Evernote

久しぶりにiPhoneのEvernoteを起動したらデザインが新しくなっていた。WordPressのデフォルトテーマのようにトップに大きな画像が配置され、ノートが一覧表示されるようになった。
PCではブラウザ版を利用しているが、デザインはずっと変わらない。でもiOS版が変わったのだからほかが変わらないわけはないだろう。アカウントの部分をいじっていたら、iOS版とまったく同じデザインに変わってしまった。
新しいデザインは気に入らない。格好をつけた画像など必要ない。その部分にノートを表示できる。スクラッチパッドも必要ない。『リマインダー』や『Google Keep』で事足りる。
元に戻す術が見つからないので、画面をカスタマイズしようとしたが、有料プランへ入らなければ変更できない。変更完了の手前までは進めるのに、最後は「アップグレードして保存」を押すようになっている。名の知れた企業がこすいことをする。

竜とそばかすの姫

アアルト展へ行く前に映画『竜とそばかすの姫』を鑑賞。アアルト展だけではもったいないので、ついでに映画でも観るかと調べたら本日封切り。おまけにサービスデーだったので安く済んだ。待ち焦がれていたわけではなかったのでありがたかった。
監督のオリジナル長編はすべて観ているが、前作『未来のミライ』はつまらなかった。リアルすぎる幼児や荒唐無稽なファンタジーに感情移入できなかった。現代の家族像を描きたかったそうだが、あれは監督の家族。私たちのような労働者階級の家族ではない。この作品で監督はなんとなく変わってしまったように感じた。だから次作もつまらないのではと案じた。
監督は自身の境遇を作品へ落とし込む。『サマーウォーズ』では結婚した奥さんに親戚がたくさんいて、そこから着想を得たのが旧家の大家族だったが、おかげで旧態依然とした家族と新しい仮想世界の対比という面白みが生まれた。『おおかみこどもの雨と雪』では子どもを育てる母の強さや逞しさを描き、『バケモノの子』では子供の成長に手を差し伸べる大人たちを描いた。ともに自身の境遇をベースに想像が膨らみ、これまで見たことのない世界を描いてきた。
でも本作に新世界は登場しなかった。既出の『仮想空間』と古典の『美女と野獣』の組み合わせ。仮想空間の二面性と野獣の二面性がリンクするとか。思考が発端のようだった。
もしかしてネタが尽きたのだろうか。仮想空間をより美しく描けば二番煎じは和らぎ、インターネットの負の部分を『野獣』と掛け合わせればエンタメに昇華すると考えたのだろうか。「子どもたちには目の前の世界をちゃんと肯定的にとらえてほしい」そうだが、そう思ってもらえるようにするために正しいことを描いただろうか。竜の正体を父親から虐待を受けている少年に仕立てたことは正しかっただろうか。竜に心を解き放ってもらった主人公が、次は自分が助ける番だと高知から東京へ駆けつけることは正しかっただろうか。周りの人々は止めるどころか送り出していたが、同級生はまだしも合唱クラブの大人たちの行いはあれでよかったのだろうか。現実の社会問題に切り込んでいるようでその実薄い。感動させることしか考えていない。
ベルの顔を見ていられなかった。ディズニースタジオの人気アニメーターの作だそうだが、大きな目やタトゥーやそばかすが生理的に受けつけなかった。そのベルがまたがる鯨はたくさんのスピーカーを担いでいたが、どうにも気味が悪く腹部の筋肉が収縮してしまった。
ベルの衣装にフラワーアーティストやファッションデザイナーが関わっていたり、仮想世界はインターネットで見つけたイギリスの若いデザイナーがデザインしているとか。声優は今をときめく俳優や音楽家が揃っていて、監督はよほど才能や華に囲まれていたいのだろうか。
竜を追いかける『ジャスティン』の昭和的なキャラクター造形に苦笑し、役所広司さんが演じた主人公の父親の出番の少なさに驚き、『アズ』の造形の面白みのなさにがっかりした。
作品はつまらなかったが、中村佳穂さんの歌唱は胸を打った。いや、あの歌唱のせいで涙があふれてしまい嫌悪感に苛まれた。あの歌唱さえなければきれいサッパリ忘れられた。

