FIXPENCIL

芯ホルダー。シャープペンシルの兄弟のようなもので、芯は鉛筆の芯そのもの。だから芯ホルダーと呼ばれている。むかしはよく使っていたが、いまはもっぱら0.9ミリのシャープペンシルを使っているので、ペン立ての中ですっかり出番をなくしている。
久しぶりに信頼文具舗のウェブサイトを訪ねたら、カランダッシュの芯ホルダーがあった。このメーカーのオフィスラインは、安価なのに書きやすく、前から愛用していた。
見たところかたちは同じで、真っ赤なボディに魅せられた。オフィスラインは電解着色仕上だが、こちらはラッカー塗装。幾重にも吹きつけた塗膜がしっとりしていて握りやすい。

愚行を繰り返す

遠くにヘリの音が聞こえている。時間が経つにつれ台数が増えていった。
園田にある出向先の事務所。外出していた事務所の方が、戻るなり「近くでJRが大変なことになっている」と言った。帰宅してテレビを点けると、列車がマンションに激突し、大破していた。何だこれは。阪神・淡路大震災のときと同じだ。自分は何を見ているのだと茫然となった。
遺族の方がインタビューに答えていた。「JR西日本や運転手を責めるのは簡単だ。でもこうなった根幹は現在の緩んだ社会にある」家族を失い、悲しみの底にいるはずなのに、怒りをぶちまけるわけでなく、静かに毅然とした態度で答えていた。
どうしてこんなことが起こるのだろう。人間はいつの時代でも愚かしい。それが人間というものなのだろう。宿命なのかもしれない。でもだからといって、回し車を回るマウスのように、同じところを永久に回り続けるしかないのか。少しでも高みにのぼることはできないのか。

机の上を片付けてはいけない

ようやく出版された。展示は観に行ったが、たくさんの人でゆっくり見れなかったので、せめてカタログをと思っていた。
同時開催された『HAPTIC』展も示唆に富んだ内容だったが、個人的にはこちらのほうが面白かった。展示がとても美しかったし、単純に文房具が好きなので。でも本書が言わんとしているのは、モノとしての文房具考ではなく、地球の中心にまで届きそうな奥深い内容で、原さんのいつもながらの思考には感服しきり。

散らかった机の上ではあるもの同士が巡り合い、それが新たな着想となるかもしれない。
整理・整頓をしてきれいに片付けられた物事は『死』であり、そこから何も生まれない。
整序から混沌へ、混沌はクリエイティブの母である。

FILING

この展示がすばらしいのは、単に理論を並べ立てるだけではなく、それをきちんとかたちにしているところ。しかも小手先ではなく考え抜かれている。いま竹尾のウェブサイトで、展示品のうちの3つを商品化して販売しているが、タグなどはいろんなシーンで活躍しそう。

引き出物カタログ

友人の結婚披露宴に参列した。ところは万博公園内の迎賓館。シックで落ち着いた内装の会場で、品格のある披露宴がとてもよかった。庭には大阪万博のときに植樹されたという立派な枝垂れ桜。ちょうど満開でとても美しかった。
引き出物の中にカタログギフトがあった。めったに見ることがないのだが、最近はその品揃えもセンスがよくなったようだ。世界各地の小売店から直接買い付けたという雑貨や、日本各地の陶芸品や工芸品、デザイングッズなど、目移りするほどの充実ぶりに感心した。
サファリの万年筆にするか、柳さんのミルクパンにするか悩んだが、前から欲しいと思っていたミルクパンにした。ありがとう。末永くお幸せに。

清家さん逝く

清家清さんが亡くなったとニュースが伝えていた。
先日亡くなった丹下さんのときは、あまりに自分とかけ離れた存在なので、悲しい気持ちは起こらなかったが、清家さんのときは、悲しいというか寂しい気持ちがこみ上げた。むかし観たテレビ番組で、お孫さんと戯れているときの屈託のない笑顔を思い出した。
奇しくも住宅特集最新号に、彼の住宅の特集記事が掲載されていた。いまでも色褪せない魅力的な住まいの写真を眺め、野沢正光さんの記事を興味深く読んだところだった。

North

大学の課題でラップランドの山小屋をトレースしたことがある。題材を探すために図書館を訪ね、モノクロームの丸太小屋の写真が目に留まった。それがラップランドの山小屋だった。
先住民族のサーメ人が住んだ小屋で、人里はなれた山奥にひっそり建っていた。長い冬に耐えるために太い丸太でつくられ、部屋の中央には大きな薪ストーブが置かれていた。
なぜラップランドの山小屋に惹かれたのだろう。10年以上も前のことで忘れてしまったが、いま読んでいる東山魁夷さんの『白夜の旅』に、答えを見つけたような気がする。
彼は書いている。「北方とは私にとっては心の中の磁針が指す方向であって、北方の風景は私の指向する世界の象徴である」「私は静かな光に照らされた風景が好きである」でも彼はこうも書いている。「厳しく陰鬱な冬の後に芽生えてくる北欧の春を見たいと思っていた」「生の悦びをよく知っているのはむしろ太陽に恵まれない北欧の人々ではないだろうか」
北欧の人々は心に静かな情熱を抱いている。それは派手ではなく穏やかなもの。