遺伝子研究者

山中教授の新型コロナウィルス情報提供サイトが更新されていて、黒木登志夫という先生の最新レポートがリンクされているが、そのレポートに第5波収束の原因が述べられている。
第5波が急速に減少したのは、ワクチン摂取と人流減少のおかげだと言われているが、はっきり解明されたわけではない。ワクチン接種者は増えたがブレークスルー感染があるし、人流は減少どころか増加しているのではないか。尾身会長の説明は納得できずにいた。
黒木先生は、ウィルスのほうに原因があるのではないかと考えた。第5波のウィルスのほとんどは、デルタ株の亜種で日本独自のものだそうだが、このウィルスにはゲノムの修復遺伝子に変異が入っているため、ゲノム上の変異を修復できず蓄積し、自滅したのではないかと。もうひとつはAPOBECという酵素。ウィルスの複製を抑える働きがあるそうだが、日本人はこの酵素の働きが活発な人が多いそうなので、感染が減少したのではないかと。
一条の光が差した。発見したのは遺伝子研究者だそうだが、感染症研究者で構成された新型コロナウイルス感染症対策分科会では思いもつかないのだろうか。
第4波はイギリス由来のアルファ株、第5波はインド由来のデルタ株であることは知っているが、第2波、第3波も別々のウィルス株によるものなのだそうだ。つまり感染の波はウィルス株に依存していたわけで、ウィルス株が変わるたびに感染が拡大・収束していたということ。
もし第6波が来るとすれば、それも新しいウィルス株なのだろうか。第4波、第5波がそうであったように、海外からやってくるのだろうか。今月はじめ制限つきで入国が再開されたが、お隣の韓国では感染者が急増中。大丈夫だろうか。ワクチン接種率は80%だそうだ。

Excel UI

Excelを起動するとUIが変わっていた。Windowsが11となり、Officeも2021が発売されたので、UIをアップデートしたということだろう。テーマカラーを濃い灰色にしていて、より濃くなったので気がついたのだが、色合いが変わったのはExcelだけで、WordとOutlookは変わらない。同じOfficeグループなのに、アプリによって色合いが異なって構わないのだろうか。
タイトルバーやクイックアクセスツールバーの変更もいただけない。作業中に「戻る」ボタンを押そうとして気がついた。ツールバーはリボンの下へ移動していた。タイトルバーにはExcelアイコン、上書き保存、ファイル名が表示されているが、いまさらExcelアイコンなど必要ない。ファイル名が中央から左端へ変わったことは評価。ようやく気がついた。
ショートカットメニューから元の位置に戻すことができたが、Excelアイコンは残り、上書き保存が2つ並ぶという間抜け。クイックアクセスツールバーのほうを非表示にすればよいだけだが、縦方向の位置がずれているのは直らない。どうでもよいことだがみっともない。本当にどうでもよいのは、リボンや数式バーの囲いの角が丸くなったこと。そんなことより色合いをもとへ戻してほしい。なんだか見づらいし、同じ灰色でも温もりがなくなってしまった。

金剛不壊

はじめて訪れた京都民藝資料館。土蔵の2フロアが展示室。これまで訪れた民藝館のなかで最も小さく、スペース故の展示も物足りなかったが、建物がとても魅力的だった。
開館早々に訪れたが、すでに老夫婦がいらっしゃった。男性は能弁で民藝にかなり詳しいご様子。それもそのはず、河井寛次郎さんのご家族だった。名前が聞きとれなかったが、河井寛次郎記念館の館長とおっしゃったので、河井敏孝さん夫妻だったのだろう。感激。
企画展示は十二段家二代目西垣光温さんのコレクション。この施設の設立と運営に尽力されたそうだ。様々な種類の蒐集品があり、なかでも棟方志功の書が興味深かった。

タイトルは展示室の額に書いてあった言葉で、この土蔵の由緒書き。佐賀県で明治時代に建てられたものを移築したそうだが、展示以外の機能が土蔵にうまく増築されていて、意匠や材料もすばらしかった。ベンガラが塗られているので、下述の上田さんが設計されたのだろうか。

