伊勢詣

パワースポットとして注目を集めていると聞いていたが、今日は元日かと思うほどの混雑ぶり。三が日をはずせば悠々とお参りできると思っていたのに。
神宮には何度か訪れているが、今回はいつもと違う。内宮、外宮はもちろん、月読宮など別宮にもお参りし、内宮で御神楽を奉納、御遷宮のために御奉賛もさせていただいた。
伊勢詣のことは友人から聞かされた。彼にとって日本一の建築は神宮の御正殿で、日本の御祖神をお参りすることは当たり前だと言う。そう熱く語られて素直に納得した。
御神楽は初穂料によって舞の数が変わる。金額が高ければ高いほど舞の数が増える。いやらしいが仕方がない。名称は御神楽、大々神楽、別大々神楽、特別大々神楽と凄みを増す。
最小の初穂料は1.5万円。零細個人事業主にはこれが精一杯。4人の舞女による倭舞のみ。でも終わってみれば、人長舞や舞楽まである別大々神楽を捧げていただいた。
これは多額の初穂料を奉納した企業と同じ組だったから。日本の頂点なので、全国から多くの企業が御神楽を捧げに来るが、気風の良い企業と同じ組になれば、自分が奉納した初穂料以上の福をいただける可能性がある。おかげで幽玄の世界を堪能させていただいた。
御遷宮の御奉賛とは平たく言えば寄付。20年ごとに建て替えられるお宮の建設資金として奉納する。御神楽と異なり千円から受け付けてもらえ、もれなく素敵なチケットがついてくる。
御正殿は四重の御垣で囲われていて、一般参拝者は御垣の中に入ることはできない。でもこのチケットがあれば、御垣のひとつ中からお参りすることができるのだ。
中重鳥居の前に立ち、御白石が続く先にある内玉垣南御門を見つめると、御垣の外の喧騒が消えて厳かな気持ちになる。ちなみに、この参拝にはスーツとネクタイが必要。
年のはじめに身の引き締まる行いをすることで、一年が素敵なものになるような気がする。たとえ気のせいだとしても、伊勢詣はずっと続けていくことにしようと思う。

Less But Better

今年は例になく素敵なものや糧になるものをたくさん観た。東京にいたときは、こちらから簡単に行けないところを訪ねることができたし、今月は毎週のように出かけた。20数年ぶりに高野山をお参りしたし、この週末には友人に連れられ呉や三原まで建築探訪に出かけた。
先日は年賀状を書く合間に今年最後の展覧会を鑑賞した。サントリーミュージアム天保山で開催中の『純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代―機能主義デザイン再考』予備知識はまったくなかったが、とてもよい展示で、今年を締めくくるにふさわしいものだった。

よいデザインとは革新である
よいデザインとは実用をもたらす
よいデザインとは美的である
よいデザインとは理解をもたらす
よいデザインとは謙虚である
よいデザインとは誠実である
よいデザインとは長命である
よいデザインとは最終的にディテールに帰結する
よいデザインとは環境への配慮とともにある
よいデザインとは可能な限りデザインを抑制する

Dieter Rams

彼が唱える10カ条。展示のはじめに掲示してある。工業デザインに限らず様々な物事、引いては我々人間の理想のようでもある。私自身や、私の仕事においても肝に銘じたいことばかり。

ワイエスの青

ブルーブラックのインク、唐招提寺御影堂障壁画の緑青の海、映画『ティコ・ムーン』に登場するマクビー一族が流す血の青、青磁の簡素で崇高で美しい青。
青が好きなのだが、またひとつ好きな青ができた。アンドリュー・ワイエスだ。これまで意識して観たことはなかったが、『新日曜美術館』を観て彼の描く青にすっかり魅了された。いま東急Bunkamuraで展覧会が開催中で、観に行きたいと思っていたところ東京出張が決まった。
はじめて観るワイエスの絵。年月を経た木造家屋やインテリアは、どれも暗く彩度が低い。そんなところに青が差されている。それはブルーベリーだったり、器だったり、衣類だったり。トーンの低い画面の中で、文字どおり異彩を放っている。まるで閃光のように。
モノトーンの習作の中にも青が差されているのを見ると、彼のなかで青は特別な色なのだろう。なにかに青を見ると気持が高揚すると書いてあったが、たしかに私も青を見るとワクワクする。

WALL・E

イヴという名前に引かず、ディズニーだからなどと思わず、甘っちょろいだろうとか考えず、ファインディング・ニモのほうがよいと言わず、とにかく観ればよいと思う。

高崎から上野

高崎へレーモンドの建築を観に行った。旧井上房一郎邸は駅のすぐそばにあった。高層マンションやオフィスビルに囲まれていたが、ここだけ別の時間が流れているようだった。

低くて深い軒、丸太のシザーストラス、繊細な障子、住居ではめずらしいむき出しの空調ダクト。すべてのディテールが愛おしく思える。
老練なボランティアの方が数名いらっしゃって、いろいろお話を伺った。「群馬音楽センターには行ったかい?」と聞くので「いいえ」と言うと、ご親切に車で送っていただいた。
この方はもと市議会議員だそうで、市内の古きよき建築を保存するのに一役買われているそうだ。群馬音楽センターも解体の危機に瀕していたが、保存運動のおかげで残されたそうだ。

使用前のホールを見せていただいた。外から見た折り紙のようなかたちがそのまま内部に表れていてリズミカル。谷の部分のスリットから自然光が入り、さながらSF映画のセットのよう。
ボランティアのみなさんありがとうございました。

午後は上野へ移動し、国立西洋美術館で美術展を鑑賞。
ヴィルヘルム・ハンマースホイ。こんなに素敵な絵を描くのに、彼は長い間その存在を忘れられていたそうだ。この回顧展がなければ、私も永遠に知ることがなかっただろう。
雑誌『住む。』で紹介されていたのだが、淡灰色の霞がかった色合いにすっかり魅了された。
この繊細なトーンは、デンマークで生まれ育った作家ゆえのものだろうか。静寂で、ピンと張りつめた空気が漂っている。北欧の気候がそうさせるのだろうか。
人物画や風景画も描いているが、それよりも建築画や室内画がよかった。ほとんどの室内画は彼のアパートを使って描いたそうだが、インテリアや家具調度品が素敵。落ち着いていて品がある。これもまた北欧の文化によるものだろうか。北欧の人たちは、簡素で質のよいものを大切に使い、代々受け継いでゆくことに誇りを持っているのだろう。

私は常に、そのような古い部屋には、たとえ人がいなくてもある種の美しさがあると思っています。あるいは、それはまさに無人であるからこそ美しいのかもしれません。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ

はじめて無人の室内を描いたときの言葉。北欧に暮らす人々の精神が表れているようだ。

マイノリティ

翌日は、帰る途中に倉敷へ立ち寄り、はじめて倉敷民藝館を訪れた。土蔵を改装してできたそうだが、土蔵そのものがすでに民藝だった。
民藝というのはつくづくマイノリティでよかったと思う。友人はだれも関心がないと言うので一人で訪ねたが、すいていてゆっくり見ることができた。
続けて大原美術館を訪ねた。こちらはあらゆるジャンルの美術品を展示していて、館内はどこも混雑していたが、民藝品のある工芸館はやはりみなさん関心がないようで、立ち止まることなく通り過ぎていく様が可笑しかった。