琵琶湖疏水を歩く

先日琵琶湖疏水を走る遊覧船のことを書いたあと、満開の桜の下を通行してみたくなったが、ウェブサイトにある予約カレンダーは連日満席。京都市上下水道局のウェブサイトによれば、一度に全日全ダイヤを販売するようなので、開花期間の分はすぐに売り切れるのだろう。
乗れないことはわかったが、せっかくなので花見に行こうと思った。京阪電車のホームページに琵琶湖疏水の特集があり、ルートガイドが掲載されていた。三井寺から蹴上までの10kmを、疏水に沿って歩くという。詳しいマップも用意されていたので、歩いてみることにした。

まずは前回帰りの車中で知った国宝『新羅善神堂』。三井寺の鎮守社のひとつで、1347(貞和3)年に足利尊氏により造立されたそうだ。唐門は閉じていて、手前に柵もあるので入ることはできないが、塀の隙間から社殿を覗かせていただいた。簡素で美しい三間社流造。
社殿には国宝の新羅明神が安置されているそうだ。智証大師円珍が唐留学の帰りに乗った船に現れたそうで、その姿を坐像にし、三井寺の守護神としてお祀りしているとか。通常非公開だが、2008年に大阪市立美術館で開催された『国宝三井寺展』に出品されている。観に行ったのにまったく覚えていなかった。当時は余裕がなく、調べる気すら起きなかった。
案内板のQRコードをスキャンすると、『三井寺文化遺産ミュージアム』というウェブサイトへリンクしたが、書いてあることは案内板とまったく同じ。意味がないと思ったが、18の言語に対応しているようなので、どちらかといえば外国人へ向けたものなのだろう。

画像の手前に鳥居があるので、本来はこちら側からアプローチするようだが、道はきれいとは言えず、自然のまま放置されているようだった。訪れる人は少ないだろうし、参拝する場所ではないので、きれいにするつもりがないのか、それとも後回しにされているのか。
続けてすぐそばにある弘文天皇陵と新羅三郎の墓へ。弘文天皇は、壬申の乱でのちに天武天皇となる大海人皇子の軍勢に敗れ、この地で自害した。新羅三郎とは源義光のことで、新羅善神堂の神前で元服したことから名づけた別名だそうだ。墓は石ではなく土饅頭。はじめて見た。
戻りは三井寺へ通じる山道を歩いた。10km歩くのでトレッキングシューズを履いてきたが、いきなり役に立った。山道の一部は『東海自然歩道』を兼ねていて、大阪の箕面から東京の八王子までを結ぶ全長1,700kmのコースなのだそうだ。通過する自治体は11都府県と90市町村。完走した方のインタビューがYouTubeにあるが、コンプリート好きにはたまらないのだろう。

琵琶湖疏水ウォーキングのスタートは鹿関橋。大阪市内に比べ開花が少し遅いようで、家の近くの桜が散りはじめても、ようやく開花という状態。びわ湖大津観光協会のツイッターが、毎朝状態を知らせてくれたおかげで、満開のタイミングで訪れることができた。

第1トンネル入口。洞門には西洋の古典的な意匠が施され、先人が揮毫したという扁額が掛かっている。こちらの扁額は「氣象萬千」、意味は「様々に変化する風光はすばらしい」。
琵琶湖疏水のトンネルは4つあり、第1トンネルが最も長く2.4km。出口の場所へ行くには小関峠を越える。標高は200mだが、広い舗装道なので歩きやすかった。峠からは古道へ入る。

第1竪坑。深さは50m。画像に映る部分は直径5.5mあるが、それより下の部分は2.7m×3.2m。地下水に悩まされ、工事責任者の田邉朔郎いわく、全工事のなかで最も困難だったそうだ。
第1というからには第2竪坑もあるが、公道に面していないので近づけないようだ。

国道161号の高架橋を抜け、しばらく進むと寂光寺。磨崖石仏が有名なようだ。それにしても見事な桜並木。ハイカーのおばさんたちもそう思ったのだろう、弁当を広げておられた。

