慈眼院、孝恩寺、櫻井神社

大阪府にある国宝建造物を訪ねた。地元なのに、国宝建造物探訪をはじめてすぐに訪ねなかったのは、孝恩寺の国宝建造物が修理中だったから。Googleマップに工事完了との口コミがあがったので、電話で確認してみると、次の工事があるので中には入れないが、外観だけでよければ、落慶法要後の10月以降なら見学して構わないということだった。

最初に訪れたのは泉佐野市にある慈眼院。こちらは事前予約制。行事で応対できないことがあるので予約制としている。何もなければ、希望日の2、3日前の連絡でも可とのことだった。
JR日根野駅から徒歩30分。隣接する日根野神社を先に参拝した後、鐘楼の横を通るとRC造のお堂が見えたが、庭師が作業をしていたのでスルーし、HITACHIの駒札の横をくぐり庫裏へ。呼び鈴を押すと作務衣を着た女性が現れ、拝観ゾーンへ案内してくださった。

庫裏の裏庭。あらかじめ知ってはいたが、苔の美しさに目を見張った。

門をくぐると拝観ゾーン。重要文化財の金堂。小さいながらも鎌倉時代の建築様式が凝縮。

角の組物。木鼻は拳鼻だろうか。野地板が白く塗装されているのはおそらくはじめて。

スナゴケに割って入っているのはシソだろうか。

苔むす平板ブロック。面白い光景。

国宝多宝塔。高さ10m。国内最小の塔だそうだ。日本三名塔は、法隆寺五重塔、醍醐寺五重塔、瑠璃光寺五重塔だそうだが、多宝塔では、石山寺、金剛三昧院とともに日本三名塔と呼ばれているそうだ。小ぶりゆえだろうか、上品な美しさをまとっている。

白く塗装した斗ははじめて。巻斗から肘木にかけて赤いのも。

出発する前に再び日根野神社を歩いていると、門扉越しに多宝塔が見える場所があった。
格子の間から撮影したので門扉は写り込んでいないが、肉眼ではこのようには見えない。これ以上近づくこともできないので、きちんと拝観してよかった。

次は貝塚市にある孝恩寺。電車でも徒歩でも1時間30分だったので歩くことに。

30分経過。雨山城とは情緒がある。城址からの景色がよさそうなので、いつか登ってみたい。
この辺りから阪和自動車道に沿って進む。高速道路を走るとつい沿道に目が行く。高速道路ができる前は、どのような道が通っていたのだろうと想像してしまう。

50分経過。この辺りはまだ稲刈りをしていなかった。

80分経過。阪和自動車道から離れ、人家が集まってきた。

孝恩寺到着。立派な構え。山門の向こうに見えるのが国宝建造物。

国宝観音堂。敷石の配置と正面の引きのなさによるのか、ここから撮影した写真が多い。
このお堂は元々行基が創建した『観音寺』という寺院のものだったそうだが、室町時代に戦火で他のお堂をすべてなくしてしまい、廃仏毀釈のときに考恩寺へ合併されたのだそうだ。
この辺りの地名は木積(こつみ)というそうで、行基が多くの寺院を建立するため、山から切り出した材木を集積していたことから名づけられたそうだ。

近すぎて屋根がおかしいが、正面からでも0.5倍でギリギリ撮影できた。落慶法要のときに使用されたままなのか、屋内に五正色幕(ごせいじきまく)が取りつけられていた。

堂々たる蟇股だが、蟇股は正面のみで、側面、背面には間斗束。蟇股の股の内側の意匠が5間とも異なっていた。木鼻は象だろうか、それとも獏だろうか。かわいい形をしている。
修理は100年ぶりで4年かけて行われたそうだが、来年3月にはすべて終わるそうなので、新緑の頃に再訪したい。本尊や、宝物館に安置されているという19体の仏像を拝見したい。
次は堺市にある櫻井神社。歩くと3.5時間かかるので、さすがに電車とバスを乗り継いで行く。水間鉄道から南海電鉄へ乗り継ぎ泉大津駅で下車。南海バスで和泉中央駅へ渡り、再び南海電鉄で栂・美木多駅へ。乗り換えが面倒だがこれが最短ルート。それでも2時間かかった。

