東京ありがとう

今日で見納めなので記念に。これでまだ半分だそうだ。
部屋の荷物をまとめるとダンボール箱6個になった。来た時は2箱だったのに。やれやれ。
実家へ送る分も入れて送料は1.5万円。お下がりの洗濯機とテレビの処分に5千円。ばかにならない金額に苦笑した。何も買わないと決めていたが、1年居れば何かと物入りなのだ。

絶品

東京暮らしも残り1週間。部屋の整理をしようと思っていたが、出かけることにした。昨夜テレビで見た埼玉ラーメン特集を思い出し、食べに行こうと思ったのだが、ふと閃いた。
そういえば埼玉の美術館へまだ行っていなかった。ネットで調べたら、県立近代美術館で『小村雪岱とその時代-粋でモダンで繊細で』が開催中。セッタイという名前にピンときて、芸術新潮を引っ張り出した。次号の予告に載っていて、1枚の絵を覚えていた。雪積もる日本家屋を描いたものだが、大和絵のような極端な俯瞰、直線と曲線のバランス、コンポジションに唸った。
最後にこれは見ておかなければと思ったので、ラーメンは封印して北浦和まで出かけた。
展示は代表的な仕事を年代順に紹介。はじめは資生堂意匠部時代。西欧デザインを得意とする意匠部だったが、日本調のデザインのできる者をということでヘッドハンティングされたとか。 私家版『銀座』への挿絵や、香水瓶のデザインなどを手がけ、資生堂書体の原型も開発。
次は装幀コーナー。装幀好きにはこのコーナーは唾涎ものだった。泉鏡花に見初められ、タッグを組んで手がけた数多くの作品はどれも素敵で、ガラスケースを行ったり来たりして喜んだ。
挿絵のコーナーでは、新聞に連載された邦枝完二作『おせん』や『お傳地獄』などを紹介。雪岱調と呼ばれる細い線のおせんがとても美しかった。モノクロならではのコントラストのとり方にハッとし、小さな絵なのにたっぷりとった余白に唸った。
最後は舞台美術のコーナー。1:50の舞台装置の原画がずらり並んだ様は圧巻で、その精緻な筆使いに食い入るように見つめた。作品の点数が多く、半日たっぷり楽しめた。
帰りに寄った喫茶店で、購入した芸術新潮を見てニヤニヤした。最後によいものを観た。

えたいの知れない緑の空間

昨日書店で『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』を購入した。前川事務所が設計したテラスハウスが有名な団地だが、奇跡の団地とはどういうことだろうと興味を覚えた。
今日は予定がなく、取り壊しの危機にあると聞いていたので、観ておかねばと訪れた。

丸の内線南阿佐ヶ谷駅から徒歩10分。5haの敷地に全350戸。とてもゆったりとしている。
住棟は2階建てのテラスハウスと、3~4階建ての中層住宅からなっていて、住棟をつなぐ公道は緩やかな弧を描き、中央には大きな広場がある。様々なイベントが催されたことだろう。
住棟間のコモンスペースは表層のほとんどが土で、様々な植物が植えられている。冬だったので葉は落ちて花も咲いていなかったが、春から秋の景色はすばらしいことだろう。
住人の多くは退去が済んでいて、窓には板が打ちつけられていたが、入居がはじまった1958年からの50年は、さぞかし素敵なまちだったろう。

公道沿いには低木が植えられ、緩やかな境界を形成している。桜の木がたくさん植えられていたので、春はさぞかしきれいだろう。

前川事務所設計のテラスハウスはCB造。飛び出た2階の梁が意匠的。住戸番号はモザイクタイルでできていた。設計を担当したのは、のちに坂出人工土地で名を馳せる大高正人さん。