AINO and ALVAR AALTO

兵庫県立美術館で『アイノとアルヴァ 二人のアアルト』展を鑑賞。フォローしている方のインスタグラムで開催を知った。この美術館は金、土のみ20時まで開いているが、金曜日の18時ごろに訪れると空いているので、閉館までゆっくり堪能できる。
本展は、一昨年にギャラリーA4、昨年は竹中大工道具館で催された展示の集大成としての展覧会だそうだが、ギャラリーA4のほうは観ていないし、新しい展示もあるので楽しみにしていた。

建築模型がたくさん展示されていたが、おそらくすべて初出ではないだろうか。アイノ・アアルトが設計した『ヴィラ・フローラ』。芝屋根の作り込みや壁に落ちる影が美しかった。

ギャラリーA4で展示されていた『最小限住宅展(1930)』の展示再現。黒いロウチェアが素敵。昨年だったかヴィコ・マジストレッティの『CARIMATE』が復刻されたが、黒、赤2色展開が同じでかたちもどことなく似ていて好み。

竹中大工道具館でも展示していた曲木家具のゾーン。パイミオチェアの展示も再現されていたが、照明器具は埋込のほうがよかった。おまけに暗くて見にくい。

アイノが熱心に取り組んだ子どものための家具。これらは小児科診療室『ネウヴォラ』の家具だそうだ。ターコイズのカーペットが鮮やか。これらの家具も初出ではないだろうか。

ニューヨーク万博(1939)フィンランドブースの『うねる壁』の一部。気が入っている。模型には必要だった柱が美しく、ベースプレートもきれいにつくられていた。

壁の下には中華料理店にあるような円卓やアアルトベースが展示されていたが、ぽつねんとアアルトベースの木製の成形型枠。映像では鋼製だったので、もっとも初期のものだろうか。

You Ain’t Heard Nothin’ Yet

投稿タイトルは「お楽しみはこれからだ」の英語原文。意訳だったとは露知らず。
スイッチ・パブリッシング『ISSUE 和田誠のたね』。『ISSUE』とは雑誌『SWITCH』の前身だそうで、このたび復活・新創刊することとなったそうだ。それで第一弾が和田誠さん。
ほぼすべてがインタビュー。幼少期まで遡り、和田さんの仕事や作品の源泉を探る。インタビューは和田さんが思いつき、インタビュアーは和田さんが指名。定期的にインタビューは行われたが、インタビュアーが多忙となり一時休止。再開することなく和田さんは亡くなってしまったそうだ。だから高校生の頃までしか聞けていないが、すでに和田誠は完成していた。驚いた。
巻末に掲載された谷川俊太郎さんの寄稿『終始一貫和田誠』より。

私は子どもの頃の彼を知らないし、彼の描いた絵、彼の書いた文章には変化の跡がないわけではないけれども、人間和田誠は誕生の瞬間からコンスタントに和田誠であったと私は断言したい。こういう風に断言したくなる人間が私の周囲にいったい何人いるだろうか。

それにしてもカバーに惹かれる。和田さんの画だろうが、オリジナルは知らない。原画の通りなのかトリミングされているのか、簡素で大胆な構図。そして紺鼠。

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厚労相が会見で「コロナと闘う五輪にしていきたい」と話したとか。1都3県無観客が決定しての表現変更だろうが、どうして逆なですることばかり言うのだろう。「アスリートはコロナと闘って東京のフィールドに立ち、競技する。まさにコロナと闘ってきた五輪だ」とは何を言っているのかわからないし、「感染が広がらなければ成功した五輪になる」など気が触れている。電通にコメントを考えてもらったほうがよいのではないか。
お上が勝手に強行する五輪なので、関心のない国民へ向けての発言は必要ない。家でおとなしく応援してと言うが、五輪ファンでなければ特に応援するアスリートもいないので、おそらくテレビ観戦はしないだろう。そうかと言って、外へ出て遊び惚けたり飲んだりもしない。
どうしても有料記事が読みたくてウェブ新聞の会員になったが、不必要な記事まで目に入り、嫌な気持ちになり、ふつふつと怒りがこみ上げ、このように吐いてしまう。すべての記事が読めた頃はよく吐いた。やはり無料会員がよい。読めないほうがよい。