吉野山

吉野山を訪れた。琵琶湖疏水の桜に心打たれ、有名な吉野山の桜を見たくなった。琵琶湖疏水を歩いたときにシューズが壊れたが、ソールがないまま帰るのはむなしかったので、京都で新しいトレッキングシューズを購入。そのシューズの履き下ろしもしたかった。
家の周りはほとんど葉桜だったが、吉野山は場所によっては開花が遅いようだし、吉野町の開花情報も満開となっていたので出かけた。でも満開だったのは奥千本くらいで、他のエリアはピンクよりも緑のほうが目立っていた。風が吹いていたので早く散ってしまったのかもしれない。でも、とどまることなくはらはらと舞う花びらはとてもきれいだった。
吉野までは特急「さくらライナー」で移動。比較的新しい車両だと思っていたが、30年前から走っているとか。リニューアルしたというシートが華やかで素敵。ファブリックは桜花文様。吉野線に乗るのははじめてだったが、橿原神宮から先が単線だと知らなかった。南海高野線には及ばないが、山あいを走るのでカーブや勾配がままあり、山岳鉄道に乗っている心地がした。

吉野神宮。吉野はここからスタートするものだと思っていたが、吉野神宮駅で降りたのは2、3人。境内はひっそりしていたが、おかげでゆっくりお参りすることができた。
少し歩くと駐車場があり、係りのおじさんから「あと15分。がんばれ」と励ましの言葉。ほぼ平坦なので辛くはないが、景色に変化のない舗装道を歩くのは面白くなかった。おじさんの言う通り15分で下千本駐車場に到着。吉野駅へ下る七曲りと呼ばれるところが最初の花見スポットらしいが、下ると登らなければならないのでパス。見ごろも過ぎているようだった。

黒門。この先にある金峯山寺の総門だそうだ。金峰山という山はなく、吉野山から大峰山へ至る峰続きのことをそう呼ぶそうで、むかしは修験道関係の塔頭が多く存在したとか。

金峯山寺の国宝蔵王堂。高さ34m、裳階の辺長36mは、東大寺大仏殿に次ぐ大きさだとか。白鳳時代に役行者が創建したそうで、現在のお堂は1592(天正20)年に建てられたそうだ。
本尊は秘仏金剛蔵王大権現3体で、中尊は高さ7mを超えるとか。ちょうど特別開帳中だったのだが、花供懺法会という行事のために拝めず。1,600円の拝観料に驚いたが、国宝仁王門の大修理勧進のためだそうで、先日奈良で観た金剛力士像は、こちらの仁王門に安置されている。仮囲いに修理概要が掲示されていたが、総事業費20億円、工期10年、完成は2028年だそうだ。

上千本の桜。予習しなかったせいで中千本を過ぎてしまった。どうやら別の道を行くようだ。それにしても、あの光景はどこで見られるのだろう。ニュース映像や紹介画像に必ず映る、山肌をピンクに染めた光景。満開を過ぎたとはいえ、その場所に立てばわかると思うが、一向に出くわさない。ニュース映像のようにヘリからしか見られないのだろうか。

吉野水分神社。延喜式内社。遠目にすばらしい場所に違いないと思ったが、石段を登り楼門をくぐると、思わず立ちつくしてしまった。右手に少し高くなった三殿一棟造りの本殿、左手に本殿を仰ぎ見る拝殿。庭を中心とした廻廊形式ははじめて。金峯山寺蔵王堂にも驚いたが、桜を見に来たのにこれほどすばらしい建築に会えるとは。枝垂れ桜もとても美しかった。
本殿には国宝玉依姫命坐像が安置されているそうだ。ネットに画像があるが、えくぼのある美しいお顔。それにしても、なぜこのお社に安置されているのだろう。由緒沿革では触れていなかった。子である神武天皇は吉野に縁があるそうだが、母もそうだったのだろうか。

奥千本の金峰神社も延喜式内社だそうだが、由緒沿革は詳しくないようだった。

西行庵。西行法師はこの小さな庵で3年間暮らしたそうだ。師と仰いだ芭蕉も訪れたとか。ネットで見る画像では、屋根がビニルシートで覆われていたが、ちゃんとこけら葺きされていた。
吉野神宮駅からここまでの距離は8.5km、標高差は650mだそうだ。勾配は一定ではなく緩急あり、なまくらな体には堪える道のりだったが、金峰神社からここまでが最も辛かった。

