何が冗談なのかわからない

ネット検索で見つけたウェブページを読んでいたら、唐突にメッセージが現れた。見出しの文言とアニメ―ションに身構えたが、その下の文章は日本語だし、Tumblrの文字が見える。URLはtumblr.comとなっているので、Tumblrを利用したブログを読んでいたようだ。
メッセージは一定量の画面スクロールを行うと現れるようだが、消すための×は見当たらないし、メッセージや周囲の部分をクリックしても消えない。スクロールバーがなくなっているのでページトップへ戻れないし、マウスのスクロールホイールも利かない。
Tumblrは利用したことがないのでよく知らないが、まともな企業が提供するサービスではなかったか。ページを離れることを許さず、アカウントを取得させようとする。これではいかがわしいサイトと同じだろう。そもそも「停止:分類」とは何か。中国向けと混同しているのか。

ご来迎見られず

約1年前の記事に書いた通り、最高の状態でご来迎を体験しようと浄土堂を訪れたが、小野の空は雲がかかっていて、西のお日様は最後まで姿を現してはくれなかった。

16時に到着。他に参拝者はいなかったので、正面で胡坐をかいて三尊を眺めたが、光に変化が見られないので17時を待たずに退出。予定より1本早い列車に乗ることができた。
明後日は1日晴れそうなので再訪しようか。どうしてもこの時機に見ておきたい。

堂内への出入口。正方形のプロポーションが素敵。吊り下げられた白い布に書かれた梵字は、堂内に安置されている仏様を示している。左から観音菩薩、阿弥陀如来、勢至菩薩。

正面桟唐戸の固定金具。丸い軌跡が美しいが、円運動をすることがあるだろうか。

祝福

是枝裕和監督の新作を観た。きっかけは坂本美雨さんのラジオ番組。監督がゲスト出演し、映画に使用された曲『Aqua』について話したそうで、radikoのタイムフリーで聞いてみた。
映画の舞台は湖畔の町だが、夜の湖を思い浮かべた時に、音楽は坂本龍一さんがいいと思ったそうだ。仮編集した映像に既存の曲をあてていったそうで、撮影をすべて終えて出来上がったものを送ったところ、快諾してくれたそうだ。別のインタビューで話していた。
曲は入れ替え差し替えされたそうだが、最後の場面にあてた『Aqua』だけは動かなかったそうで、この曲は何かを寿いでいるようだと監督。それもそのはず、この曲は坂本美雨名義のデビュー曲として作られたもの。父から娘への「おめでとう」が込められているに違いない。
美雨さんは「また泣いちゃう」と漏らしていたが、私もラストシーンでは涙がこみ上げた。晩年のゆったりとした演奏もいいが、あの場面には『BTTB』収録のオリジナルバージョンがとてもよく合っていた。まさしく2人の未来を祝福しているようだった。

田中一光と和田誠

奈良県立美術館で田中一光展を観賞。カレンダーを確認すると10年ぶりだった。この美術棺は奈良県出身である田中一光さんの作品を多く所蔵しているので、定期的に展覧会が催される。
本展のタイトルは『デザインの幸福』。田中一光の発想1:顔・流水、田中一光の発想2:植物・文学、ロゴ・マークとCI、田中一光の「いろ」と「かたち」1ロープ・円・ピラミッド、田中一光の「いろ」と「かたち」2漢字・かな・記号の5章仕立て。
写真に写る『写楽二百年』や『Nihon Buyo』など、ポスター作品は大判でインパクトがあるので覚えているが、後半のグラフィックアートでは覚えていない作品があった。初見だったのだろうか。久しぶりに『綱』や『ロープ』シリーズを観ることができてよかった。

