住吉大社

大阪府の国宝建造物探訪を完結させようと住吉大社を訪れた。毎年正月に参拝し、国宝建造物も目にしているのだが、混雑しているのでゆっくり拝観したことがなかった。
先日高野山の帰りに観心寺を参拝したので、残るは住吉大社だけとなっていたが、他に忙しく、近くということもあり、なかなか足が向かなかった。ところが先日、YouTubeで住吉大社を紹介している番組を見ると、途端に訪れたくなった。それはeo光チャンネルが制作している村瀬先生出演の番組だったが、住吉大社の他に訪れていた店に心奪われてしまった。

住吉高灯籠。灯台のことだが、日本で最初だそうだ。昔はこの辺りまで海だった。
余談だが、縄文時代大阪は海だった。『河内湾』だった。北は高槻、東は生駒、南は八尾まで海水に浸かっていた。弥生時代から古墳時代になると、上町台地から州浜が北へ延び、湾への海水の流入がなくなり淡水化し、『河内湖』となった。
住吉大社参拝の前に、心奪われた店のひとつ『洋食やろく』へ。1935(昭和10)年の創業以来提供されているという『玉子コロッケ』が名物だそうで、食べてみたいと思った。
ウェブサイトではセットメニューが1,815円からだったので覚悟していたが、店のメニューにはランチセットもあり、最もポピュラーであろう『やろく定食』を注文。玉子コロッケ、ヘレカツ2切れ、ポテトサラダ、キャベツ、それにライスと味噌汁がついて1,280円。
玉子コロッケはげんこつ大で、クリームコロッケのような食感。ホワイトソースに細かくしたゆで卵、ハム、玉ねぎと、開いた海老が入っていた。これをケチャップにつけていただく。
村瀬先生は体をのけぞらしながら「うまいなあ」とおっしゃっていたが、そこまで感激するものではなかった。衣の中は類を見ないが、おいしいコロッケは他にもある。

住吉大社西大鳥居。柱が四角の『住吉鳥居』が知られているが、この鳥居の柱は丸い。

俵屋宗達筆国宝『源氏物語 関屋澪標図屏風』2隻のうち澪標(みおつくし)図。陶板で仕立てられた原寸大の写しで、制作は大塚国際美術館の陶板作品を手掛けた大塚オーミ陶業。
本物は静嘉堂文庫美術館所蔵。なかなかお目にかかれないそうだが、いつか観てみたい。

屏風の左端にも描かれている反橋。朱がきれいだったが、今年塗りなおされたのだろうか。

現在の橋は、豊臣秀頼の成長を祈願し、淀君が奉納したと伝えられているそうだ。

奥より第一本宮、第二本宮、第三本宮、第三本宮の右側が第四本宮。第一本宮の幣殿はイレギュラーだが、4つの本殿はまったく同じつくり。なので4つとも国宝指定。
祭神は、第一本宮は底筒男命(そこつつのおのみこと)、第二本宮は中筒男命(なかつつのおのみこと)、第三本宮は表筒男命(うわつつのおのみこと)、第四本宮は息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)。第一から第三までの3神は海の神様なので、通常南か東を向いて神殿を配置するところ、住吉大社の4宮は西を向いて配置。航空写真を見ると4隻の船のよう。

第二本宮を南から見る。右が本殿、左は幣殿、接続部分は渡殿(わたどの)。3つの部分のうち、国宝に指定されているのは本殿のみ。他の2つの部分は重要文化財。4宮とも同じ。

右は第三本宮、左は第四本宮。本殿は住吉社にしか見られない住吉造。神明造に似て屋根に反りがないが、神明造の平入りに対しこちらは妻入り。内部も内陣と外陣の2部屋を持つ。
第四本宮の祭神である息長足姫命は神功皇后のことなので、千木は水平にカットされた「内削ぎ」になっているが、鰹木は他と同じ5本。男神は奇数、女神は偶数と教わったのだが。

第四本宮幣殿。第二本宮幣殿、第三本宮幣殿もまったく同じつくり。

第一本宮幣殿のみ間口が広い。ウェブサイトに参拝の順序はないと書いてあるが、西から境内へ入ると最も奥に位置していることもあり、ここを一番にお参りしてしまう。
優劣がないのであれば、なぜつくりが異なるのか。理由は単純かもしれない。正月に参拝すると、ここで祈祷が行われているのを見る。大勢を収容するため広くしたのではないだろうか。

祓殿は神明造。上部より甍覆い(いらかおおい)、障泥板(あおりどろいた)、鞭掛け。
桁小口の飾り金物には住吉大社の神紋である花菱。神宮でも花菱紋が使われているが、それは神紋の代わりであり、神殿が白木造である神宮には元々神紋はないそうだ。

土俵。架構が美しかったので。屋根はトタンの波板だが、甍覆いと障泥板つき。

石舞台。四天王寺、厳島神社の舞台と共に日本三舞台だそうだ。味気のないステンレス柵で囲ってしまい、どこが重要文化財なのだろうと思ったが、これは舞台へ上がらないようにするための措置で、舞が披露される時にはこの柵は取り外され、朱の高欄が設置されるそうだ。
これで大阪府の国宝建造物探訪は完結。5か所で8件8棟の国宝建造物を拝観した。

東大鳥居をくぐり境内を後にした。立派な石灯籠が見えたので近づくと、摂社浅澤社(あさざわしゃ)が鎮座していた。祭神は芸能や美容の神様だそうで、女性が数名参拝していた。
周囲の池に植えられているのはカキツバタだそうだが、藻が繁殖していて気味が悪かった。

心奪われたもうひとつの店『池田屋本舗』を最後に訪れた。こちらも『住之江味噌』という名物のある味噌屋さん。名物を味わってみたかったし、こちらは建物にも惹かれた。
元々酒造業を営んでいたそうで、創業は室町時代の1531年。周囲にも古い家屋が点在していたので、調べると店の前の道は旧熊野街道だった。平安時代から鎌倉時代、「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど盛んだった熊野詣。きっとこの道も大勢の参詣者が歩いていたのだろう。
住之江味噌は食べる味噌で、ごまの入った甘めの味噌。帰りにデパ地下でとんかつを購入し、味噌カツにしてみたが、胡麻の香ばしさと味噌の甘さが絶妙で、とてもおいしかった。