なぜこんなに剥げているのか。ここに限らずいたるところが剥げていた。いつ伐木されたのか知らないが、残された部分はカラカラだった。もしかして、このせいで期待していた景色を見ることができないのか。若木が植えられていたが、立派になるまで何年かかるのだろう。

金峰神社手前のエリアが最も桜を満喫できた。沿道の高いところを歩き桜を間近で見たが、先の鳥居のところで係員に注意を受けた。立ち入ってはいけなかったようだ。
くたくたに疲れたので、帰りはロープウェイ経由で吉野駅へ。ロープウェイは1929(昭和4)年開業で日本最古だそうだ。乗車時間は3分、距離は350mしかないが、当初の申請では21km先の大峯山へ達する計画だったとか。日本最長のドラゴンドラで5.5kmなので、その4倍もの距離はさすがに夢物語だったか。でもせめて奥千本まではつくってほしかった。そうすればマイカーは通行禁止にできる。気持ちよく歩いているのに、車が通るたび道をあけるのは興ざめだった。
帰りは出発間際の急行に飛び乗ったが、席は空いておらず、橿原神宮まで1時間立ちっぱなし。普段なら何でもなかったが、この時はとても辛かった。あとの特急を待てばよかった。

琵琶湖疏水を歩く

先日琵琶湖疏水を走る遊覧船のことを書いたあと、満開の桜の下を通行してみたくなったが、ウェブサイトにある予約カレンダーは連日満席。京都市上下水道局のウェブサイトによれば、一度に全日全ダイヤを販売するようなので、開花期間の分はすぐに売り切れるのだろう。
乗れないことはわかったが、せっかくなので花見に行こうと思った。京阪電車のホームページに琵琶湖疏水の特集があり、ルートガイドが掲載されていた。三井寺から蹴上までの10kmを、疏水に沿って歩くという。詳しいマップも用意されていたので、歩いてみることにした。

まずは前回帰りの車中で知った国宝『新羅善神堂』。三井寺の鎮守社のひとつで、1347(貞和3)年に足利尊氏により造立されたそうだ。唐門は閉じていて、手前に柵もあるので入ることはできないが、塀の隙間から社殿を覗かせていただいた。簡素で美しい三間社流造。
社殿には国宝の新羅明神が安置されているそうだ。智証大師円珍が唐留学の帰りに乗った船に現れたそうで、その姿を坐像にし、三井寺の守護神としてお祀りしているとか。通常非公開だが、2008年に大阪市立美術館で開催された『国宝三井寺展』に出品されている。観に行ったのにまったく覚えていなかった。当時は余裕がなく、調べる気すら起きなかった。
案内板のQRコードをスキャンすると、『三井寺文化遺産ミュージアム』というウェブサイトへリンクしたが、書いてあることは案内板とまったく同じ。意味がないと思ったが、18の言語に対応しているようなので、どちらかといえば外国人へ向けたものなのだろう。

画像の手前に鳥居があるので、本来はこちら側からアプローチするようだが、道はきれいとは言えず、自然のまま放置されているようだった。訪れる人は少ないだろうし、参拝する場所ではないので、きれいにするつもりがないのか、それとも後回しにされているのか。
続けてすぐそばにある弘文天皇陵と新羅三郎の墓へ。弘文天皇は、壬申の乱でのちに天武天皇となる大海人皇子の軍勢に敗れ、この地で自害した。新羅三郎とは源義光のことで、新羅善神堂の神前で元服したことから名づけた別名だそうだ。墓は石ではなく土饅頭。はじめて見た。
戻りは三井寺へ通じる山道を歩いた。10km歩くのでトレッキングシューズを履いてきたが、いきなり役に立った。山道の一部は『東海自然歩道』を兼ねていて、大阪の箕面から東京の八王子までを結ぶ全長1,700kmのコースなのだそうだ。通過する自治体は11都府県と90市町村。完走した方のインタビューがYouTubeにあるが、コンプリート好きにはたまらないのだろう。

琵琶湖疏水ウォーキングのスタートは鹿関橋。大阪市内に比べ開花が少し遅いようで、家の近くの桜が散りはじめても、ようやく開花という状態。びわ湖大津観光協会のツイッターが、毎朝状態を知らせてくれたおかげで、満開のタイミングで訪れることができた。