1階の展示室にはISSEI MIYAKEとの共作が展示されていた。一光さんの作品を取り入れたコレクションで、2016年より行われているプロジェクトだそうだ。初めて知ったが、展示室の隣には和室があり、第1弾の作品が展示されていた。この部屋のみ撮影可能だった。
この展示室について確認したいことがあったが、図録に収録されていなかった。持ち帰った「会場案内図」を見ると、この展示室は特別企画と書かれていた。展覧会とは別なので図録に収録されていないようだが、それならペラ1枚でも別に資料を用意してほしかった。
残念なことだが、図録には他にも残念な部分があった。シリーズ作品や連作は端折られ、ロゴデザインやパッケージデザインは収録されていなかった。なぜこのようなことをするのか。権利などで掲載できなかったのか。でもどこにも書いていないので単なる怠慢なのか。展示のすべてを収録しなければ図録とは呼べない。パンフレットと呼べばよい。
エントランス横のギャラリーでは、『イッセイミヤケのポスター展』と題した関連企画が行われていた。1987年から1999年まで続いた、三宅一生、アーヴィング・ペン、田中一光の協業によるISSEI MIYAKEのシーズンポスター。古さをまったく感じさせないので驚いた。
次は美術館「えき」KYOTOで和田誠展。一昨年に東京オペラシティアートギャラリーで鑑賞した展示の巡回展。内容が縮小されているそうなので二の足を踏んでいたが、せっかく関西で開催されているので観ることにした。ポイントがあったので近鉄特急で移動した。

興福寺へ寄り道をした。国宝五重塔の修理がいよいよ来月から始まる。120年ぶりだそうだ。
屋根瓦の葺き替えや木部の修理、漆喰の塗り直しなどが行われるそうで、1年かけて素屋根が組まれ、2025年から5年間にわたり修理が行われるようだ。完了予定は2031年春とのこと。国宝東金堂の前まで仮囲いがされるようなので、東金堂もしばらくの間美しい姿が観られなくなる。

和田誠展入口前の設え。東京会場とは異なる意匠だったが、イラスト共に好ましい。
お名前の英語表記が私と同じでニンマリした。姓名を逆にしない、性はすべて大文字、名はキャップのみ大文字。私はほぼ日の『すてきなふだん字』に影響を受け真似しているが、和田さんも同じということは何かの標準仕様なのだろうか。それにしても、和田さんは文字数が少ないので羨ましい。私は多く、「つ」や「し」も入っているので、タイピングがいつも面倒。

展示室の自動ドアが開くと、いきなり「歴柱」が立っていた。東京会場もそうだったので変わりはしないのだが、明らかに異なっていたのが照度。この美術館はそもそも照度が低い。おまけに天井が低く、黒くしてあるので尚更暗く感じてしまう。壁面のケースは頭越しに照らされていたので、すべて影になっていた。ノートに書かれた小さな字はさっぱり読めなかった。

平日昼間にたくさんのお客さんだったが、東京会場より少なかったので、「歴柱」のすべての面のテキストを読むことができた。7-8歳の面では、手指の指紋の観察日記に微笑み、78歳の面では、AD-LIB展でのコメントに涙腺が緩んだ。この年は急逝した水丸さんの分まで描かれた。
これほどすばらしい展示なのだから、相応しい会場で鑑賞したかった。上述の図録ではないが、すべてを見ることができない、ありのまま見ることができないのは、とても残念だし悲しい。岡山で鑑賞できなかったことが悔やまれる。改めて己の馬鹿加減が嫌になった。

展示室に場所がないので、美術館の外へ追いやられていた似顔絵。東京会場では高さを活かし壁一面に展示されていたが、こちらは2段が限界。でもこのほうが間近によく見えた。
記事タイトルはお二人の名前を並べただけだが、そういえばお二人に親交はあったのだろうか。独立する前は共にライトパブリシティに在籍されていた。年齢は一光さんが6歳上。会社には一光さんが2年先に入社し、和田さんとは3年ほど在籍期間が重なっている。
2012年に『21_21』で一光さんの展覧会が催され、和田さんは横尾忠則さんと鑑賞されたようだ。公式サイトのDOCUMENTSに記事があるが、そこに和田さんの感想が書いてある。”田中一光さんの色彩感覚、構成力、文字の扱い方、アートディレクション、すべての一光デザインの魅力にあふれた展示です”。仕事仲間というより憧れの先輩だったのだろうか。

Arte Popular

みんぱくで『ラテンアメリカの民衆芸術』を観賞。閉幕ぎりぎりに滑り込むことができた。
ラテンアメリカでは民衆による手工芸品のことを、ラテンアメリカ諸国の主要言語であるスペイン語で「Arte Popular(アルテ ポプラル)」と呼ぶそうだ。
民衆芸術に焦点をあてれば、ラテンアメリカの多種多様な文化を伝えられるのではないか、という思いのもと、収蔵庫から約400点が選ばれたそうだ。
会場は「民衆芸術と出会う」、「ラテンアメリカ形成の過程」、「民衆芸術の成熟:芸術振興の過程」、「民衆芸術の拡大:記憶と抵抗の過程」、「ラテンアメリカの多様性」の5章立て。