第1トンネル出口。洞門を入れるために引いて撮影したが、洞門そばには満開の桜。扁額は「廊其有容」。意味は「疏水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている」。
左側のシューズに違和感を覚えたので、触るとソールの後ろ側が外れていた。購入して何年経つか覚えていないが、めったに履かないので接着剤が劣化したのだろうか。パカパカうるさいので、ソールを外そうとしたら簡単に外れたが、左右で高さが異なり歩き難くなった。

疏水沿いは道、公園、空地など様々に景色を変え、桜はほとんどの場所に植えられていた。

諸羽トンネル入口。第2でないのは疏水の完成後につくられたから。すぐ南を通る湖西線建設のため、トンネルを掘り水路の位置を変更したそうだ。国土地理院に湖西線ができる前の空中写真があるが、疏水は開渠で山腹に沿っていたようだ。歩道が広かったのは水路を埋めた名残か。

諸羽トンネル出口。後からつくられたので、入口ともに意匠性はゼロで扁額もなし。
行程の半分まで進んだが、左右の高さが異なるせいで足が痛かった。右側のシューズのソールは壊れていなかったが、ためしに引っ張ると簡単に外れた。また吹き出した。

見事な枝振り。対岸まで届いている。この辺りは菜の花も植えられていた。

山側に建物があるところには小さな橋が架かっているが、スロープが味わい深い。

本圀寺へ至る橋は朱塗り。左側が暗いのは天智天皇陵の森があるから。参拝したかったが、入口は1km南で標高差もある。足にひびくだろうし、時間も惜しいのであきらめた。

本野精吾設計『栗原邸』。1929(昭和4)年に建てられた、日本初のコンクリートブロック造。

第2トンネル入口。扁額は「仁以山悦智為水歓」。意味は「仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ」。遊覧船が通ったが、15席程度の小型船。すぐ満席になるはずだ。

第2トンネル出口。ちょうどまた遊覧船がやって来たので、意匠の素敵な洞門と一緒に。
扁額は「随山至水源」、意味は「山に沿って行くと、水源にたどり着く」。向こうが見えるほど短いトンネルだが、水路際は通行できず、少し下りた住宅街を抜けなければならない。でも地図は詳しく描かれておらず、案内板も見当たらなかったので、時間がかかってしまった。

案内が悪いし、ここまで来ようとする観光客はいないのか、ほかに誰もいなかった。
右側の設備は取水口。京都市の浄水場は3か所あるそうで、よそ者でも知っているのは蹴上にある浄水場だが、この取水口は新山科浄水場のものだそうだ。

第3トンネル洞門の手間にある「日ノ岡第11号橋」。日本初の鉄筋コンクリート製だそうだ。

第3トンネル入口。扁額は「過雨視松色」、意味は「時雨が過ぎると、いちだんと鮮やかな松の緑をみることができる」。琵琶湖疏水記念館に展示していた「笠石」がわからなかったのだが、この画像を見て理解した。両端の柱型の頂部の石のことだった。

奥に第3トンネルの出口があるそうだが、ここまでしか近寄れない。見えないが、扁額は「美哉山河」、意味は「なんと美しい山河であろう」。右側の赤茶色の設備は蹴上浄水場の取水口。奥に見えるネオ・ルネサンス様式の建物が遊覧船の乗り場だそうだ。

振り返ると蹴上インクライン。平日なのにこの人だかり。コロナ禍前と変わらないのではないか。このまま進む勇気はなかったので、下へ降りて琵琶湖疏水記念館へ。
記念館は想像以上に楽しめた。大正時代の蹴上周辺を復元した模型は、インクラインの台車が動くようになっていた。第1竪坑の断面図や、目論見実測図という図面も興味深かった。

足の痛みはひどかったが、地下鉄を乗り継ぎ虎屋京都ギャラリーへ。竹中大工道具館のインスタグラムで紹介されていた、フィリップ・ワイズベッカー展を鑑賞。ほとんどが竹中大工道具館で観た作品だったが、「TORA」や「TOKYO STATION」の原画など初見のものも。
ギャラリーの内装はやりすぎていると思った。そう広くない空間で、壁上部から天井一面を、木製ルーバーで仕上げていた。壁上部の四角は照明だそうだ。点いていなかったが、点けば天井はギラギラするのではないだろうか。タイルカーペットは特注だろうか、図柄が素敵だった。

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