第1トンネル入口。洞門には西洋の古典的な意匠が施され、先人が揮毫したという扁額が掛かっている。こちらの扁額は「氣象萬千」、意味は「様々に変化する風光はすばらしい」。
琵琶湖疏水のトンネルは4つあり、第1トンネルが最も長く2.4km。出口の場所へ行くには小関峠を越える。標高は200mだが、広い舗装道なので歩きやすかった。峠からは古道へ入る。

第1竪坑。深さは50m。画像に映る部分は直径5.5mあるが、それより下の部分は2.7m×3.2m。地下水に悩まされ、工事責任者の田邉朔郎いわく、全工事のなかで最も困難だったそうだ。
第1というからには第2竪坑もあるが、公道に面していないので近づけないようだ。

国道161号の高架橋を抜け、しばらく進むと寂光寺。磨崖石仏が有名なようだ。それにしても見事な桜並木。ハイカーのおばさんたちもそう思ったのだろう、弁当を広げておられた。

第1トンネル出口。洞門を入れるために引いて撮影したが、洞門そばには満開の桜。扁額は「廊其有容」。意味は「疏水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている」。
左側のシューズに違和感を覚えたので、触るとソールの後ろ側が外れていた。購入して何年経つか覚えていないが、めったに履かないので接着剤が劣化したのだろうか。パカパカうるさいので、ソールを外そうとしたら簡単に外れたが、左右で高さが異なり歩き難くなった。

疏水沿いは道、公園、空地など様々に景色を変え、桜はほとんどの場所に植えられていた。

諸羽トンネル入口。第2でないのは疏水の完成後につくられたから。すぐ南を通る湖西線建設のため、トンネルを掘り水路の位置を変更したそうだ。国土地理院に湖西線ができる前の空中写真があるが、疏水は開渠で山腹に沿っていたようだ。歩道が広かったのは水路を埋めた名残か。

諸羽トンネル出口。後からつくられたので、入口ともに意匠性はゼロで扁額もなし。
行程の半分まで進んだが、左右の高さが異なるせいで足が痛かった。右側のシューズのソールは壊れていなかったが、ためしに引っ張ると簡単に外れた。また吹き出した。

見事な枝振り。対岸まで届いている。この辺りは菜の花も植えられていた。

山側に建物があるところには小さな橋が架かっているが、スロープが味わい深い。

本圀寺へ至る橋は朱塗り。左側が暗いのは天智天皇陵の森があるから。参拝したかったが、入口は1km南で標高差もある。足にひびくだろうし、時間も惜しいのであきらめた。

本野精吾設計『栗原邸』。1929(昭和4)年に建てられた、日本初のコンクリートブロック造。

第2トンネル入口。扁額は「仁以山悦智為水歓」。意味は「仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ」。遊覧船が通ったが、15席程度の小型船。すぐ満席になるはずだ。

第2トンネル出口。ちょうどまた遊覧船がやって来たので、意匠の素敵な洞門と一緒に。
扁額は「随山至水源」、意味は「山に沿って行くと、水源にたどり着く」。向こうが見えるほど短いトンネルだが、水路際は通行できず、少し下りた住宅街を抜けなければならない。でも地図は詳しく描かれておらず、案内板も見当たらなかったので、時間がかかってしまった。

案内が悪いし、ここまで来ようとする観光客はいないのか、ほかに誰もいなかった。
右側の設備は取水口。京都市の浄水場は3か所あるそうで、よそ者でも知っているのは蹴上にある浄水場だが、この取水口は新山科浄水場のものだそうだ。

第3トンネル洞門の手間にある「日ノ岡第11号橋」。日本初の鉄筋コンクリート製だそうだ。

第3トンネル入口。扁額は「過雨視松色」、意味は「時雨が過ぎると、いちだんと鮮やかな松の緑をみることができる」。琵琶湖疏水記念館に展示していた「笠石」がわからなかったのだが、この画像を見て理解した。両端の柱型の頂部の石のことだった。

奥に第3トンネルの出口があるそうだが、ここまでしか近寄れない。見えないが、扁額は「美哉山河」、意味は「なんと美しい山河であろう」。右側の赤茶色の設備は蹴上浄水場の取水口。奥に見えるネオ・ルネサンス様式の建物が遊覧船の乗り場だそうだ。