葉はマトラカという楽器。元々祭事に使用されたそうで。振り回すとガラガラ鳴るようだ。

車のおもちゃ。陶製だろうか。共通だが、キャプションに材料を記入してほしかった。

メキシコウイチョル族の男性用衣装と肩かけ袋。小さいほうは装飾品だろうか。

仮面。ブラジルの先住民族のもので、6つすべてが異なる民族というのが面白い。

メキシコの死者の日の祭壇。ご先祖様が帰ってくる日の設え。日本のお盆飾りに同じ。
メキシコ人にとり骸骨は身近な存在。再生とユーモアの象徴だそうだ。『007スペクター』の冒頭を思い出すが、あのお祭りは映画のための演出で、実際には行われていないそうだ。

首長人形。ラマやアルパカのイメージで作ったので首が長いのだとか。陶製だろうか。

生命の木。起源はスペイン植民地時代のメキシコで、聖典の教えを原住民へ伝えるためにつくられたそうだ。最上部はキリストだろうか。その下にはアダムとイヴ。とても美しい作品。

どこをとっても精緻。アップを何枚も撮影した。骸骨、小鳥、音楽を奏でる天使。

ヤギのナワル。本展のキービジュアル。コイツにやられた。シシ神様のようなポーズ。
空想的な動物の姿を描くメキシコの民衆芸術で、オアハカ州で制作されているものだそうだ。

こちらはただのナワル。メキシコの民間信仰で、動物に変身する能力をもつ妖術師やシャーマン、人を守る動物霊のことをナワルと言うそうだ。奥の小さいのは悪魔像だそうだ。

ハイチの市場絵のアップ。顔を描かないことでより一層プリミティブ。

階段踊場より会場を俯瞰。吹抜壁につく吹出口が猪目模様。黒川さんの好きな模様。
会場出口の特設ショップで図録が見つからなかったので、施設のミュージアムショップのほうに置いてあるのかと馬鹿な質問をしてハッとした。完売したのだ。ベンチにあった見本を手にした時、サイズや装幀にこれは売れるだろうと思ったが、その通りになっていた。

ミュージアムショップでいただいたブックカバー。デザイン 田主誠とある。描かれているのは槐(えんじゅ)の花で、梅棹忠夫著作集のシンボルマークのために制作されたそうだ。
著作集の表紙には仮面のイラストが描かれているようだが、これも田主さんの仕事のようだ。田主さんは独学で版画を学んだ後、みんぱくの職員となり、収蔵品の仮面に関心を持ち、ライフワークとして仮面を描かれたそうだ。ちなみに当時の館長は梅棹さん。
ブックカバーをいただくために購入した本は梅棹忠夫著『女と文明』。どなたのデザインなのだろう、カバーに惹かれて手に取ったが、まえがきを読むと何やら面白そうだった。

Power DVD

PCでブルーレイソフトを観ようとしたが、再生ボタンを押すとメッセージが現れた。
“グラフィックカードドライバーは互換性がないため、再生が停止されました。ドライバーが最小要件を満たしているか確認してください。CyberLinkのFAQサイトで追加情報を確認できます(コード=0012)。詳しくは、BD Advisorツールを実行してください。”
昨日は別のソフトを観たのだが、一夜のうちにドライバーの互換性がなくなったのだろうか。
追加情報を得ようと「情報」ボタンを押すと、CyberLinkのウェブページへ飛んだが、コード番号が異なっていたので、検索窓へ”0012″と入力すると結果は0件。相変わらずの頓珍漢。

BD Advisorツールをインストールし実行すると、”このコンピューターを使って、ブルーレイムービーを再生することができます。Ultra HDブルーレイPCプレイヤーをご利用ください。”との結果。文章の後半がわからないし、表の見方もよくわからないが、問題はないはず。それなのにまだ再生できないので、最後の手段とアップデートを行うと再生できた。何がしたいのだろう。