瀬戸内の美術館

香川県坂出市に来春『東山魁夷せとうち美術館』ができるそうだ。瀬戸大橋記念公園に隣接し、目の前に瀬戸内海を見渡せる場所に建つのだとか。設計は谷口吉生さん。父・吉郎さんと懇意だった東山家のご指名だとか。でも東山さんと香川にどのような関係があるのだろう。
瀬戸内の美術館といえば、安藤さんが設計した『地中美術館』が先月直島に完成した。ウォルター・デ・マリア、モネ、ジェームス・タレルの作品が、それぞれ専用の空間を与えられて永久展示されるという、まことコンセプチュアルな美術館のようだ。
家プロジェクト『きんざ』や『護王神社』もできたので、また直島を訪ねてみたい。

プロフェッショナル

先日閉店した青山ブックセンターが、夏の終わりに再開するかもしれないとニュースが伝えていた。洋書取次最大手の日本洋書販売が大株主となり、全面バックアップするのだそうだ。
Amazonなどのネット書店が台頭している現在では、あらためて実店舗の価値が問われている。多くのジャンルを少しずつ揃えるのではなく、特定のジャンルだけに絞ったり、書店以外の価値を付加するなど、何かしら特色を設ける必要があるのだろう。
週末テレビで『You’ve Got Mail』を観たが、感心したシーンがあった。客からアドバイスを求められて困っている店員に代わり、メグ・ライアンがさらりと答える場面。
書店に限らないが、知識の豊富な店員が減ったように思う。経費削減のためにアルバイトが増えたせいだろうか。でも、客からすれば社員もアルバイトも関係ない。花屋は花を知っていて当然だと思うし、本屋は本を知っていて当然だと思う。

ソニータワー

久しぶりに映画を観ようと、ソニータワーのウェブサイトを訪ねたら、お知らせに、ビルを年内に売却し、中身は今秋オープンするハービスエントへ移転すると書いていた。
ソニータワーは黒川さんが設計し、1976年に竣工した。いま見ても斬新なデザインで、エスカレーターやエレベーター、トイレをユニット化し、施工やメンテナンスが容易に行えるように考えられている。いまでいうサスティナブル建築のはしり。
業界にとって評価の高い建築で、個人的にも好きなので、売却先は慎重に選んで欲しいと思うが、売れたらおそらく建物は解体されるのだろう。我が国は土地にしか価値がないのだから。

富士山

はじめての富士登山。登ってみたいと思っていたところ、お袋がぜひ登りたいと言うので、見張り役として同行することになった。
ツアーバスで夜に出発し、朝早く五合目に到着。休息と山の空気に慣れるために4時間ほど滞在し、朝食と昼食を一度にいただいていよいよ出発。登りはじめてしばらくは、緑に囲まれ気持ちよく歩いたが、その先は火山岩が砂利と化した不毛の地。30分ごとに休憩を取りながら、黙々とただひたすら歩く。慰めは、眼下に広がる樹海や自衛隊訓練場の緑と、山中湖の深い青。壮大で美しい景色に、心が洗われるようだった。
7合目あたりから運動不足と喫煙の効果が表れはじめ、仮眠所のある8合目へ着いたとたんにひどい頭痛と吐き気に襲われた。高山病だった。夕食のカレーを食べず布団にもぐりこんだが、空気が薄いのでなかなか寝つけず、吐き気もひどくなる始末。外では風がすさまじく、大きな風切音で気分がすっかり滅入ってしまい、山頂へ行くことはあきらめた。
出発時刻にガイドがやってきて告げた。「強風のために山頂への登山は中止します」
外では風速25メートルの風が吹いている。これから先はヘッドライトだけをたよりに岩山を登らなければならないが、暗いなか風に煽られれば滑落の危険があるということだった。
ホッとした。どのみち登れなかっただろうが、己を情けなく思う気持ちが少し薄らいだ。

建築家の流儀

日帰りで上京。汐留ミュージアムで中村好文さんの展覧会を鑑賞し、関連イベントである中村好文さんと檀ふみさんの対談を拝聴した。
展覧会は小振りながらとてもよかった。まさに中村さんの身の丈にあった展示だった。会場の解説が掲載されたハンドブックや、入館を証明するためのシールなど、すべてご本人がデザインされたそうだが、中村さんはこういうことが好きでたまらないのだ。
そのあと行われた対談は、じつは展覧会よりも楽しみにしていたのだが、朝が早かったせいか、不覚にも眠りこけてしまった。でも話の大半が彼らの本に載っている内容だったようで、胸をなでおろすと同時に申し訳なく思った。
東京駅への帰り、銀座へ立ち寄りアップルストアを覗いた。まるでG5の筐体を思わせるようなアルミパネルの外観や、ガラス張りの洗練された美しいエレベーターなど、アップルのフィロソフィーは店舗デザインまで抜かりがないと感心した。ネットニュースによれば、アップルストア大阪店が、この秋心斎橋お米ギャラリー跡にできるそうだ。

住宅論

檀ふみ著『父の縁側、わたしの書斎』
壇ふみさんの父・檀一雄さんは、言わずと知れた火宅の人の著者。火宅の人イコール壇一雄さんだと聞いていたので、引越しを繰り返したり、旅情の赴くまま世界各地を訪ね歩いたというエピソードには頷けたが、自宅を何度も改造したというくだりは意外だった。
ふみさんが描いた図面が挿されているが、建物が継ぎ接ぎだらけでいびつなかたちをしていて、明らかに素人仕事だとわかる。でもそれが檀一雄の流儀。彼が愛する住まいのかたち。
壇一雄さんが亡くなってのち、一家は居心地のよい住まいを求め、新居の設計を建築家に依頼する。ところが廊下の真ん中に段差があってつまずきそうになったり、手の届かないところに照明があって球替えができなかったり、熱がこもって入れない屋根裏部屋があったりする、恰好はよいが使い勝手の悪い家ができてしまったそうだ。
ふみさんは書いている。「不思議なことに、まだいっぺんもこの家の夢を見ていない。夢に出てくるのは、昔の家の玄関、昔の家の勉強机、昔の家の窓」
雨漏りはしたしカビも生えた。好きではなかったはずなのに、結局ふみさんにとっての理想の住まいは、むかし住んでいた家だった。つまりそれは、住まいや暮らしを愛し、家族を愛した父・檀一雄が建てた家だったのだ。