振り返ると蹴上インクライン。平日なのにこの人だかり。コロナ禍前と変わらないのではないか。このまま進む勇気はなかったので、下へ降りて琵琶湖疏水記念館へ。
記念館は想像以上に楽しめた。大正時代の蹴上周辺を復元した模型は、インクラインの台車が動くようになっていた。第1竪坑の断面図や、目論見実測図という図面も興味深かった。

足の痛みはひどかったが、地下鉄を乗り継ぎ虎屋京都ギャラリーへ。竹中大工道具館のインスタグラムで紹介されていた、フィリップ・ワイズベッカー展を鑑賞。ほとんどが竹中大工道具館で観た作品だったが、「TORA」や「TOKYO STATION」の原画など初見のものも。
ギャラリーの内装はやりすぎていると思った。そう広くない空間で、壁上部から天井一面を、木製ルーバーで仕上げていた。壁上部の四角は照明だそうだ。点いていなかったが、点けば天井はギラギラするのではないだろうか。タイルカーペットは特注だろうか、図柄が素敵だった。

Brave

iPhoneのブラウザをChromeからBraveへ変更した。理由は広告が鬱陶しいから。広告ブロックアプリをいろいろインストールしてみたが、どれもsafari用につくられているようで、Chromeには効いてくれない。だから見切りをつけた。
safariは使いたくないので、ブラウザに広告ブロック機能を備えたFirefox Focusを試した。多くの広告は表示されなくなったが、まだ完全ではなかった。次に見つけたのがBraveだった。Firefox Focusで表示されていた広告が表示されなくなった。
広告が表示されなくなった部分は、PC版Chromeでは、広告がないものとして詰めたり、そのまま空白となって残っているが、iPhoneでは空白ではなく「AD」というアイコンが表示され、リングカーソルがずっと回っている。意味がわからない。せっかく広告が消えたのに、なぜこのようなことをするのだろう。「AD」を押しても何も起こらないのに。
広告ブロックアプリがsafari用しかないのはなぜだろう。StatCounterという統計サイトを見つけたが、日本におけるモバイル部門のブラウザシェアを見てみると、1位はsafariで61.4%、2位はChromeで32.2%、続けてSamsung Internetで2.67%、Androidで0.98%、その他2.75%。
同サイトによれば、日本はiPhoneのシェアが65.63%もあるそうだが、多くのユーザーは機械音痴または無頓着なので、ブラウザは標準装備されているsafariを使うのだろう。だからsafariのシェアが高く、アプリ開発者はsafari用しかつくらないのだろう。

大津で大津絵

雨のなか大津へ。先日国芳が描いた大津絵のキャラクターを観て、いいかげん本場大津で触れなければと思ったら、ちょうど三井寺で大津絵についての講演会があるというので出かけた。

琵琶湖疏水。知らなかったが、2018年より疏水を走る遊覧船が運航しているそうだ。全域トンネルだと思っていたがそうではなかった。画像のような開渠部分が多くあるそうで、Googleマップを拡大してみるとたしかにそのようだ。ストリートビューに桜が映っている場所があったが、画像の場所にも桜がたくさん植わっていたので、満開のときはさぞやすばらしい景色だろう。

まず訪れたのは大津市歴史博物館。大津絵に詳しいのではないかと考えたが、作品の展示コーナーはあっても詳細な記述はなかった。やはり文献などは残っていないのだ。

三井寺仁王門。案内がデジタルサイネージになっていたが、1,300年の佇まいには相応しくないだろう。受付で大津絵美術館の場所を聞くと、隣の圓満院だと言うので先にそちらへ。

圓満院勅使門。門幕が菊花紋章なので門跡寺院。村上天皇の第三皇子悟円親王の創立だとか。

宸殿の大玄関。屋根の配置と形状が美しい。天皇陛下が行幸されたときに使われていたとか。

大津絵美術館は、美術館と名乗ることには抵抗があるが、点数は多く見ごたえはあった。売店では大津絵の色紙やポストカードを売っていたが、それらには目もくれずポチ袋を購入。右から2番目は初見だが、それよりどうせつくるなら大津絵十種にすればいいのに。