道を挟んで向かいの建物は、陶芸家上田恒次さんのご自宅兼工房だったそうだ。陶芸家でありながら設計もできたそうで、寛次郎さんのようにご自身で自宅の図面を引いたのだとか。寛次郎さんといえば、上田さんは寛次郎さんのお弟子さんだったそうだ。つながっている。
瓦、漆喰、ベンガラ、石積み、長屋門の開口部、石畳、竹の緑、紅葉した桜、南天。完璧。

並びに建つ鰻屋『松乃鰻寮』の建物も上田さんの設計だそうだ。先代の女将さんが上田さんと懇意だったそうで、もともと竹藪だったこの場所に家を建てないかと持ち掛けられ、のちにお店に転用したのだとか。欅の一枚板を使った廊下や竹天井、車箪笥などが見ものだそうだ。
女将さんは若いころ、行儀見習いとして濱田庄司さんのお宅に世話になったそうなので、それが縁で上田さんと知り合いになったのだろう。

上樵木(かみこりき)町の『ムガール』でカレーを食べたあと、祇園まで歩こうと木屋町通りを下り、三条通りに着いて驚いた。TIME’Sビルが仮囲いされていた。ついにTシャツ屋さんも撤退したようだ。電線防護は仮囲い時のものか、あるいはこれから行われることに対してか。いやいや解体などあり得ない。このビルは未来永劫建ち続けなければならない安藤さんのレガシー。

祇園では、ZENBIで『美しいお菓子の木型』展を鑑賞。たくさんの木型が展示されていて、様々なモチーフが面白く、繊細な彫刻に唸ったが、展示ケースに入れられたり、このような場所で展示されるものではないと思った。前にも書いたが、むかし大阪日本民芸館の売店で木型が売られていた。古箪笥に木型がずらり並んだ景色がとても素敵だった。
木型制作の実演コーナーがあったが、職人と思しき方は知人たちとおしゃべりに夢中だった。

コウモリやカニの落雁は可愛らしいが、どのような注文や目的で作られたのだろう。

鍵善良房の木型。これは欲しい。木型には山桜が使われることが多いそうだ。
京都民藝資料館で勝手なご縁をいただいたので、河井寛次郎記念館へ寄って帰ろうと訪れたが、賑わっていたのでやめた。平日に出直そう。それにしても民藝好きが増えた。

天平文化と細野さん

竹中大工道具館で『天平の匠に挑む―古代の知恵vs現代の技術』を鑑賞。10年におよぶ唐招提寺金堂の解体修理の模様を30分にまとめた映像があったが、いくらなんでも端折りすぎ。でも白布でぐるぐる巻きにされた三尊が境内から出ていく場面などに目を細めた。

右は法起寺三重塔の1/20模型、左は法隆寺夢殿の1/20模型。相輪や宝形は実物同様金属でつくられ、夢殿のほうは鬼瓦まで再現。組物も正確につくられていた。
唐招提寺金堂の1/10模型が展示していなかった。東京会場で展示しているのを見て楽しみにしていた。個人的には彩色文様の復元よりも模型の方を展示してほしかった。

左は唐招提寺金堂の三手先組物の1/2模型。大阪工業技術専門学校の生徒さんが卒業制作としてつくったそうだ。B1階の原寸模型とは異なり庇から軒にかけて広範囲。桔木も見られる。

解体修理の番組で映っていた年輪読取機。番組では樹皮が残っていた地垂木を用い、年輪を一本一本カウントした結果、金堂は781年に伐採された木材で建築されたことを特定した。

梅田へ戻り、グランフロント大阪で開催中の『細野観光 1969-2021』を鑑賞。細野さんの音楽はよく聴くが、それ以外のことはあまり知らない。だから子供のころ漫画家志望だったことや、あんなにたくさんのプリミティブな楽器を集めていたことなど知らなかった。外周には誕生から現在までの経歴がプリントされたスクリーン。これだけでも見ごたえあり。
ベニヤと角材を用いたチープな会場構成は悪くなかったが、床に敷いたベニヤのせいで段差ができて何人かつまずいていた。この雰囲気ならゼブラテープを貼ってもよかったのでは。

