金刀比羅宮

夕方行われる講演会の整理券を受け取り、電車に乗って金刀比羅宮へ。鈴木了二さん設計の物質試行47を観るためだったが、金毘羅宮ははじめてだった。だから785段も石段があるとは知らなかった。最近走っていなかったのでよい運動になったが、数日筋肉痛に悩まされた。

物質試行47しか知らずに来たが、金刀比羅宮の社殿には唸るものがたくさんあった。なかでもこの渡殿。これほど長く、折れているのは見たことがない。裏側から見れば、韓国・屏山書院の晩対楼を彷彿とさせた。時間切れで入れなかったが、宝物館には十一面観音像や円山応挙の襖絵などがあるとか。次回はゆっくり来たい。
美術館へ戻り、杉本さんの展示を鑑賞。観たことのある作品が多かったが、最後に展示されていた『陰翳礼讃』ははじめてだった。蝋燭を燃え尽きるまで露光した作品だが、作品の前に実際に蝋燭を灯し、炎が多重露光したように映し出されるという妖艶な展示だった。
そして杉本さんと谷口さんの対談。まずは先の震災のこと。「建築の無力さを思い知らされたが、一方で日本の建築は無常の上に成り立っている」と谷口さん。杉本さんが「だから谷口さんの建築は柱が細いのか」と尋ねれば、「建築はいかに水平力に耐えるかで、垂直荷重にはあのサイズで十分。美術館は壁が多いので、そこで力を受けている」と谷口さん。「杉本さんが建築をはじめたきっかけは?」と訊ねると、「ろくな美術館がないから。展示する側にとってはゲーリーやリベスキンドの美術館は使いにくく、だから展示室の中にさらに空間を作る」と杉本さん。
杉本さんはなかなかの毒舌家。名指しでぶちまけられた。都庁はなぜああなのだ、丹下さんは何を血迷ったのかと吐けば、「よい建築はよい状況のもとにできる。よい状況とはよいスタッフに恵まれているかということで、都庁のころはそうではなかったのだろう」と谷口さん。「黒川さんの広島市現代美術館が寂れ果てている」と杉本さんが吐けば、「それはソフトがだめだから。建築は器だけではだめで、そこに盛る料理に活きがないと古びてしまう」と谷口さん。毒舌を吐く杉本さんと、柔和に受け止める谷口さん。まるでやすきよ漫才を観ているようだった。
そんななか、心に刻まれた言葉が『時間に耐える建築』装飾は不要で、空間が第一。石、木、金属など、素材は違えどすべてが等しく年を経なければならないと。
予告通り20:30に講演会が終了。美術館をあとにして、駅まで歩きながら考えた。これから大阪まで鈍行で戻るのか。億劫だな。明日は土曜日だし、せっかくなので高知まで足を延ばそうか。高知まで行けば内藤さんが設計した『牧野富太郎記念館』や『高知駅』がある。少し遠いが、せっかくなのでそうしよう。駅に着くと、ちょうど高知行きの特急が来るところだった。

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