三井寺へ戻り金堂へ。国宝だそうだが、雨のせいで何もかも真っ黒。左に屋根が少し見えているところが、三井寺通称の由来となった井戸。ここで汲んだ水を天智天皇、天武天皇、持統天皇の産湯に用いたそうだ。金堂の外陣には様々な仏像が安置され、巡拝できるようになっていた。その一角で、大津絵師5代目髙橋松山さんの作品展示即売会が催されていた。
現代に描かれる大津絵は、継承ということでは大切な仕事だとは思うが、それ以上の意義はあるだろうか。有名なキャラクターとオリジナル作品らしきものも展示していたが、オリジナルを描くくらいなら、判明している大津絵120種類をすべて描き、書籍にまとめるなどしたほうが、よほど研究者や大津絵ファンは喜ぶのではないか。それが意義のある仕事ではないだろうか。
半紙サイズの作品で数万円の値札がついていたが、それでは民衆は購入できない。などと現代に馬鹿なことを書くが、大津絵とはそば1杯の値段で購入できた民衆のための絵画だった。
講演会はおもしろかった。テーマは大津絵誕生の母胎としての三井寺について。講師は三井寺の福家俊彦さん。あたまに長吏とついていたので、調べると首席の僧職。つまり三井寺で一番偉い僧侶だった。唐招提寺ではそれを長老と呼んでいたと思うが、調べてみると石山寺は座主、東大寺は別当、興福寺は貫首、法隆寺は管長、薬師寺は管主……。統一すれば覚えるのに。
脱線した。大津絵のはじまりは仏画だが、三井寺別所が関係しているのではないかと。三井寺別所には遁世者や聖、修験者や説教節など芸能職能者が暮らしていたそうで、彼らが民間信仰としての仏教を広めるために、仏様を紙に描いて頒布したのではないか。伊勢まいりを案内した御師のように。また、大津絵の発祥は追分や大谷だと言われているが、やはり大津だろうと。天明年間に記された『江州大津絵屋仲間由来記』には、描かれた土地ごとに追分絵や大谷絵、大津絵と呼ばれていて、惣名として大津絵と言い慣わされていたと記されているそうだ。

最後は法明院。三井寺からは約1km北にあるが、ここも三井寺の領地だそうだ。訪れた理由は、Googleマップに「アーネスト・フェノロサの墓」と表示されていたから。よくこのお寺を訪れたそうで、しまいには当時住持していた桜井敬徳から受戒し、法名「諦信」を授かったとか。イギリスで亡くなったが、遺言によりこちらへ分骨されたそうだ。
雨のなか落ち着きのない行動だったが、次は晴れた日にゆっくり廻りたい。近くには『新羅善神堂』という国宝のお堂や源頼光の墓があるそうで、帰りの車中で知りがっかりした。

京都まで戻り、美術館「えき」KYOTOで『安野先生のふしぎな学校』展を鑑賞。せっかくなので、京都で何か催していないかと調べ見つけた。明日までだったのでギリギリ滑り込んだ。
安野光雅さんが教師をしていたことに着目した展示構成。会場を教室風に仕立て、さまざまな作品を関係性のある教科に振り分け展示。国語では『かげぼうし』、算数では『かぞえてみよう』、図工では『もりのえほん』、社会では『蚤の市』、理科では『天動説の絵本』など。
図録にひと目ぼれ。縦横20cmの小ぶりなサイズで、カバーは細かな凹凸のついた紙。展示作品から抜き出した絵をランダムにセンスよくレイアウトし、文字は金色の箔押し。角のRもいい。
どなたの装幀かと調べると、京都にある大向デザイン事務所さん。代表の大向務さんは40年にわたり展覧会の仕事に携わっているそうで、事務所に併設したサロンでは、手がけた図録を閲覧できるようになっているとか。雑誌penのウェブサイトに紹介記事があり、大向さんのお姿が拝見できるが、丸眼鏡をかけた笑顔の素敵な方で、この図録の雰囲気にぴたり符合する。

