頭塔

奈良で『頭塔』を鑑賞。手前のホテルが解体され、全貌はいつでも観られるようになったが、石仏は囲いの中へ入らなければ観られない。GWの特別公開を楽しみにしていた。
その前に春日大社の国宝殿へ。前回訪れたとき前を通ったが、建物のかたちは古めかしいのにきれいなところが気になっていた。オリジナルは谷口吉郎さんの設計で1973年にできたそうだが、第60次式年造替の記念事業の一環として、2016年にリニューアルされたそうだ。
隈研吾氏の事務所にいた方が改修設計を担当したそうだが、どうりで新築のトイレ棟が隈研吾氏の意匠に似ていると思った。この方は根津美術館を担当していたそうだが、春日大社の方が各地の美術館を巡るなかで、根津美術館を気に入り白羽の矢が立ったそうだ。

最初の部屋はインスタレーション。神の気配を感じるような静の空間をつくってほしいと要望を受けたそうで、水滴が落ちる水盤やワイヤーを何層も重ねたスクリーンに、御蓋山や春日大社の映像が映し出されていたが、遊園地やテーマパークなどの出し物のようで、春日大社には相応しくないと思った。春日大社の神々しさは、境内に立つだけで感じられる。
部屋は漆黒の暗闇。明かりは映像だけなので、暗所では目が見えづらい者には優しくない。

鼉太鼓(だだいこ)ホール。毎年『春日若宮おん祭』で使用されるそうで、最頂部まで6.5mもあるとか。これは複製された2代目だそうで、オリジナルは国宝として2階に展示されていた。

どのように運び出しているのか気になった。サッシは開かないようだし、他に運び出せそうな開口は見当たらない。床が下がっているのは天井に収まらないからだろうが、その床がさらに下がり、サッシの下につくられたトンネルを通って運び出すとか。受付の方に聞いてみると、バラバラに分解するのだそうだ。床が下がっているせいで妄想が膨らんでしまった。

土産は春日権現験記絵の冊子。図は小さいが全巻の解説がついていて、素人の好き者にはこれで十分。若宮特別公開のパンフに掲載されている十巻『林懐僧都事①』の図もあった。
春日荷茶屋でよもぎと筍の万葉粥をいただき、空腹がおさまったところでいよいよ頭塔へ。

東側のホテル跡地からの眺め。頂部に立つ五輪塔はあと乗せだそうだ。

入口は南側。古寺の山門のような趣き。周囲になじんでいる。扉の左には子安地蔵さま。
門をくぐると目の前に石段。かなり上まで続いている。ホテル跡地では1.5mくらいしか上がっていないので、なぜこんなに上がっているのかと不思議だった。

石段を上ったところ。1255(建長7)年に大江親通が書いた『七大寺巡礼私記』に、”玄昉僧正の頭を埋めたので頭塔という”と記されたことから首塚伝説が広まったそうだが、現代の調査研究では東大寺の僧実忠が、767(神護景雲元)年に造営した土塔というのが通説になっているそうだ。
でも発掘調査の結果、内部に一回り小さな遺構が見つかり、実忠以前にも造営されていたことがわかった。さらにさかのぼるとここは元々古墳で、その上に築いているのだそうだ。

1922年に国の史跡指定を受け、1987年に一般公開を目的に発掘調査がはじまったそうだ。1991年からは復原整備も並行して行われ、2000(平成12)年に現在の見学設備が整備されたそうだ。
緑がこんもりした部分は発掘していないそうだ。南側は崖になっているが、近くに民家があるので崩落したら大変だし、樹木が繁茂する遺跡としての美しさを残したかったそうだ。

石仏とご対面。28基確認されているが、未発掘分を合わせて44基配置されていたのではないかと。この石仏は『浮彫如来及両脇侍二侍者像』だそうだが、いただいたパンフレットによれば、重要文化財に指定されている22基のほぼすべてが三尊仏。

回廊の北側の真ん中は広くつくられていて、ベンチに腰掛け眺めることができるようになっていた。発掘と整備についての概要パネルが掲示してあり、ボランティアガイドがいらっしゃった。石仏について伺ったら、話し甲斐があると思われたのか、様々なことを教えてくださった。

概要パネルに描かれている復元予想図。塔なので相輪があったであろうということか。
予定より早く観終わったので、駅へ戻る途中十輪院と元興寺へ立ち寄った。

十輪院国宝本堂。見るたびハッとする、低く抑えられたプロポーション。かのブルーノ・タウトもお気に入りで、著書『忘れられた日本』の奈良の章で紹介されている。

一般に外国人は、官庁発行の案内書やベデカーなどに賞讃せられているような事物に、東洋文化の源泉を求めようとする。しかし奈良に来たら、まず小規模ではあるが非常に古い簡素優雅な十輪院を訪ねて静かにその美を観照し、また近傍の風物や素朴な街路などを心ゆくまで味わうがよい。それから建築の貴重な宝石とも言うべき新薬師寺に赴いて、何よりもまずそこの門や塀、植込などに見られる、えもいわれぬ自然的な美しさを仔細に鑑賞せねばならない。そうすると奈良の文化を、その源泉からじかに汲んだことになり、ここに初めて諸他一切のものに対する判断の標準を身につけることができるであろう。

ブルーノ・タウト『忘れられた日本』

新薬師寺のくだりは関係ないが、私も大好きな寺院なので省略せず掲載。

元興寺東門。もともと東大寺西南院にあったもので、元興寺が現在の区画に整理されたときに移築されたものだそうだ。右手の土塀の仕上層の剥離は、歴史が垣間見れて面白い。

国宝極楽坊本堂。堂々とした佇まいだが、じつは大改築の末の姿だそうだ。旧伽藍の僧坊の3房分を用い、南北に増築し、寄棟造にしたそうだ。どうりで架構が変わっていると思った。

隣接する極楽坊禅室も国宝。むかしは僧坊として本堂と1棟だったが、現在屋外となっている1房分が切り取られ、西端の2房も撤去され、残った4房分で成り立っているそうだ。リニアなプロポーションと、リズミカルなエレメントの配置が心地よい。

妻面。二重虹梁蟇股の妻飾りが美しい。西と東で微妙に異なっていて面白い。

有名なアングル。色がまだらでゴツゴツしている部分が、飛鳥時代から奈良時代の瓦。都が飛鳥から奈良へ移る際、飛鳥寺のお堂も移築した。野趣に富むこれらの瓦は行基の考案。

もう一つの元興寺。先の元興寺は通称極楽坊で、こちらは通称塔跡。古代の元興寺は双方の敷地を含んだ大伽藍だった。そして現在の『ならまち』はすっぽり元興寺の寺地だった。

五重大塔の礎石。塔の高さは57mあったそうなので、東寺の五重塔より高かった。1859(安政6)年隣家の火災が延焼して焼失したが、本尊だった薬師如来立像は運び出し、国宝として奈良博へ寄託しているそうだ。 来月奈良博で展示されるそうなので、特別展と合わせて観に行こう。

無造作に置いてあった佛足石。

梅花空木(バイカウツギ)だろうか。