・ウォーホル展へ。ZENBIと京都市京セラ美術館をはしごした。

ZENBIはまさかの設え。プロデューサー井村氏の発案だろうか。『ANDY WARHOL KYOTO』の企画もされているそうなので、気が入っておられるのかもしれない。
右端に見えるアイボリーの箱は、ウォーホルが京都で訪れた場所や、この施設のような関連した場所に設置されているそうで、天板にあるQRコードを読み込むと音声ガイドが流れる仕組みだそうだが、読み込んでも先へ進めず聞くことができなかった。

エントランスのウォーホルのみ撮影可。受付の奥を見ると、カウンターの上にキャンベル・スープ缶がピラミッドに積まれていた。意外にも和の壁に合っていた。
展覧会は『原榮三郎が撮った京都-Warhol in Kyoto 1974』と題し、ウォーホルが1974年に来日した際同行した、現代美術作家の原榮三郎氏により撮影された写真を展示するもので、桂離宮や三十三間堂、祇園などを訪れているウォーホルが収められていた。
一緒に写っていた女性は誰だろうと調べると、安斎慶子という方で、来日の際大丸で開催された展覧会のプロデュースをされたそうだ。ウォーホルは常にビニールのショッピングバッグを手に提げていたが、これを「バッグ」として扱っていたようだ。
次回の展覧会は寛次郎さんだそうだ。鍵善良房のお店へ行くと、黒田さんの棚に飾られた器にため息がこぼれるが、家の中には他にもゴロゴロしているそうだ。羨ましい限り。

京都市京セラ美術館の会場は、杉本さんの『瑠璃の浄土』を観賞した東山キューブ。
大勢のお客さんだった。作品はすべてアンディ・ウォーホル美術館の所蔵品とのこと。日本初公開の作品があったり、キービジュアルになっている『三つのマリリン』は門外不出だそうだ。

ショップ出口。会場入口へ向かう場所でもあるのでこの掲示なのだろうが、見通しが悪い。
前に来た時も感じたが、この会場のプランはこれが正解なのだろうか。入口までの通路が長いので気が急いてしまう。落ち着かせるために全面ガラスにして庭を見せているのだろうか。
こちらから入り、鑑賞後通路を戻ってくれば、庭の景色もゆっくり見ることができるだろう。

自画像からスタート。カモフラージュは晩年のモチーフだそうだ。アイキャッチのつもりだろうか、タイトルとロゴがうるさくないか。スマホに限り全作品撮影可とのこと。

ZENBIでの写真は1974年来日のものだったが、はじめて来日したのは1956年だそうだ。
葉書は都ホテルのもの。1956年だと村野さんが携わる前。どのような施設だったのだろう。

キャンベル・スープ缶の作品は1つだけだと思っていたが、スープの種類が32あったので、作品も32種類あるそうだ。考えたことなどなかったが、この商品を選んだ理由があった。子供の頃からトマトスープを飲み続けていたそうだ。バックストーリーがあるのだ。

肖像シリーズの中に教授がいた。そういえば昔広告に使用されていたような。

毛沢東。当時中国からクレームはなかったのだろうか。現在なら制作できないだろう。

エルヴィス・プレスリー。もしかして宝誌和尚(ほうしわじょう)立像を観たのだろうか。

大きなカモフラージュの作品はよくわからなかった。隣の最後の晩餐と関係性があるのだろうか。スペースがもったいないと思った。無知なのでもっと作品を観たかった。

最後の晩餐。絶筆だそうだ。1987年、ダ・ヴィンチの最後の晩餐があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂の傍で本作の展覧会を行ったが、オープニング後に体調を崩し帰国。先延ばしにしていた胆嚢の手術を受けるが、術後の処置が悪かったせいで亡くなった。享年58歳。
ウォーホルは敬虔なカトリック教徒であり同性愛者だった。THE BIG Cの「C」はCancerの頭文字で、昔エイズは同性愛者の癌と呼ばれていた。バイクはタンクを見るとホンダウィングが描かれている。ホンダウィングは勝利の女神ニケのことなので、癌に打ち勝つという意味が込められているのではないか、とはある方の考察。バックストーリーがあるのだ。

三条駅まで歩いたが、思い出しTIME’Sへ。解体されておらず安心した。囲いは撤去されていたが、テナントは入っていないようで、テナント募集中の横断幕が寂しかった。
1階の明かりはデベロッパーだろうか。ウェブサイトの募集案内では、一棟貸しの場合500万/月、フロア貸しで1階の場合200万/月、区画貸しで最大区画の場合140万/月とのこと。