とどまる、変化、適応

今日のダーリンは『規則正しい生活』について。規則正しい生活が、立派で正しい生活だと考えられているが、ほんとうにそうなの?と書いている。
規則正しい生活をするとは自分に規則を課すわけで、それは自然ではなく人工的なもの。そしてこの規則正しい生活は、1年365日変わることなく行われる。でもはるかむかしご先祖さんの時代では、四季に合わせ、気候に合わせて生活のパターンもリズムも変化していたはず。自然に合わせて生活していたはず。だから規則正しい生活は、規則は正しいけど立派で正しいとは言えないのではないか。日々目まぐるしく変化していくいまの世の中では、それに対応する能力が必要で、それは規則正しい生活とは違う、人間本来の自然な部分から生まれるのだと締めている。
たしかにそうかもしれないが、不規則な生活を送れば、その先には何が待っているだろう。たとえば子供の生活。親の生活習慣が変わってしまったので、いまの子供は夜遅くに晩ご飯を食べ、日付が変わっても起きているとか。
むかしテレビで観た。深夜にひとり起きてDVDを見る幼児。深夜に起きているから朝起きられない。幼児のころからすでに夜型。発育に影響するとドクターが言っていた。
遠い未来、幼少期をこのように過ごした大人たちだけになったとき、世界はいったいどうなっているだろう。こわいSF映画のようにならなければよいが。

Alternative Humanities

『ヤンファーブル×舟越桂』展を観に金沢へ。トークセッションの整理券が10時から配られるのに、大阪からその時間に間に合う列車がない。だから前の晩夜行バスに乗った。でも本当は夜行バスには乗りたくない。少しでも揺れると目を覚ましてしまうので、ほとんど眠れず次の日がしんどい。案の定講演中にウトウトしてしまった。
展覧会は少々期待しすぎた。舟越さんの新作の『青』に強く惹かれ、舞い上がってしまった。結局新作はこれともう1点だけ。でもトークセッションで舟越さんも言っていたが、展示室11はよかった。彫像やドローイングの配置やバランス、彫像を照らす裸電球、これらを包む高天井。印象に残る展示だった。一方、はじめて見たヤンさんの作品は驚きっぱなしだった。本物の甲虫をまとった頭蓋骨や天使、本物の骨をスライスしたものをつないで作った天使、長大なテーブルに並んだフクロウの頭など、見た目にグロテスクなものばかり。トークセッションで本人の解説を聞いて意図は理解したが、生理的にどうにも受けつけられなかった。
トークセッションまで時間があったので、昼食のあと隣の兼六園へ。苔寺として有名なのは桂の西芳寺だが、ここも相当な苔具合でとても美しかった。

金沢駅で図録を読んでいて唖然とした。トークセッションの内容がそのまま載っていた。整理券をもらうために嫌いな夜行バスに乗ったのに。往復割引券を買っていたが、悶々としたので帰りは列車にした。幕の内とビールをやりながら、夕焼け空の北陸を眺め心を鎮めた。

樂吉左衞門館

佐川美術館にある『樂吉左衞門館』茶室の見学会に参加した。地下の展示室には何度か訪れているが、地上の茶室は茶会の参加者しか入れないので、まだ見ぬ場所だった。
展示室への階段を下りて進むと、いつもある柵が取り除かれていて、茶室『守破離』への入口が開いている。暗い路地をしばらく進み、突き当りを折れると寄付。弧に沿い数段上がると一転明るい空間に出る。『水路地』と呼ぶシリンダーは外へつながっていて、見上げると青い空と雲。それが浅く張った水面に映っている。巨大な踏み石を進むと入口が絞られ、いよいよ茶室へと誘われる。地上への階段に天井から光が射して美しいが、このために設けたトップライトが、屋根の景色に汚点をつけてしまったように思う。唯一残念に思った部分。
10段ほど上がると小間『盤陀庵』コンクリートの壁に和紙が吹き付けられていて、スリットからの光が条痕となって映っている。そして、ついに地上へ上がると広間『俯仰軒』ガラスに囲われ、天井は外までつながる煤竹。そして床。茶室なので畳敷だが、周りはジンバブエ産の黒々とした巨石。廊のような機能だろうか。石といっても、表面は平滑ではなく荒々しく割られたまま。それが畳と見切なく面一に納まり、外の水面へどうレベルでつながっている。
すごいものを観た。展示室同様に贅が尽くされ、十五代樂吉左衞門の情念が込められていた。

悠久

京都御所の一般公開に参加し、そのあと『長谷川等伯』展を鑑賞した。
はじめての御所参拝。建礼門(けんれいもん)、紫宸殿(ししんでん)、清涼殿(せいりょうでん)などがよかったが、それより回廊や渡り廊下ばかり観ていた。

紫宸殿回廊。きれいに塗られた朱色と瓦の銀色、床の白石のコントラストが美しい。

紫宸殿の裏側にある渡り廊下。グリッドラインが桂離宮を思わせる。

休憩がてら、御所のそばにある『虎屋菓寮』へ。設計は内藤さん。御殿場に次ぐお店。
室内は撮影できなかったが、天井の木製ルーバーが軒先まで延び、リズムを生んでいた。

最後は長谷川等伯展。無謀にも初日。でも会場に着いたのが16時を過ぎていたので、入場制限は解かれていて、襖絵や屏風絵を引いて見られるくらいに落ち着いていた。
観たかったのは、楓図壁貼付、山水図襖、千利休像、柳橋水車図屏風、達磨図、枯木猿猴図、松林図屏風。なんてぜいたくな並びだろう。ため息がこぼれ、うっとり見惚れた。そしてフィナーレの第10室・松林図屏風の前で昇天。枯木猿猴図は後期展示なので、もう一度来なければ。

GUI

デジタル放送はなにかと動作が遅い。立ち上がるまでに時間がかかり、チャンネルは瞬時に変わってくれない。番組表の移動や切り替えも遅い。これはHDDレコーダーも同じ。デジタル化されて質はぐんと向上したが、機能や操作はうんと低下したのではないか。
先日SCEIから発売された、プレイステーションにつないで地上波デジタル放送を視聴録画できるという機器は、動作がやたらと機敏だそうだ。デモ動画を見るとたしかに速い。番組表の移動なんて上下左右にサクサク動いている。
この機器はGUIが美しい。GUIとはグラフィック・ユーザー・インターフェイス、つまり画面デザインのこと。開発者がインタビューに答えていたが、このプロダクトで一番はじめに取り組んだのは、番組表のデザインだったそうだ。たしかにSONYのソフトウェアは群を抜いている。うちにもSONYの液晶テレビがあるが、番組表のレイアウトやフォントは美しい。

ラジコ

パソコンでラジオを聴くようになって久しい。WindowsMediaPlayerやRealPlayer、iTunesのインターネットラジオは、いろんなジャンルがあって楽しめるのだが、録音したものを繰り返し流すだけなので、翌日も同じ内容なんてことがよくある。
OTTAVAはクラシック専用ステーション。このステーションの画期的なところはライブ放送。だから翌日同じ内容なんてことはない。クラシックは門外漢なので知らない曲ばかりだが、うるさくないので仕事をするときにちょうどよい。
今日新しいインターネットラジオを知った。radikoというそうだが、これはインターネット専用のステーションではなく、FM大阪やFM802、MBSやABCなど、ラジオから流れている番組が聴けるというもの。しかもオンデマンドではなくオンタイム。ついにここまできた。
ラジオで聴くのと決定的に違うのは、インターネット通信なので電波の具合に左右されず、いつでもクリアで高品質な放送を聴くことができる。