通り道にある水間寺を参拝。前に来たのは子供の頃。

三重塔が建っていることなど忘れていた。江戸時代の再建だそうだ。

水間鉄道水間観音駅。三重塔を模した駅舎は、国の登録有形文化財だそうだ。

ヘッドマークがおかしい。調べると、1万円+税でオリジナルデザインのものを10日間装着してくれるそうだ。北条鉄道の鈴虫や枕木もそうだったが、ローカル鉄道は自由で遊び心がある。夏に乗ったときは、広告の代わりに子供の描いた絵が飾ってあった。

桜井古跡の横を流れる妙見川の橋の上。近づくと海老を描いた紙がずらり。その名もずばり『海老紙』だそうで、祭へ寄付した方の名前と金額が記されていた。それよりなぜ海老なのかが知りたかったのだが、ネットを検索してもよくわからなかった。なぜなのだ。

櫻井神社到着。2019(令和元)年に建てられたという鳥居。てっきり造り替えたのだと思ったら、2009年のGoogleストリートビューに鳥居はなく、1956年の航空写真にも写っていない模様。
改元を記念して設置したのだろうか。それにしてもこの大きさ。工作物申請にかからないギリギリの高さのように見えたが、ここまで高くした理由が見栄なのであれば残念。

神社にそぐわない薬医門。むかし神宮寺という寺院と習合していた名残りだそうだ。
提灯の図柄が菊花紋章なのは、祭神が天皇や皇后だから。中殿に誉田別命(ほむたわけのみこと)=応神天皇、東殿に足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)=仲哀(ちゅうあい)天皇、西殿に息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后。創建は不明だが、この辺りに住んでいた桜井朝臣(さくらいのあそみ)が、祖神として武内宿禰を祀ったのが始まりだとか。

国宝拝殿。石上神宮の摂社拝殿と同じ割拝殿。ベンガラが独特な雰囲気をつくっている。
奥にある賽銭箱には張り出し屋根がかかっていたが、木材は白木だったので、おそらく後づけされた模様。このような場合国宝としてどう扱われるのだろう。後づけ部分は無視だろうか。

正面左右の開口が、蔀戸ではなく桟唐戸なのが珍しく面白い。妻面の各部配置の妙。

中央の馬道(めどう)。祭礼時には左右の格子が馬道側へ倒れ、床ができるそうだ。

祭神のせいなのか、この神社の建物には品のよさや清々しさを感じた。

休憩所に巨大な鬼面。『こおどり鬼面』だそうで、国の無形文化財に指定されているそうだ。
神社の名前が「櫻井」なので、ミスチルの桜井さんや、嵐の櫻井さんのファンが詰めかけているそうだ。たくさんの絵馬が奉納されていたが、よく見るとファンによるものも。
これで大阪府の国宝建造物探訪は一応完結。他に住吉大社と観心寺に国宝建造物があるのだが、住吉大社は毎年初詣で訪れているし、観心寺は秘仏如意輪観音菩薩の拝観で一度訪れている。でも両者とも撮影していないし、古建築を見る目で見ていなかったので、近々訪れたい。

最後に土塔を見学。奈良の頭塔をきっかけに知り、訪れてみたいと思っていた国の史跡。
行基60歳のときの仕事。現在はす向かいにある大野寺の仏塔としてつくられたそうだ。1辺53m、高さ9m、13層のピラミッドで、屋根も壁面も瓦で覆われていたとか。頂部には円形の段があったそうなので、多宝塔のような亀腹とお堂があったのだろうと。

復元案の模型。出土した遺物から相輪は陶製だったと考えられるそうで、模型の相輪もそのように作られていたが、その遺物を見てみたい。堺市博物館で見られるだろうか。