聖林寺 十一面観音立像

奈良国立博物館で『国宝聖林寺十一面観音 ―三輪山信仰のみほとけ』展を鑑賞。安置されている収蔵庫の改修工事が行われる間、東京と奈良の国立博物館でお披露目されるそうだ。
10年前に聖林寺を訪れたことがある。白洲正子さんが愛した仏様だと知り、著書『十一面観音巡礼』を読んだ。有名な一文に「世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然と見とれていた」があるが、私もその美に触れてみたいと桜井を訪れた。
展覧会場に安置された十一面観音は、露わな状態で展示されていて、どの角度からでも鑑賞できた。前面のアキが大きくとられていたので、目線を動かさずに全身を鑑賞できた。
大神神社境内の大御輪寺でともに安置されていた、現在は法隆寺に安置されている地蔵菩薩立像や、正歴寺に安置されている日光菩薩立像と月光菩薩立像も展示され、三輪山信仰の仏像が再会していた。ほかには、大神神社所蔵の三輪山絵図や出土品などが展示されていた。
聖林寺のホームページに改修後の収蔵庫のイメージが掲載されているが、仏像がガラスケースに収容されているように見える。東京会場ではガラスケースに収容されていたようなので、そのケースをそのまま聖林寺でも使用するのだろうか。奈良会場でガラスケースに収容されていなかったのは、先に収蔵庫に設置しなければならなかったからだろう。
でもお寺に安置する仏像にガラスケースはよいのだろうか。改修前も壁一面ガラスで仕切られてはいたが、それとこれとは別ものだろう。ご住職はガラスケースへ向けて読経することに抵抗はないのだろうか。白洲さんが聖林寺を訪れたのは昭和のはじめ。暗い本堂の囲いの中に安置され、ひざ下は隠れて見えなかった。戦後訪れたときは、現在と同じ山の上の収蔵庫に安置されていたが、明るい部屋で全身が露わになった状態は、信仰対象としての仏像を鑑賞する環境ではない、と冒頭の著書に記されている。社寺は美術館ではない。収蔵庫の改修は栗生明さんが設計されているようだが、栗生さんといえば平等院鳳翔館。鳳凰堂の歴史にそぐわない建築。
展示品が少なかったので、図録は購入しないつもりだったが、サンプルを手にして気が変わった。魅惑的なカバー、上製本、様々なアングルから撮影された十一面観音立像。三輪山や大神神社についての記事も読みごたえがありそうだった。何より価格が良心的だった。

展覧会のあとあちこち訪ねる予定だったが、空が暗く寒かったので中止し、館内に留まった。特別陳列『お水取り』、特別展示『新たに修理された文化財』、なら仏像館と廻った。
久しぶりのなら仏像館は、中央展示室に金剛力士像が展示されていた。吉野の金峯山寺のものだそうだが、安置されている仁王門が修理中なので、こちらに仮住まいされているとか。

吽形。金剛力士像も2年かけて修理されたそうだ。吽形の像内には、延元4年11月25日大仏師康成(こうじょう)作との墨書があるそうだ。西暦では1339年。683年前に彫られた。

阿形。遮るものなく観る機会はないので、とにかくその大きさに圧倒された。高さは5mだそうだが、大雑把になることなく細部まで丹念に彫られている。説明書きによれば、快慶運慶が彫った東大寺南大門の金剛力士像に次ぐ逸品だそうだ。

ずっと観たかった『頭塔』。手前にあったホテルが取り壊され、全貌が露わになっていた。GWに特別公開され、囲いの中へ入れるそうなので、瓦の下の石仏を間近に拝見したい。

駅へ戻る途中、内藤さん設計の鹿猿狐ビルヂングへ立ち寄った。Googleマップを頼りにたどり着いたが、昔ながらの道の狭い密集地。施工はさぞかし大変だっただろう。
建具や庇はいつものリン酸処理だが、外壁の窯業系サイディングははじめて見る。予算の都合だろうか。屋内は内藤ワールド。C型鋼を背中合わせにした梁、屋根下の天井は吉野桧の小幅板、階段手摺はとらや赤坂店を彷彿とさせる。デッキプレート部分の天井は張らずに現し、照明のダクトレールを組み合わせた吸音板が張られていた。天カセ、冷媒管のラッキング、排気ファン、スパイラルダクトなど、天井につく空調換気設備はすべてグレーに塗られていた。
猿田彦珈琲で喫茶。昨秋モノ・モノのインスタグラムで、豊口克平さんの『どっしり座れるトヨさんの椅子』が使われていると紹介されていて、座り心地を楽しみにしていたが、置かれていたのは水之江忠臣さんのダイニングチェア。どうしたのだろうか。