同じく前川事務所設計のテラスハウスだが、1階に庇がついている。1階を増築した棟もあったので、この庇もあとから住人がつけたのだろう。

コモンスペースのあちこちに遊具があり、かつては子供たちがいっぱい遊んだに違いない。

住棟をゆったり配置し、コモンスペースが広くとられている。マスタープランを行った日本公団の津端修一さんは、『えたいの知れない緑の空間』と呼んだそうだ。

こちらのテラスハウスは日本公団の設計。広いコモンスペースに緑が豊か。

見学の帰り、隣接する駐車場に停まっていたCitroën CX Prestige。阿佐ヶ谷住宅を愛する洒落人の車だろうかと思ったが、ナンバープレートがついていなかった。寂しさがさらに募った。

パレスサイドビル

もうすぐ大阪へ戻るので、まだ訪ねていない場所を思いつくまま。
林昌二さんの建築は、信濃美術館とパレスサイドビルが好き。このビルは、設計手法やプランニングなどはさておき、わくわくするディテールが満載。面白い竪樋、SF映画に登場しそうな円形のエレベーターホール、鋳造のステップとステンレスをトライアングルに組んだ手摺子の階段、異種手摺の取り合い、吹抜のステンレス手摺の断面はアアルトのフラワーベースのよう。

ひとりメセニー・グループ

2年ぶりパット・メセニーの新譜。何も知らずに聴けば、ソロではなくメセニー・グループの演奏だと思ってしまう。幾重にも織り重なったシンフォニーは、いつものメセニー・グループ節そのもの。でも間違いなくこれはソロアルバム。クレジットにはパット・メセニーの名前のみ。
彼はこれまでにもひとり多重録音をした実験的アルバム『ニュー・シャトークァ』をリリースしているが、本作は多重録音ではなくすべての楽器が同時に演奏されている。彼がギターを爪弾き、ほかの楽器はアクチュエイタという機械が演奏している。機械が演奏しているが、繊細なタッチから大胆なアプローチまで、人間が演奏するのと変わらない。
タイトルの『ORCHESTRION』とは、19世紀から20世紀初頭に実在した、オーケストラをすべて機械で演奏してしまおうというもので、彼はそのコンセプトを現代技術で21世紀に再現した。つねに挑戦し探究する彼の姿勢には脱帽する。これだから彼から目が離せない。
それにしてもすごい楽器の数。これらの楽器はただおまかせで演奏するのではなく、彼が爪弾くギターやキーボードとリンクしているそうだ。つまりは即興。即興といえばライブということで、この壮大なセットを従えて6月に来日する。楽しみだ。

清貧

幾重にも塗り込められたさまざまな色は、そのひとつひとつが煩悩のようで、目を閉じてたたずむ女神はまるで阿弥陀仏のよう。大悲を報じられているかのような面持ちに、思わず手を合わせたくなる。開いた女神の瞳は大きく丸く、純真無垢で汚れを知らないかのようだ。
先日『情熱大陸』で紹介された石井一男さんの個展が、ちょうどいまこちらでも開催中と知り、実物を観てみたいと足を運んだ。書店の地下にある小さなギャラリーは、開店直後にもかかわらずすでにたくさんの人が訪れていた。テレビの力はすごい。
女神を見たとき、部屋の壁に掛けて祈りを捧げたいと思った。敬虔なクリスチャンが朝夕キリスト像に祈りを捧げるように。今のうちなら自分にも手が届くだろうと淡い期待を胸に訪れたのだが、残念ながら作品はすべて完売だった。
でもほんとうは、石井さんの描く絵ではなく石井さんの暮らしに心が動いたのかもしれない。朝起きてポットで湯を沸かし、布団を上げてちゃぶ台を出し、玄米粥で朝食を取る。夕食のおかずは惣菜屋さんの出来物だが、ちゃんと皿に移し変えて食べる。食べるときは正座。早めの銭湯を独り占めし、落語を聴きながら10時には床につく。毎日がこの繰り返し。質素だが規則正しく折り目正しい暮らしは、ぜんぜん貧しくなくとても豊かだと思う。