まさかの横尾忠則さん画『歌うシェヘラザード』と『ハーレム・ミュージシャン』。一度観てみたかったが、ベニヤ壁に掛けてよいのか?よいのか。

安藤さんのサインがあった。お二人の写真は先日の対談のときのもの。ラジオで対談の模様を聞き、なぜ細野さんがお相手だったのか知れた。朝日新聞社が協力していたからだ。映画のほうも製作委員会に朝日新聞社が加わっている。そしてこのサインは『こども本の森 中之島』の出張ブースに書かれている。みんな予定調和だったわけだ。

細野さんのサイン。展示の中にサインの変遷があったが、これで何代目なのだろう。グッズは買わないと決めていたが、イカしたデザインのTシャツとトートバッグを買ってしまった。

細野晴臣週間

佐渡岳利監督が細野さんのことをマスター・ヨーダと形容していたが、現在の伸ばした白髪を後ろへなでつけている姿はなるほど似ている。ご本人を眺めながら大きく頷いた。
本日公開の『SAYONARA AMERICA』。落ち着いてから観るつもりだったが、劇場のウェブサイトを訪ねてみれば、本日舞台挨拶があるというので即予約。上映後、ちわきまゆみさんに紹介され、監督と共に登場した細野さんは、黒のセットアップにナイキのスニーカー。御年74歳。
2019年5月にニューヨーク、6月にロサンゼルスでライブを行った細野さん。2019年の映画『NO SMOKING』にその様子が少し映っていたが、本作ではほぼすべてを収録。2月にライブ音源が発売されたが、演奏がとてもよくお客さんも盛り上がっていて、映像を観たいと思っていた。
スケッチ・ショウやHAS、HASYMOのあと、ポップスやカントリー、ブギウギなどアメリカの音楽を探求した細野さんは、『FLYING SAUCER 1947』から『Vu Jà Dé』まで、10年にわたり4枚のアルバムをリリース。このライブはその総まとめという思いがあったのだろうか、「アメリカの古い音楽へ感謝するためにここに来ました」と言っていた。
大盛況だったが、ステージへ上がるまでは不安だったそうだ。日本人がアメリカの音楽をアメリカで演奏して客が入るのか。でも髪を緑に染めた若い女性から熟年夫婦まで、細野さんのファンはたくさんいた。「人生で一番アメリカを感じた夜だった」とのコメントも。
現在の映像も挿されていて、この2年について語っていた。リセットされてしまい真っ白だと言っていたが、2年ぶりに持ったというギターを爪弾き、「音楽はおもしろい。音楽は自由だ。マスクいらないから」とのこと。今後は未定と言っていたが、そのうち何かしてくれるだろう。
エンドロールは、RADIO CITY MUSIC HALLの映像を背景に、セルフカヴァーした『Sayonara America, Sayonara Nippon』。さよならアメリカ、ニッポンもさよなら。
今度のプロモーションで、細野さんは1週間大阪に滞在したそうだ。松本隆さんの『風町オデッセイ2021』の翌日大阪へ入り、その夜MBS『ヤングタウン日曜日』に生出演。AERAの連載がご縁だったのだろう。翌日は安藤忠雄さんと『こども本の森 中之島』で対談したそうだが、なぜこの2人なのかがさっぱりわからない。日曜日にFM COCOLO『Whole Earth RADIO』でその模様が放送されるそうなので、馴れ初めが聞けるだろうか。そして昨日は『細野観光1969-2021』のオープニングセレモニー。展覧会のアンバサダーゆりやんレトリィバァと一緒だった。
仕事の合間には天神橋筋商店街を端から端まで歩いたり、阪堺線に乗り住吉大社をお参りしたそうだ。中之島の雰囲気もとても気に入ったそうで、大阪に住みたいとおっしゃっていた。